アイザックの事故から聖戦までを原作沿いの流れの中で個人的解釈により大いに捏造
第一部カミュ氷/第二部ミロ氷
改稿前の2011年初出作品
◆第二部 09◆
どうやら、少しは氷河の中に踏み込むことを許されたようだ。
ミロは苦笑する。
しばらくの間は、ミロが近づくと身を固くしていた。
だが、朝から晩までちょっかいを出されているうちに、慣れたのか、それとも諦めたのか、何も言わなくなった。
ミロが気まぐれに包帯で視界を遮っても、「やめろ」と声をあげるが、最初の時ほどの抵抗はない。
今では、もうソファではなくミロと一緒に眠るようになっている。
日中は結局、元の木阿弥だ。
つい氷河の修練の相手になってやっている。
でも、以前ほどの切迫した焦りを氷河からは感じない。ミロがここまで、というと大人しくやめている。
氷河の戦い方はカミュに似ていた。
そう言うと、氷河の顔が少し輝いた。
「似ている?」
「ああ。俺が君を難なくよけられるのは、カミュと何度もやりあったことがあるせいだ。氷の聖闘士っていうことだけじゃなくて、君たちは癖までよく似ている。……君の中にカミュが生きているみたいだ」
そう言うと、今度こそ本当に嬉しそうに笑った。
氷河の笑顔が見られてミロも嬉しい。が、少し妬ける。
「でも、それじゃ、いつまでたっても俺には勝てないぞ。俺はカミュを知り尽くしているんだからな」
「いつか、あなただって超えてみせる」
「言うじゃないか。光速の動きもできない坊やが」
ミロは氷河の頭を抱き寄せ、髪の毛をぐしゃぐしゃとかき回した。
「そうだ!光速!……一度訊いてみたかった。どうやったら、光速の動きを身に着けられるんだ?」
ミロは虚を突かれたような顔をした。
しばらく考え、速く動けばいい、と言った。
「し、信じられない!なんだその答え!今、ものすごい期待して待ってしまったじゃないか」
「だってそうとしか言いようがない。まあ、あれだよ、せいぜい小宇宙を高めるんだな」
「あなた、絶対、人を教えるのに向いてない!カミュならそんな言い方しない!」
「……そうだな」
もっと言い返してくると思ったのに、黙り込んでしまったミロに困惑し、氷河がその顔をのぞきこむと、強い力で肩を押され、そのまま冷たい床に押し倒された。
氷河の上にミロの陰が落ち、表情が読めない。
薄い空色の瞳に怯えが見てとれ、ミロはふっと笑って額にキスをおとした。
「そんなに怖がらなくても、しないよ。今は『カミュ』じゃないしな」
そう言って、笑ったまますっと立ち上がり部屋から出て行った。
突然に取り残されて、氷河は戸惑う。
今、何か怒らせた……?
それとも……傷つけた……?
直前の会話を反芻しようと身を起こしたところへ、ミロが戻ってきて、ドアから半身をのぞかせた。
「おいで、氷河。たまには宮の外へ行こう。天気がいいぞ」
笑って手をさしのべてくる。
氷河はホッとして、今しがたの気まずさをごまかすように素直にその手をとった。
ミロは氷河の手を取り、天蠍宮を抜け、階段を上る。
どこへ?という氷河の視線に、ただ笑って、つないだ手の指先を絡める。
宮を抜けるまで、のつもりで手をとったのに、少しも離してくれなくて氷河は恥ずかしくてミロの顔が見られない。
カミュとだってこんなことしたことがない。
誰かが見たらなんと思うだろう、ということが気になって仕方がない。
「氷河。顔を上げて景色を楽しめ。こうしてみたら、結構きれいなんだ、この聖域も」
言われて、初めて、聖域全体を見た。
高いところから見渡す聖域は、少し砂埃で霞み、下の方に見える宮が陽炎のように揺らめいている。
あの宮のひとつひとつを、カミュのように気高い魂が護っているのだと思うと、確かに美しく、だが、少し切ない光景だった。
いつもふざけてばかりのこのひとも、あの宮の住人なのだと思うと、そこに超えられない壁の存在を感じて、なぜか胸が締め付けられた。
ミロの豊かな巻き毛が、日の光を浴びて、きらきらと踊るように跳ねている。
カミュは月のように静謐で、気高く、美しかった。
ミロの輝きは太陽のようだ、と氷河は思った。
まっすぐで、とても眩しいひとだ。
「変な奴だな。俺の顔じゃなくて景色を見ろ」
そう言われて、ミロを凝視していたことに気づき、氷河は顔を赤らめて伏せた。
ミロはどんどん階段を上っていく。
人馬宮を抜け、磨羯宮までも。
この先にあるのは……。
少し、歩みが遅くなった氷河を振り返り、つないだ手を強く握る。
「大丈夫。今日はいいもの見せてやる」
「いいもの……?」
宝瓶宮に着く。
夜に何度も通った。
日の光の中で見るのは初めてだ。
胸が痛い。
目を閉じると今でも、カミュの最期がはっきりと目に浮かぶ。
氷河は動悸を押さえるように、大きく肩で息をする。
ミロはそんな氷河の手を引き、宝瓶宮の中ではなく、その裏手に廻る。
氷河は怪訝な顔をしてついてくる。
やがて、ミロは足をとめた。
宝瓶宮の柱のひとつ。
その柱の下の方についた、手のひらほどの疵をミロはゆっくりと撫でた。
氷河は黙ってそれを見る。
「やっぱりまだ残ってたな。俺とカミュの喧嘩の跡だ」
「……先生の……?」
「喧嘩したんだ。俺と。カミュの拳が俺にあたって、俺がそこにぶつかった。多分、今でも俺の頭にはその時の傷痕があるはずだ」
「……何で喧嘩したのか聞いてもいいのか……?」
「君のことだよ。氷河。……君たちのことだ」
「俺たち?」
「そう。君たちを教えることになって、カミュはシベリアへ行った。俺はおもしろくなかった。まあ、子どもだったんだな、俺も。それで、シベリアから戻ってきていたカミュに、もう行くなよ、と絡んだ。カミュがあんまり俺に冷たかったから……まあ、言い過ぎた」
ミロはそこで少し躊躇った。
「『どうせ、すぐ死ぬよ、そんな子ども』って言ったんだ、俺は」
意外としぶとい子どもだったみたいだけどな、と、肩をすくめて氷河を見る。
「カミュがあんなに本気で怒ったのは初めてだったな。今思えば、あいつも不安だったんだろうな。あいつは今の君と同じ歳だった」
氷河が初めて知る、カミュの顔だった。
氷河の前で、カミュは完璧な師だった。
悩んだり、迷ったりすることなどないような気がしていた。いつも、手の届かない高みから氷河を導いてくれていた。
だけど、カミュも、もしかして氷河のように迷ったことがあるのだろうか。
生きているうちに、もっと、カミュを知りたかった。
氷河の頬を静かに涙が伝い落ちる。
ミロはその肩を優しく抱きかかえた。
「せんせいに……会いたい……」
「そうだな。俺も会いたい」
しばらく、声を出さずに泣く氷河を黙って宥める。
涙が涸れたころ、氷河がぽつりといった。
「俺とかかわっていたら、あなたも死んでしまう。……俺は死神なんだ」
ミロは一瞬、返事に詰まった。
そんなふうに思いつめていたのか。
もしかして、あんなに頑なだったのはそのせいか。
俺は死なない、と言ってやりたい。
死なずにずっとそばにいるから、と安心させてやりたい。
でも、ミロの戦士としての本能が、自分の死が近いことを知らせている。
出来ない約束は言ってやれない。
代わりに大声で笑った。
「自分を『神』よばわりとは……ずいぶん出世したもんだ、ぼうやは」
重苦しい空気を笑い飛ばされて、氷河は少し赤くなって拗ねたように俯いた。
「人間、いつかみんな死ぬんだ。そこに誰かのせいとか意味をつけるのは無意味だ。俺は、俺の役目を全うして死ぬ。だから、氷河、君は君の役目を全うしてから死ね。女神の聖闘士だろう」
「……死ねって言われたのは初めてだ」
「死ねって言われて喜ぶ奴があるか、ばか。好きな時に死ねとは言ってないからな。この拳にはカミュの魂が引き継がれているのだろう?あいつに、最後の瞬間まで女神を護らせてやってくれ」
うん、と頷いた氷河は、しっかりと顔を上げ、ミロの瞳を見た。
よし、大丈夫。
君は光を取り戻した。
さあ、帰ろうか、とミロは勢いよく立ち上がる。
遅れて立ち上がった氷河にもう一度手を差し伸べる。
少し躊躇いながら、おずおずと伸ばされた氷河の手を強く引き、その体を胸に抱き込むと、包帯で覆われた瞳に口づけすると言った。
「早く帰ろう。『カミュ』が今すぐお前を抱きたいって言ってるぞ」
真っ赤になった氷河が、怒ってミロの体を突き飛ばし、階段を飛ぶように駆け下りて行った。
ミロは笑ってその後を追う。
ほんとうに、約束してやれたらどんなによかったか。
でも、俺は黄金聖闘士だ。
蠍の星を守護に持つ。
君とずっと一緒にはいてやれない。