アイザックの事故から聖戦までを原作沿いの流れの中で個人的解釈により大いに捏造
第一部カミュ氷/第二部ミロ氷
改稿前の2011年初出作品
◆第二部 02◆
日中はたいていミロが氷河の修練の相手になってやっていた。
少し動いただけで傷口が開くので、ミロは止めたのだが、氷河が引き下がらなかったため、仕方なく無理のない範囲でつきあってやっている。
とはいえ、聖闘士同士だ。修練であっても、一度、対峙してしまえば、ついつい互いに熱中してしまう。
普段、雑兵相手にしている修練とは違い、確実に手ごたえがあることがミロにはうれしく、氷河が求めるにまかせ、つい本気であたってしまう。
氷河を相手に教えることは、カミュの真似事をしているようで楽しかった。
「どうした、坊や、もう終わりか」
「まだ終わりじゃない!」
「よし、なら来い!」
その言葉が終わらないうちに、凍気の塊がミロの耳元をかすめる。
軽々と跳躍して氷河の背後にまわる。
氷河は振り向かないまま、その体を沈め、ミロの下から凍気が吹き上がる。
それも難なくかわして氷河に向かって拳を放つ。
当たった手ごたえはない。
避けたな。
背後に微かな空気の流れを感じる。
わざと紙一重のところでよける。
ミロの脇を通りぬけた氷河をからかうように、その後ろ髪をさらりと撫でる。
振り向いた顔が悔しそうで、ミロはますます高揚する。
氷河はスピードでは敵わないとみて、真正面から凍気をぶつけてきた。
そうきたか。
でも無駄だ。
今度は避けずに、マントを翻して青白い氷の礫を跳ね除ける。
が、それを見越して氷河は、マントを盾にしながら、ミロの胸元に大きく飛び込み、直接に拳をぶつけてきた。
ミロはすんでのところでその拳を止めた。
氷河の顔をのぞきこむ。
しまった。また血が滲んでいる。
「氷河、また傷口が開いてる。今日はもうここまで」
「な……んだよ……ミロ、いっつも負けそうになったらそう言って逃げるんだから……」
「バカか!負けるわけないだろう、自惚れるのもたいがいにしろ」
ミロは平然としているのに対して、氷河の方は息があがっているのだから、その力の差は歴然としている。しかし、氷河は、もっとやる、とミロの腕をつかんで引き留めてくる。
「もう終わりだと言ったろ」
「まだやりたい。こんな傷くらいどうってことない」
「こんな傷、がいつまでたっても治らないのだから駄目なものは駄目だ」
「もう治っている。全然痛くない」
「ダメだと言うのにしつこいぞ。だいたい、早く目の包帯が取れないから、君はいつまでたっても遠近感がおかしくて、拳がなかなか当たらないじゃないか。俺と本気であたりたいなら早く治せ」
ミロはそう言って、氷河を置いて自室へ戻る。
仕方がないので、氷河もしぶしぶその後へ続く。
氷河を座らせ、また傷の手当てをしてやる。
毎日どころか、一日に二度三度と包帯を替えてやる羽目になっている。
手当をしておきながら、自分で傷口を広げるような真似をしているんだから相当に矛盾している。
もう少し抑えないと、本当に怪我が治らない。
「氷河、明日からは少し休もう」
「えっ……いやだ。今日もまだできる」
「おい、無茶言うな。怪我を治さないと全力が出せないだろう」
「だから、もう治っている。ミロは大げさすぎる」
頑固な少年だ。
君はカミュにもそんな態度だったのか、と訊こうとして、しかしすぐに言葉をひっこめた。
「いいから休め。俺は絶対に相手しないからな!」
ミロが氷河の頭をポンとたたくと、氷河はますます唇を一文字に結び、ぎゅっと拳を握ると、ソファに拗ねたように丸まって寝転がった。
猫みたいだ。
カミュがこの少年に抱いている想いに気づいたのは、その死の少し前だ。
衝撃を受けたとともに、不思議な気持ちになった。
カミュが誰か、何かでもいいが、ひとつのものに執着するのを見たことがなかった。どんな時も淡々としていて、常に理性的だった。
気性の激しい部分があるミロとはあまり似たところはなく、だからこそ意外に馬が合った。と思う。
少なくともミロの方は自分と違うカミュといるのは面白かった。
カミュが13歳で弟子を取るためシベリアへ行くと知って、ミロは怒って、行くな、と引き留めた。
だが、カミュはミロが何故怒るのかわからない、というような顔をしていた。
シベリアに行ったからって友人関係が終わるわけではないのに、何故?という、ミロからしてみたら幾分冷たい理由で。そのことで喧嘩もしたことがある。
確かに友人関係は続いた。
だが、結局、カミュの「一番」は弟子たちに取られてしまったように思う。
カミュに言うと、絶対、弟子と友人を比べて順位をつけるお前がおかしい、とばかにされるから言わなかったが、少し寂しかったのは事実だ。
「人とのつながり」にそれほど淡白なカミュが、命をも捧げるほどの想いを抱いている存在がこの世にあるということは驚いたし、ショックでもあった。
カミュにとって、自分がそういう存在になりたかったのか、と言えば、違う。別にカミュに命を捧げて欲しいわけじゃない。
裏切られた、と感じたのだ。多分。
共に女神に命を捧げることが決まっている人生のはずだった。
だが、カミュは女神ではなく、たったひとりの少年のために己の全てを賭け、そして託して死んでいってしまった。
お前は馬鹿だ、と罵りながら、だが、心のどこかで嫉妬していたかもしれない。自分には───託す相手はいない。
だから、カミュが全てを託した少年には興味があった。
氷河は、凛とした気の強さと、頑固さ、それに相反して、びっくりするくらいの幼さを同時に持っていた。
不思議な魅力がある少年だとは感じたが、だが、それだけだった。
カミュがあれほど入れ込んだ理由はよくわからなかった。
それでも、ミロは、氷河と過ごす時間を楽しんでいた。
こんな風に誰かと生活を共にしたことはなかった。
聖域にはいつも誰かがいたから、寂しかったということはない。
だが、誰かと起居を共にし、トーストが焦げただとか、鳥が窓辺にとまっただとか、本当にたわいないことを話す相手が側にいるというのは、心が落ち着くものだと初めて知った。
カミュとは、どちらが先に逝くことになっても、決して哀しまないと互いに約束をしていた。順は違えどいずれ自分もすぐに逝く、という覚悟もあった。だが、その死に自分の選択が関わることになるとは思っていなかった。
後悔はしていない。
もう一度同じ場面に出会えば、やはり同じ選択をするだろう。
だが、ミロの心にも見えない傷は残っていた。
氷河の顔を見ると、その傷がうずく。
が、同時に、その氷河によって癒されてもいた。
氷河と対峙し、手ごたえを感じるたびに、自分は間違っていなかった、と救われた気持ちになる。
カミュを喪って同じように傷ついた魂を、二人でいることで互いに慰めあっているような気がした。