アイザックの事故から聖戦までを原作沿いの流れの中で個人的解釈により大いに捏造
第一部カミュ氷/第二部ミロ氷
改稿前の2011年初出作品
◆第一部 09◆
聖域の空が泣き出しそうに曇っている。
自分の心をうつしているようで、カミュは憂鬱にため息をついて、手元の勅命書に目を落とした。
「おい、ただでさえ気が滅入る天気だってのに、ため息ばかりついてどうした」
背後から声がかかる。
彼が宝瓶宮内に入ってきていたことは気づいていたので、振り向かず、返事代わりに勅命書をひらひらと振ってみせた。
ミロはつかつかと近寄り、カミュの手元からその勅命書を取り上げて読む。
「『日本において銀河戦争と銘打った聖闘士同士の私闘が繰り広げられている。先般、聖闘士として認定したキグナスに対し、その関係者の粛清を最初の任務として命ぜられたし。』……これが何か?キグナスというのは、あれだろ、お前の弟子のことだろ。氷河と言ったか?何か問題でも?」
カミュは相変わらず沈鬱な表情をしている。ミロは訝しく思った。
「さっさと任務を命じてやればいいだろ?何をそう悩んでいる?彼が聖闘士になるには優しすぎると言っていたことと関係があるのか?」
ミロは以前、カミュがチラリともらしたことを思いだして問いながら、さらにカミュの手元をのぞきこんで、書きかけの手紙を見つけた。
「白鳥座の聖衣の在りか……?何故、今になって、こんな手紙を書く必要が?お前、氷河に聖闘士認定した時に一緒に聖衣を授けていないのか?聖闘士認定はずいぶん前だったと思うが……」
「変か……?戦わないなら、聖闘士だって聖衣は必要あるまい」
そう言って、カミュは肩をすくめた。
ますますミロは不審の念を強める。
規律重視で生真面目なカミュの口から出た言葉とは思えない。
「戦わないって……聖闘士だぞ、そんなことがあるわけがない」
「普通は、な。……氷河が何のために聖闘士になりたかったか言ったことがあったか?あの子はな、『シベリア海に沈んだ母の遺体を引き揚げるため』聖闘士になったんだ。聖衣など必要ない。……こうして任務を受けない限りな」
ミロは驚いた。
そんな理由で聖闘士を目指す人間がいたということもそうだが、だからといって、カミュがそれを理由に聖衣を与えずにいたことに。
つまり、お前は氷河を戦わせたくないのか……?
確かに、カミュの言動から、氷河という弟子に対して、異様なほど入れ込んでいることがうかがえることがあった。氷河のことを話す時見せる表情に、少し、甘やかなものが含まれていることにもうすうす気づいている。
だが、それにしたって、全く彼らしくない行動だ。
カミュほど時として冷淡にも思えるほど理性的な人間が、自分を見失いかけているように思えてならない。
カミュをそんな風に変えてしまった氷河とは一体どんな少年なんだという興味が湧くと同時に、彼らしくない姿を見せる友人に苛立ちも感じる。
「それならば、聖闘士になんかしなきゃよかったんだ」
ミロが怒ったように投げかけたもっともな指摘にカミュは自虐的に嗤った。
「そんなことは百も承知だ。聖衣など必要ないだろうっていうのは半分冗談だ。いずれこういうことになると思ってはいた。遅かれ早かれ、任務に就かなければいけなくなることもな。その日を一日でも先に延ばしたかったという、ただのつまらぬ感傷だ。だが……まさか最初の任務が、日本とは……」
ああ、問題はそこか、とようやくミロにも合点がいった。
「確か、彼は日本人なのだったか?」
「半分だけな。その銀河戦争を主催している財団は、氷河をシベリアへ送り込んできた張本人だ。しかも、私闘を繰り広げている聖闘士というのは、氷河の兄弟たちだ」
「兄弟?……ああ、つまり、お前は、氷河が情に流されて任務を全うできないのではないかと心配しているわけだ。だが、お前の教え子だろう。そうやすやすと情に流されるとは思えないが……もっと信じてやればいいのに」
カミュは眉間にしわをよせたまましばらく沈黙していたが、ややあって口をひらいた。
「そうだな。氷河を信じよう。……今日のうちには、手紙を出しておかねば」
そう言って、それ以上の会話は終わり、とばかりにミロに背を向けた。
ミロはしばらくカミュの背を見つめていたが、やがて、肩をすくめると足音高く去って行った。
友人の気配が消えても、カミュはじっと勅命書に目を落としていた。
ミロよ……お前は知らない。
氷河が、どんなに「血の絆」というものに弱いか。
カミュのことを、全身で求めている時ですら、母のことは、別次元の問題だった。
彼の中の血の絆には決して誰も勝てない。
暗い予感に、気が重くなる。
よりによって、最初の指令が、兄弟を抹殺せよ、とは。
勅命書を受け取るときに、カミュは抵抗した。
日本へは自分が行く、と。
だが、それも拒否された。
黄金聖闘士たるお前が動くことはない、と、問答無用で氷河を指名された。
悪趣味だ。他に人材はいくらもあるのに。
まさか兄弟であることまでは知らないだろうが、幼い頃少しの間、日本で一緒に過ごしたことを知っているのだ。
だが、教皇の命令は絶対だ。カミュにそれを止める権利はない。
氷河は兄弟たちを葬れるだろうか。
あの、氷河が。
ちゃんととどめをさせるのか。
日本で死ぬことになったりはしないか。
氷河が指令を全うできなかったらどうなる。兄弟たちの情に流されたら。
氷河のかわりに送り込まれる刺客は誰になるのか。
任務を全うできなかった氷河を、師であるお前が抹殺してこい、と言われれば、そうせざるをえない。
そして、今の教皇には、そういった趣味の悪い勅命を発する傾向がある。
自分が仕える聖域というものが正しいのかどうか、判断するのは自分の役目ではない。
組織において、歯車のひとつひとつがてんでばらばらに善悪を判断しはじめては、その組織はあっという間に崩壊してしまう。
自分は聖域という組織に属している以上、純粋に、ただ与えられた役目を全うせねばならない。
聖域を守護する黄金聖闘士としての誇りがカミュをカミュたらしめているものである以上、氷河を抹殺してこい、と言われれば、間違いなく、自分はそれを実行するであろうことを知っている。
結界の外では、カミュの立ち位置は決してぶれない。
振り払っても振り払っても悪い想像が追いかけてくる。
こんなことなら、あんなふうにシベリアを去るのではなかった。
結局、あれから一度も氷河に会っていない。残された手紙を、どんな顔で読んだことだろう。
この任務が終われば、一度シベリアへ戻ろう。
お前から報告を聞くために。
だから、頼むから、氷河、絶対に揺らいでくれるな。わたしをちゃんと思いだしてくれ。
わたしの教えどおりにしていれば、お前なら、この程度のこと容易く成し遂げられるはずだ。
氷河は日本へ行く。自分の命令で。
その先の氷河の行く道の選択にカミュはもう介入できない。
弟子は既に自分の手を離れた。
カミュはひときわ大きなため息をつき、空を振り仰ぎ、覚悟を決めて筆を執った。