寒いところで待ちぼうけ

旧・手のひらの花(初出版)

アイザックの事故から聖戦までを原作沿いの流れの中で個人的解釈により大いに捏造
第一部カミュ氷/第二部ミロ氷
改稿前の2011年初出作品

第一部01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11
第二部01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11

◆第二部 08◆

 氷河は胸の上に感じる重みで目が覚めた。
 身じろぎして、それがミロの腕だということに気づく。
「起きたのか」
 背中から声がした。背後から抱きしめられたまま眠っていたようだ。
 よりによってまたミロに醜態を見せた。
 気まずい。
 というか、信じられない。なんであなたは一緒に寝ているんだ。
 ありえない。
 暑いし、くっつきすぎだ。
 氷河は黙って、振り向かないまま立ち上がろうとした。
 が、ミロの腕がそれを阻む。
「ミロ、痛い」
「泣いて少しはすっきりしたか」
「別に。……もう忘れろ」
 また、ミロを突っぱねる氷河にミロは苦笑した。
 ほんとに君は頑固だなあ。
 氷河の体をこちらに振り向かせる。
 その唇が一文字に結ばれているのを見て、ミロはそこへ自分の唇を押し当てた。
「……っ。もう!やめろよ。もう満足しただろ」
「いや?もっと泣かせたいな。君がそうやって唇を噛むなら、何度でもおれは口づけてやろう。好きなだけ噛むがいい。君が唇を噛むたび俺はキスをねだられているんだな、と思うことにする」
「な、なに考えてるんだ。変態!」
 ミロは笑った。氷河の抵抗をものともせず、腰に腕を回し、抱き寄せる。
「抱き心地が悪いな。ちょっと痩せすぎだぞ」
「じゃあ抱かなきゃいいじゃないか。……もう一回凍らされたいのか」
「君が暖めてくれるなら、それも悪くないな」
 何を言っても、ぬけぬけと赤面するようなセリフを返してくるミロに、氷河は呆れた。
「ほんと信じられないひとだな、あなたは。なんであなたとカミュが友達なのかわからない」

 ……あ、今、カミュ、と抵抗なく口にできた。

 でも、胸はまだ痛い。

 ミロは氷河の髪に指を滑らせる。梳くように何度も。
 全然似ていない二人なのに、そんな風に頭を撫でてくるところは同じで、氷河の感情がまた揺れ動く。
 ミロになんか頼りたくないのに、でも、頭を撫でてくる手が優しく、やめないで、もっとして、とも思う。

 だめだ。
 どうしよう。
 また泣きそうだ。

 ミロの胸に顔を押し当て、こっそり唇を噛む。
 すぐにミロが氷河のおとがいに手をかけ、上を向かせて唇を重ねてくる。
「隠れても無駄だぞ。お見通しだ。……それともキスしてほしかったのか」
 笑いを含んだ声でそう言われても、もう言い返す気力もない。
 上を向いた拍子にまた涙がこぼれたが、もう知らない。ミロのせいだ。
 開き直ると、次々に涙があふれてくる。

 不思議だ。
 泣いているのに心が解けていくのを感じる。

 ミロの唇が熱い。何度も何度も触れては離れる。
「……しつこい。もう噛んでいないだろ」
「これは俺がしたいからしてる分だ」
「何だ、それ!結局、俺に関係なく勝手にするんじゃないか!」

 何なんだこのひとは。
 こんな変なひとだとは思わなかった。
 でも……その手の優しさから、氷河を傷つける意図はないことだけはなんとなくわかる。

「……あなたは、俺が憎くはないのか」
「何故だ。カミュを殺したからか」
 ミロの腕の中で氷河が身を固くする。
 あえて言葉ではごまかさない。
 氷河に必要なのは、美しく言葉で飾ることではなく、一度、事実を事実として正しく認識させることだ。
 罪から逃げることでなく。
 そして、過大に自己を責めることではなく。
 ミロは氷河を抱く腕に力を込め、その髪に頬をよせる。
「では、聞くが、あの日に時間を巻き戻せたとして、君はどうする。カミュを前に手加減するほどの余裕が君にあったのか。それとも端から師とは戦えません、とペガサス達を見捨てて、戦線離脱するか」

 違う。
 そんなことは考えられない。
 我が師を前にしてそんな恥ずかしい真似などできるはずもない。

 氷河が小さく首を振る。

「そうだろう。カミュも同じだよ。……いっておくけど、あいつも本気で君を殺そうとしていたんだからな。君は、先生ひどいって、もっとあいつに怒ったっていいくらいだ」
 おどけたようにいうミロに今度は氷河ははっきりと大きく首を振った。

「それに氷河……カミュを殺したのは俺だ」
 氷河が、どういう意味だ?というようにミロを見上げる。
「忘れたのか。俺が、君を前に進ませた。……俺は、この先、何が起こるかわかっていて君を行かせたんだ。カミュがそれを望んでいると知っていたからだ。カミュを絶対に死なせなくないなら、あのまま君にとどめをさしたってよかったんだ。だが、俺はそうしなかった。……まあ……カミュのところで君が死ぬならそれはそれで構わない、とも思っていたがな」
 どうだ、君は俺にもひどい、と怒る権利があるぞ、とミロは笑う。
 氷河は、そんなふうに考えてみたことはなかった、と呟いた。

「だから、カミュの死に君が責任を感じているなら、俺もそれを等しく背負おう」

 カミュは、『全ては自分の責任だ』と言った。
 ミロは、『君と同じだけの責任を一緒に背負う』と言う。
 やっぱり二人は似ているようで全然違う。

「でも……アイザックのことは……」
「うーん。そもそも全てを選ぶことなんかできるのか?俺だって、カミュに生きていて欲しかったし、でも、カミュが望むなら、君にカミュを超えても欲しかった。両方は無理だろう」
「そう……だろうか……でも、ほかに選択肢はあったような気がする……」
「そりゃ選択肢は無限にあったさ。カミュにも俺にもアイザックにも、いくらでも選ぶ道はあった。運命を変えるチャンスがあったのが君だけだと思っているなら傲慢だな。人生は選択の連続だ。君の選択の結果が正解かどうかなど誰にもわかるものか。だが、カミュという男が、君に最善の選択ができる力をつけさせなかったはずはない。俺は君の聖闘士としての力はまだまだよく知らないが、だがカミュがどんな男かはよく知っている」

 何故だろう。
 断罪されていても、背負った荷がほんの少し軽くなるのを感じる。
 ミロが同じように傷ついた顔をしているせいか。

「まあ……アイザックのことは、完全にカミュも想定外だったと思うぞ。あいつだって、君と同じ立場だったらどうなってたかわからないんじゃないかな。あいつはあれで意外に情に篤いからな。だから、カミュは君に少し求めすぎだと思う。……でも、カミュを許してやってくれ。あいつはそれほどにお前を愛していたんだから」

 ミロの言葉に氷河は驚いてその顔を見た。氷河が驚いたことがミロにとっても驚きだった。

「なんだ。まさか、知らなかったはずはあるまい……?」
「わからない……はっきりと聞いたことない。俺も……言えないままだった」
 最後は氷河の声が震えた。

 そうか。
 まだ、色々なことが終わってないままだったのか。
 気持ちを伝えることもせずにお前は逝ってしまったんだな。
 師を超えてみせた氷河の、その後の苦境の乗り越え方を教える時間もなかった。
 すべてが、まだこれからだったんだ。
 氷河は師を殺した苦しみだけじゃなく、想いを伝えられなかった後悔も一緒に背負っていたのか。
 なんという星回りだろう。お前も氷河も。
 ミロの胸が氷河の涙で濡れている。
 でも、氷河の様子は穏やかだ。もう拳も握ってはいない。

 もっと早く、こんなふうに話をしてやればよかった。
 氷河。気づいてやれなくて悪かった。

 カミュが、君に飛び立つ翼を与えたなら、俺は君にその翼を休ませる方法を教えてやろう。
 両方持っている君はもう怖いものなしだ。
 その翼は折れることなく、いつでも、どこへでも飛んで行ける。


「氷河。俺は君が好きだよ」

「……おれは……」

「わかってる。君の心はカミュのものだ。君はそのままでいていい」

 氷河が困って俯いている。

 ミロは笑って、その耳に唇を寄せた。軽く甘噛みして囁く。
「だから、今日も『カミュ』が君を抱いてやろう」

 氷河から返事はなかった。