アイザックの事故から聖戦までを原作沿いの流れの中で個人的解釈により大いに捏造
第一部カミュ氷/第二部ミロ氷
改稿前の2011年初出作品
◆第二部 04◆
林立する墓標。
友の名がそこへ加わってからは特に胸を締め付けられる光景だ。
ミロはゆっくりと階段を下りながら、その名を探す。
柔らかい土を踏みながら進むと、それはあった。
ミロの予想どおり、カミュの墓標には一輪の白い花が捧げられていた。
その花は美しい姿のまま凍りついている。
日の光の下でも溶けないままだ。
カミュをのぞいては、こんなことができるのは一人しかいない。
「……よう」
一言、声をあげたきり、言葉が続かない。指先で刻まれた名前を何度かなぞる。
カミュ。
どうしたらいい。
後のことは任せるってこういう意味か。
お前、知ってたのか。
お前を喪った氷河がどんなふうになるか。
だったら、俺はお前を初めて恨む。
……いや、悪い。
やっぱりお前のせいじゃない。
お前はアイザックのことまでは知らなかったはずだ。
だからお前は悪くない。
悪いのはやっぱり俺だ。
お前ならどうする。
俺にはどうしていいかわからない。
教えてくれ。
教えてくれよ、カミュ。
あたりは静寂したままだ。
ミロは慰霊地の入り口の階段へ腰を下ろし、ぼんやりと墓標を眺める。
昨夜の、血まみれの拳の衝撃からまだ抜け出せない。
「……ミロ」
背後から声がかかった。座り込んだミロの上に影が落ちる。
振り向かなくても声でわかった。
ミロが待っていた人物だ。
「お前ならここへ来るかと思っていた。……アイオリア」
アイオリアはその言葉を意外そうに聞いた。
「俺に何か用か……?」
ミロの様子がいつもと違うことに気づき、アイオリアは歩みを止め、ミロの隣に腰掛ける。
しばし無言で二人で立ち並ぶ墓標を眺める。
ミロが口を開くまで、アイオリアは辛抱強く待った。
やがて、長い沈黙の末、掠れた声でミロが言った。
「アイオリア……誰かを……大切な誰かを失った時はどうやって立ち直ったらいいんだ。お前はどうやったんだ。……教えてくれ」
アイオリアは少し驚いた。
彼の兄のことは、聖域では誰もがなかったこととして触れようとしなかったからだ。
直接こんなふうに聞かれたのは初めてだった。
だが、不快ではなかった。なかったことにされるよりはずっといい。
「さあ……俺は幼かったからな。泣いたり、当たり散らしたりしたような気がするな。お前にも当たり散らしたような気がするが……」
そう言って、アイオリアは少し恥じたように目を伏せた。
ああ……そうだった。
ミロもかすかに覚えている。
あの頃のアイオリアは誰も近寄らせない、手負いの獣のようだった。
「俺は怒っていた。兄に対しても、周囲に対しても自分に対しても。なんでこんなことになったのかわからずに。あの時は苦しかったな。……でも、今思えば、怒るという激しい感情は、ただ哀しむだけよりは、前に進む原動力になったかもしれない。一番苦しい時を抜け出したら、後は、時間が解決してくれる。今は……そうだな、時折、在りし日のことを思い出して気持ちを慰めている」
「思い出してもいいのか……思い出すことで傷が深くなったりしないのか」
「さあ……どうだろう。思い出しても、思い出さなくても、そこに傷があることにはかわりない。未だ痛みを伴う傷口を無視し続けるのは不自然だ」
「それが……もし、自分が殺した相手でも思い出した方がいいと思うか……?」
「なんだ?カミュの話じゃなかったのか?」
アイオリアは驚いてミロの方を見た。
てっきりカミュの話だとばかり思っていた。
ミロは墓標を見るともなく見ている。横顔がいつになく苦しそうだ。
「いや、カミュの話だ」
「でも、カミュは……ああ……お前の話ではなかったのか」
ようやくアイオリアはミロが誰の話をしているのかに気づいた。
そうか、自分のことではないからそんなに苦しそうなのか。ただの感傷ではなかったのか。
「殺したことが、彼とカミュの関係の全てではなかろう。その前に何年もの時間が積み重ねられているはずだ。思い出すことは悪いことではない。兄の場合も、裏切り者として死んだことが全てではなかった。それ以前の優しく気高かった兄の思い出があったから、俺は逃げずに向き合えた」
「そうか……」
「おい……大丈夫か?」
いつになく真面目なミロの様子にアイオリアが心配そうにその顔をのぞきこんだ。
「ああ、大丈夫だ……俺はな。……悪かったな、ひきとめてしまって」
そう言って、ミロは立ち上がり、戸惑っているアイオリアに背を向けると慰霊地を後にした。
俺のやり方は最初から間違っていたんだな。
ミロは、「カミュ」を封印した。触れないように。思い出さないように。
だが、もしかして、もっと素直にカミュを思い出させるべきだったのか。
最初に俺が間違ったから、そのせいで泣くに泣けなくなってしまったのか。
あの、拳。
必死に何かを耐えている。
鬱屈せずに、感情を爆発させればあんなふうに心を閉ざすことはなかったのか。
氷河。
俺には察してやることはできない。
君のことを何も知らない。
カミュとは違って。
何を考え、何を我慢しているのか。
俺は、君のことが知りたい。
シベリアへ戻る、と言った彼を引き留めた。氷河は逡巡しながらも残ることを選んだ。
待つもののいないシベリアではなく、ここを選んだのは、君なりのSOSだったのか。
君ももしかして、本当は泣きたかったんじゃないのか。
張り詰めすぎて、泣くきっかけがわからなくなっているんじゃないのか。
ミロは、ふうっと大きくため息をつき、天を仰ぐと、天蠍宮へと足を向けた。