アイザックの事故から聖戦までを原作沿いの流れの中で個人的解釈により大いに捏造
第一部カミュ氷/第二部ミロ氷
改稿前の2011年初出作品
◆第一部 04◆
明かりが消えた部屋の中、隣で師が微かに身じろぎしたのがわかった。
氷河の頭は今日も冴え冴えとしていて、ベッドに横たわっていても一向に眠気が訪れない。
訓練はますます厳しさを増し、体は極限まで疲れている。ふっと気を抜くと、気を失いそうなほどなのに、こうして二人きりで枕を並べて過ごす夜になると、体の疲労を裏切って、精神の方は覚醒する一方だ。
もう、数か月、こんな状態が続いている。
目を開くと、主のいないベッドが目に入る。だからと言って、逆を向くとカミュの姿が目に入る。
そのどちらも今の氷河にはつらかった。
唯一の安らぎの場所であったこの家で、こんなに居心地の悪い夜を過ごすことになるとは思いもしなかった。だが、すべては自分のせいだ。
自分の未熟さにより友を失ったことを思うと、数か月がたった今も吐き気がこみ上げてくるのを押さえられない。しかも、そんな状態であるにもかかわらず、母に今すぐ会いに行きたいという気持ちも抑えきれない。いっそのこと、あのまま母と一緒に眠らせておいてくれたらよかったのに、という思いさえ抱く。
あまりの自分の業の深さに、命さえ投げ出したくなる。
氷河は、自分の唇を指でゆっくりとなぞる。
混乱状態だったので記憶はおぼろげだ。だが、微かに与えられた熱を覚えている。
アイザックに、自分で自分のものを慰める方法を教えてもらったのは、去年のことだ。
その時に、彼は「好きな人のことを思って」するものだと教えてくれた。
氷河が咄嗟に頭に思い描いたのは燃えるような赤い瞳だ。
その時は、何故その人のことを思い浮かべたのか意味はわからなかった。
今ならわかる。
師のことは誰よりも尊敬している。幼い頃から、本当に、氷河の心すべてで大好きだった。
カミュに誉められたい。笑っていてほしい。自分を見ていてほしい。
その感情に、気づけば、いつの頃からか違う色が混ざりはじめていた。
唇の上に残された熱によって、初めてそのことを自覚させられた。
もう一度、あんなふうにカミュに触れて欲しい。
そう自覚した一瞬の後には、その想いの畏れ多さに氷河は戦慄した。
皮肉なことに、自覚したと同時にその想いは氷河にとって、封印せざるをえない禁忌なものとなった。
あんなことをしでかしておいて、一体、どの面下げてカミュのことが好きだなんて言えるだろう。
三人で暮らしていたころは、二人で先を争ってカミュにじゃれついていた。
おやすみのキスをねだることもあれば、一緒のベッドで寝ることも。どれも三人だからできたことだ。
だが、もう、すべては遠い過去だ。
こうして、雪に閉ざされた家に二人でいると、息苦しさを感じるほど、空気が張りつめているのを感じる。
視線を感じて振り向いても、赤い瞳と目が合うことはなく、会話をしても途切れがちだ。同じ寝室で休んでいても、その空気は刺すように尖っている。
こんなに傍にいるのに、誰よりも遠い。
手をのばせば触れられる距離にいるのに、もう二度と触れることは赦されない。
狭い家だ。
すれ違う時にカミュと指先が一瞬ぶつかることもある。
そんな時、カミュの指がそれとはわからないほどわずかにビクリと震え、去っていくことに気づいている。
そこまで嫌われてしまったのかという絶望感がさらなる抑圧を自分に課す。
だが、自分の気持ちを抑圧しようとすればするほど、氷河の意志に反して、それは出口を求めて大きく育ってしまっている。
母に会いに行ったこと、そして、アイザックの事故、カミュへの想いを自覚してしまったこと、それら全てが同時に起こったことによって、氷河の中ですべてが切っても切り離せない、複雑に絡み合った感情として存在していた。アイザックへの罪悪感が強ければ強いほど、バランスをとるかのように母への思慕も強くなり、また、同じだけカミュへの想いも膨らんだ。醜いキメラのような感情が氷河を翻弄する。
もう、どうしていいのか自分ではわからない。
もう一度、母に会いに行くところからすべてをやり直したい自分がいた。
二人の間に横たわった空気は、今や、限界まで水を湛えたコップだ。
表面張力でなんとか溢れるのを堪えているが、わずかな刺激によって溢れ出てしまうのを待っている。
溢れ出るのが先か、それとも、いつか気化するまで堪えきるか。
また、師が隣で寝返りをうった。
氷河は今夜も眠れない。