アイザックの事故から聖戦までを原作沿いの流れの中で個人的解釈により大いに捏造
第一部カミュ氷/第二部ミロ氷
改稿前の2011年初出作品
◆第一部 10◆
「カミュ?いるのか?」
カミュが旅支度を解いていたところに、ミロがマントを翻しながら宝瓶宮にやってきた。
「おっと。どこかへ出かけるのか?」
「いや。戻ったところだ。……ちょっとシベリアへな」
「……おい、こんな時に何を考えている?」
時局は急速に動き出していた。
日本で行われていた銀河戦争は単なる聖闘士同士の私闘という域を超え、いまや、彼らは聖域にはっきりと反逆の意を示す集団と成り下がっている。
城戸沙織とかいう少女を女神と担ぎ上げ、信じられないことに刺客として送り込まれた白銀聖闘士が次々と打ち倒され、ついには黄金聖闘士であるアイオリアまでが日本に出向き、にもかかわらず未だ粛清は果たされていない。
そして、その反逆者集団の中に、目の前の友人の愛弟子が含まれているという噂であった。
氷河の日本行きを渋っていたカミュに、ミロは弟子を信じろ、と笑ったが、現実はカミュが恐れていた通り、氷河は使命を全うできず、あろうことか聖域に仇なす集団の一員に加わってしまったのだ。
しかも、さきほど教皇の間で聞いてきたところによると、親書が届き、彼らは近いうちに聖域に乗り込んでくるらしい。
そのため、黄金聖闘士達は十二宮を離れることがないよう、きつく厳命されている。
それなのに、カミュはシベリアへ行っていたという。
「聞いていないのか?日本にいる青銅どものことを……」
「いや、その話は聞いた。……聞いたのでシベリアへ行ったのだ」
「氷河を説得か?それとも、お前まさか奴らに味方を……?」
ミロの言葉に、カミュは肩をすくめた。
「まさか。どちらも違うさ。氷河には会っていない。遠くから姿は見たが」
「?じゃ、何をしに行ったんだ?」
矢継ぎ早に質問をぶつけてくるミロに、カミュは椅子を差し出し、しぐさで座るよう促した。
自分も別の椅子を引き寄せ、腰掛ける。
ミロの質問に一つ一つ答えてやるのが億劫だ。
精神が高揚しているような、疲弊しているような、そのどちらでもないような気がしている。
日本での、氷河の任務の状況を聞き、カミュは天を仰いだ。
カミュにはわかる。
氷河は、兄弟たちを前に躊躇したのだ。
カミュの懸念どおりに。
あれほど言ったのに。6年かけて、非情さを教え込んだつもりだったのに。
やっぱりお前には無理だったのか。
落胆を隠しきれない。
それでも、まだ、生きてはいる。今のところは。そのことだけはカミュを安堵させる。
その兄弟たちと聖域へ乗り込んでくるというのなら。
戦わなければならないのか。
あの愛しい存在と。
自分はともかく、あの氷河にそんな真似ができるのか。
せんせい、せんせい、と泣いてばかりだった氷河が、自分に向かってこられるのか。
黄金聖闘士になって長い自分と、聖闘士になったばかりの氷河。
覚悟のほどが違う。
気持ちを触れ合わせたことが、却ってあだになったりしないか。
いや、その前に宝瓶宮は十一番目の宮だ。
無理だ。宝瓶宮までも上がってこられないはずだ。
氷河の実力は自分が一番よく知っている。
わたしは、こんなふうに、命を終わらせるためにお前を育てたわけじゃない。
アイザックも、こんな結末のためにお前を救ったわけじゃない。
ただ、お前を死なせたくないだけなのに。
そのたった一つの望みすらかなわないのか。
それならば。
氷河、お前の命が、誰かの手で無残に摘み取られるくらいなら。
せめてお前の最期はわたしに決めさせてくれ。
わたしなら、苦しまずに死なせてやれる。
わたしのところへ辿り着くまでに、絶対に死んでくれるな。
だから、カミュは、万に一つの可能性を求める。
不安定ながら、時折見せていた彼の力。
あれを黄金聖闘士の域まで引き上げる。
それ以外に、氷河をカミュの元へ辿り着かせる道はない。
短期間で、氷河の実力をそこまで底上げできるわけがない。
今までのやり方では到底無理だ。
氷河の内的エネルギーを揺り動かすことができる、決定的な何かが必要だ。
そうして、カミュはシベリアへ行き、氷河の母の船を海溝の奥深くへ沈めた。
氷河がシベリアへ戻っているとは思わなかったが、好都合とばかりに、その目の前で沈めて見せた。
これが、カミュの持っていた切り札だ。
さあ、氷河。
これならどうだ。
怒れ。憎んでもいい。
お前は、私を殺す理由ができたぞ。
這いつくばってでもわたしに会いに来い。それまでは決して死ぬな。
わたしはお前を待っている。
「おい、カミュ?」
沈黙したまま、遠くシベリアへ想いを馳せているカミュに、ミロは問う。
「カミュ……彼らがここへやってきたら、お前はどうするんだ?」
「知れたこと。わたしは聖域を守護する聖闘士だぞ。職務を全うする以外に何がある?」
「相手が氷河であっても?」
「もちろんだ。ただ……そもそも氷河の今の力で宝瓶宮まで上ってこれるとは到底思えない。氷河が、迷いを断ち切ってセブンセンシズに目覚めればあるいは、と思うが……」
「なんだか、そうあって欲しいと望んでいるように聞こえるな。氷河が宝瓶宮まで上がるってことは、俺が負けていることになるんだが」
「そうだったな。お前と氷河は戦ってほしくはない。氷河はわたしが葬る。お前は手出し無用だ」
ミロは、訥々と語るカミュの顔を見ながら、不審に思った。
氷河を葬る、とカミュは断言したが、その表情は柔らかく、声の響きは甘い。
まるで、愛を語っているかのようだ。
氷河は自分のものだから、誰にも渡さない、と言われた気分だ。
「おい……?お前、一体、何をするつもりだ。シベリアで何をしてきた」
カミュは、片眉を上げて、ミロを見た。
「シベリアでのことはお前には関係ない。私と氷河だけの問題だ」
まただ。
またシャットアウトされた。氷河との間に立ち入るな、と。
なんだ……これは……?
ミロはそこに、師弟の絆以上のものを敏感に感じ取る。
何を考えている、カミュ。
「お前……まさか……氷河と何か……?お前は氷河のことを師弟として以上に……?」
カミュはそこで、初めて困ったように笑った。
「仮にお前の心配しているような何かがあったとして、だから何だと言うんだ」
ミロは衝撃を受けた。
否定しろよ、カミュ。
なんで否定しないんだ。
そんな、愛しさを隠しきれないような表情をするなよ。
まさか、本当に、お前、氷河のことを愛しているとか言うんじゃないだろうな。
わかっているんだろうな。これから、戦う相手だぞ。
「でも……お前……それじゃあ……」
「大丈夫。お前の心配しているようなことにはならない。わたしは、氷河だからって手を抜いたりはしないよ。知っているだろう」
違う。
ミロが心配しているのは、カミュがわざと負けることではない。
カミュほど、任務を前に自分の感情を殺せる男を他には知らない。彼がやると言ったらやるのだろう。
ミロが心配しているのは、氷河を殺さねばならなくなったカミュの精神状態だ。
「戦う」相手ではあるが、力量の差からまともな戦いにならないことは目に見えている。
彼らに早い段階で死がもたらされることは必至だと思えた。
普通なら、大事に思っている愛弟子がむざむざ殺されるとわかっては落ち着いてはいられないだろう。
だが、目の前の友人は穏やかだ。こうなることを知っていたかのように。
ミロは知っている。
この穏やかさは死を覚悟しているもののそれだ。
何故だ、カミュ。
氷河を葬ると言ったじゃないか。
何故、お前が死を覚悟する必要がある。おかしいじゃないか。
「カミュ……死ぬ気なのか、お前」
「心外だな。私が自分の弟子に負けると思うのか」
そう言いながらも、カミュはその言葉の響きに陶然とした表情を見せる。
死ぬ気……なんだな、お前。
手は抜かないのだろう、きっと。
でも、彼のためならば命を懸けてもいいとは思ってるんだな。
それほど深く氷河を愛しているのか。
「死ぬなよ」
「死なないよ」
「……死ぬなよ、カミュ」
「死なない。……ふっ、お前もしつこいな。……だが……そうだな、万が一、そんなことになったら、後のことはお前に任せるよ」
「やめろ、そういうこと言うな!俺はごめんだからな!」
ミロがカミュの胸倉をつかんでその言葉を止める。
カミュはまた柔らかく微笑んだ。
「大丈夫。わたしは死なないよ。言ってみただけだ」
カミュの壮絶な愛の形にミロは戦慄し、そして、自分も決意を固める。
お前がそんなに氷河のことを愛しているというのなら。
絶対に、俺が、お前と氷河を戦わせやしない。
お前にどんなに後で恨まれようと、氷河を殺すのは俺だ。
聖域の空気が尖っている。
決戦は近い。