アイザックの事故から聖戦までを原作沿いの流れの中で個人的解釈により大いに捏造
第一部カミュ氷/第二部ミロ氷
改稿前の2011年初出作品
◆第二部 11◆
別れの朝だ。
ミロは天蠍宮の入り口に立って晴れた空を見上げる。
俺が護るべき世界はまだ美しさを損なっていない。
氷河が起きるのを待ち、コーヒーを淹れておいてやる。2つのカップをテーブルに乗せた時、ちょうど背後に気配を感じた。
ふらつく足取りで氷河が立っている。
「……あなたって人は……信じられない……!」
「まあ、怒るな。ちゃんと立てるじゃないか」
「そういう問題じゃない!あそこまでされたらもう嫌がらせだ!」
「でも君も楽しんだろう」
意地悪くニヤリと笑うと、真っ赤になって唇を噛んだ。
ばかめ。それはキスを誘うサインだと教えたろ。
すかさず、そこへ口付ける。
氷河はますます赤くなった。今更キスくらいで赤くなるところが不思議だ。
「まあ怒るな。ほら、コーヒーだ」
そういって、自分は深々とソファへ腰かけた。氷河はしばし黙って立っていたが、やがて隣へ座り、拗ねたように俯いた。
ミロは苦笑する。
氷河の方へ上半身をひねったまま体を背もたれにだらしなく預け、俯いた横顔を目に焼き付けるように見つめて、ゆっくりとコーヒーを味わった。
「そんなふうに座ったらこぼれる」
「カミュみたいなことを言うな。……さては君もそうやってカミュに説教されたクチだろう。あいつは堅かったからな」
「あなたがふざけ過ぎてるだけだ」
「コーヒー、飲まないのか」
「…………ミルク」
「は?」
「……本当はミルクを入れないと飲めない」
不本意そうに視線をつんとそらした氷河の横顔を見て、ミロは笑いを爆発させた。
「!笑うと思った!!だから我慢して飲んでいたのに!」
「あははははっ。最初に言えばよかったのに。言えなくて、ずっと我慢して飲んでいたのか。いつも微妙な顔をしているとは思ったが、アレは苦いのを我慢していたんだな?ぷっ……くっくっ」
腹をよじって笑い転げるミロの足を、氷河は蹴っ飛ばしてやった。それでも、まだひーひーと苦しそうに笑っているので、ついには腹を蹴ってやろうと、足を振り上げた。
が、振り上げた足首を掴まれてしまい、勢いあまって逆にソファへと上半身が深く沈んだ。体勢を立て直す間もなく、ミロの顔が近づいてきて、笑いを浮かべたまま、氷河の唇を一瞬さらった。そして、何ごともなかったように去って行った。
ミロが戻ってきた時には、氷河はソファに全身を投げ出し、うつ伏せに突っ伏していた。肩が少し震えている。
「おい、ご要望のお子様向けミルクだぞ」
氷河の体がソファを占拠しているので、ミロはソファを背に氷河の頭ちかくの床へと座った。氷河の顔を見ないまま、後ろに手をのばし、頭をなでてやる。
「ミロ……いろいろ……ありがとう……」
「ああ」
部屋に沈黙がおりる。
笑っていても泣いていても、どちらも胸が締め付けられる。
「……それじゃ……また」
「ああ……また」
氷河が天秤宮へと続く階段を下りる。
その背を、切なく見送る。
前に見送った時は、階段を上る後ろ姿だった。
君の後ろ姿を見送るのはいつも永遠の別れの時だな。
階段の中ほどで、氷河の足が止まる。
だめだ。
氷河。振り向くな。
今の俺を見るんじゃない。
だが、氷河は振り向いた。
そして、荷物を投げ出し、ミロのところへ駆け戻ってくる。
来るな。
来てはだめだ、氷河。
ミロのところまで一息に駆けあがり、氷河はその首筋に抱きつく。
「もう、言わずに後悔したくない……おれ、ミロのこと……すきだよ……」
まいったな。
今、それを言うのか。
ミロの瞳の奥が揺れる。ごまかすようにからかう。
「カミュの次に、だろ」
氷河の返事はない。
どこまでも正直なやつ。
少し笑った。
でも。
それでもいい。
悪いな、カミュ。
今、この瞬間は、生きているおれだけのものだ。
ほんのわずかな間だったが。
氷河を抱きしめ、深く長く口づける。
「氷河、俺にもあれが欲しい」
「……あれ……?」
「カミュのところに置いて行ったろ。いつまでも溶けない白い花」
「でも……あれは……」
弔いの花だ、という不思議な顔でミロを見る。
「いいんだ。俺も欲しい。綺麗だったから」
氷河は困ったように少し考え、じゃあ、手のひらを出してみてくれ、と言った。
言われたとおりに手のひらを差し出す。
ミロの手のひらに、氷河が自分の手のひらを重ね合わせる。
氷河がゆっくりと手を離す。
ミロの手のひらの上に、白い小さなものが残った。
目をこらして見る。
雪の結晶だ。六角形の小さな粒は、ミロの手のひらの上で、日の光を受けてきらきらと輝く。美しい花のように。
「これはいいな。気に入った」
「溶けないと思うけど……少し自信はない。でも溶けてもまた作るから」
そうだな……また。
「ありがとう、ミロ」
今度こそ、本当に氷河の姿が小さくなっていく。
礼を言うのは俺の方だ、氷河。
わずかな時間でも君と過ごしたことは俺にとって喜びだった。
子を生さず、弟子もいない俺にとって、君の中にわずかでも俺の痕跡を残したことは、唯一の命を紡いだ証だ。
君の聖衣に生きる俺の血がきっと君を護るだろう。
俺の星を刻んだ君が、できれば少しでも命永らえんことを。
ミロは手のひらの上に咲いた小さな白い花に優しくキスをした。
(第二部・Fin) 完結