お話と言えるほど体裁は整っていないネタ集のようなもの
(基本的には雑記です)
潜入捜査官ミロ妄想。ミロ氷ベースの氷河総受風味。
設定の性質上、反社会的行為に関する記述が多数表現しますが、それらの行為を肯定する意図は全くありません。
◆潜入捜査官ミロ ⑥◆
金属的な衝撃音が空気を震わせたのをミロの耳は敏感に拾った。
まだ喧噪の最中にいる対岸ではない。もっと近く。
碁盤の目のように並んだ倉庫。
走れども走れども、ペンキの剥げかかった似たり寄ったりの壁が続き、隙間からのぞく景色のどこにも人影はない。
息を吸い込む肺が悲鳴を上げ、こめかみには焦りが滲む。縛っただけの傷口からはまたぞろ血が流れ出し、ミロの視界は時折暗く霞む。
カノンはどこへ向かったのか。
取引を終えた後の移動手段を彼は持っているのか。用意周到に新しい車を用意しているのでなければ、車のある場所からそう遠くへ向かったわけではないはずなのだが。
と、深い切り通しのように両側へそびえ立っていた壁が、前方で不意に途切れ、ミロの視界が開けた。
いつの間にか埠頭の端へ来たのだ。
ろくに整備もされていない外灯はまばらで、その少ない光すらブブ、と頼りない音を立てて消えかかっている。
だが、暗がりに慣れたミロの瞳は向かい合う二つの人影を捉えていた。
外灯の人工的な明かりを受けて鈍く光るブロンドは氷河だ。
その足元へ落ちる影を縁取るように広がっている黒い染みは───血だまりか。
彼の纏うシャツの腹のあたりがそこだけ濡れたように濃く色が変わっていて、それはみるみるうちに広がってゆく。
遠目にも美しい青の視線の先にいるのは冷たい瞳をした緋色の髪の男。
その手に握られている黒光りする拳銃は、せんせい、と自分を見上げる青い瞳に定められたままピタリとも動かない。
氷河の右手にも銃は握られている。
銃口はカミュに定められてはいたが、無機質なカミュのそれとは対照的に、銃身が抑えきれない感情に酷く震えていた。
躊躇いか、恐れか、それとも単に痛みのためか。
「せんせい、なぜですか、俺は……」
岸壁を打つ波音に混じり、氷河の声が風に乗って届く。
「くだらぬ情を捨てられぬのがお前の甘さ。その甘さを抱える限り、この世界でお前は長くは生きられまい。ならばいっそのこと育てたわたしの責任において、今ここで引導を渡すまで」
カミュの長い緋色の髪が、強い海風に巻き上げられて、それはまるで闇の中に鮮血を散らしたような不吉さを二人の間に添えていた。
ミロは建物の角に身を隠したまま、カミュが握る拳銃へ向けて引き金を絞った。
だが、射程距離にはまるで足らない。目測でそれを悟ると、小さく舌打ちをしてミロは構えた銃を下ろした。
「やめろ、カミュ……!」
弾丸代わりにミロが叫んだ次の瞬間、ガン、と暗闇でカミュが構えた銃口が赤く火を噴いたのが見えた。
相変わらず、撃つ瞬間の躊躇いというものが一切ない。
だが、ミロの声に一瞬気を取られたのか、弾道は僅かに逸れ、何もない空間へと吸い込まれるように消えた。
カミュはすぐに体勢を立て直して、氷河へと向かって、パン、パン、と立て続けに追撃をしたが、茫然と立っていた氷河は我に返ったように走り出す。
さすがのカミュの腕でも、闇の中を右に左に動いている物体を捉えきることはできないようだ。
弾を撃ち尽くし、弾倉へ新たな装填をするために、ひととき、銃声が途切れた。
ミロは倉庫の影から飛び出して二人を追う。
装填が終わって、再び容赦なく上がる銃声が氷河を岸壁の際まで追いつめている。
思わずミロは軽く唸った。
人間の心理として追手と逆方向に逃げたくなるのは真理だが、この展開はまずい。この先はもう海しかない。逃げ場も身を隠すものも何もない。
だめだ、そっちへは行くな、氷河。
だが、ミロの思いなどまるで届くはずもない。
氷河の前には朽ちたボートのなれの果てが一艘だけ繋がれた小さな桟橋。
やめろ、というミロの制止も届かないまま、氷河はひらりと桟橋の上へ飛び乗り、そして、腹を庇うようにふらつきながら、振り向いた。
氷河の右手に握られていた銃口は標的を探して、そしてそれは、岸壁の端で、追いつめた氷河を息一つ乱さずに見つめていたカミュの正面で止まった。
「カミュ……」
氷河の表情は見えない。が、声が苦しげに震えていた。
「氷河、それで構えたつもりか。それではわたしを撃つことなど到底できない」
「あなたの言うとおりです……俺にはあなたを撃つことなどできない……」
「ならばお前は何もできずにここで犬死にだ。その覚悟のなさがお前の弱さだ。お前の弱さがお前自身を殺すのだ」
「……ッ……!」
氷河が震える両手で銃を構え直す。
気のせいだろうか。ミロが見つめる先にある強ばったカミュの背中が、何故だか安堵の色に和らいだように見えた。
「終わりにするぞ、氷河」
「……せんせい……!」
カミュもまた左手を銃把へと添える。
同じ構えの相似形。
二人の指先が同時に撃鉄を起こす動作をする。
「やめろ……!」
すぐ傍まで距離を詰めていたミロの鋭い叫びも二人の間を繋ぐ緊迫した糸を切ることはできない。
ミロは堪らず引き金を引いた。
二人を止めるために撃った軌跡はカミュの頬を掠めて、ひと房の髪をはらりと闇へ散らせた。
だが、カミュは微動だにしない。
威嚇では足らない。
氷河、悪く思うな。君に恨まれたとしても、俺は君に生きていて欲しい。
素早くミロは狙いを定め直す。
だが、カミュに定めた引き金を引く前に、ミロの左足に、ドッと重く激しい衝撃があった。
「……うっ……ぐ……っ」
振り向けば、背後の闇にぽっかりとカノンが握る銃口がこちらを向いて浮かんでいた。
「お前を好き勝手にウロチョロさせていいとは言ってないんだがな」
「カノン、貴様……ッ!」
その瞬間、背後で、ガガン、と二つの銃声が重なって響いた。
ハッとして条件反射で振り向きかけたが、カノンの銃口がミロの視線を縫いとめていて離さない。
衝撃から遅れること数秒、左足から上る灼けつく激痛が急速に全身に回る。
銃を構えた腕は下ろさないまま、がくりとミロの膝が地につく。
カミュと氷河はどうなったのか。
───その答えは、カノンがわずかに口元を綻ばせたことですぐに知れた。
「……終わったようだな」
まだ、銃声の残響残る中、ドボン、と大きな質量が海面を割った音が響いた。
堪えきれずにミロの視線が音のした方へ刹那投げられた。
カミュが膝をついて苦しげに腕を押さえていた。
氷河は。
桟橋にあったはずの氷河の姿はどこにもない。
海面に波紋が広がり白い泡がしゅわしゅわと弾けて円を描いていた。
「……ッ……!」
ミロの見せた隙をカノンが逃すはずはない。
「よそ見とはずいぶん俺を舐めているんだな、ミロ?」
ハッと振り向いた時には、被弾したばかりの左足の傷にカノンの固い靴のつま先がめり込んでいた。
「……が……はっ……」
痛みの衝撃で呼吸が止まり、カノンの輪郭がミロの視界で二重、三重にぶれる。
カノンは身を屈め、苦悶の表情を浮かべているミロの前髪を掴んで無理矢理に引き起こす。
「氷河は死んだ。俺も無傷だ。全ては順調だ。それに比べて、ミロよ、お前の頼みの綱はどうしたんだろうな?あの無能なイヌどもは?」
『イヌ』を酷く侮蔑的に発音してカノンは嗤う。
ミロは激痛に途切れがちの意識を繋ぐことに必死で口を開く余裕はない。
ふん、とカノンは無造作に掴んでいたミロを地面へと投げ落とす。
「吠えることもできんか、ミロ。お前とはもう少し遊べそうだと思ったが存外とつまらんな」
ミロが視線だけで見上げたカノンはそう言うと、もう興味を失ったように、カミュ、と今し方、ひとつの決着をつけたばかりの男を呼ぶ。
カツカツと近寄ってきた足音は、いつもの規則正しさはなく、彼の負った傷の深さを物語るように乱れていた。
カノンは低く笑って、カミュを見る。
「酷いなりだ、カミュ。なぜ小僧に反撃させてやった。お前なら最初の一発でしとめられただろう?」
カミュはポタポタと血の滴る左上腕部を器用に口をつかってハンカチで縛り上げながら、チラリとミロを見た。
「少々痛みは伴いましたが、余興に時間をかけたおかげでしぶとい鼠をあぶり出せたようですが」
そこまで読んでいたのか?お前は時々怖いぞ、とカノンは鼻で笑いながら、来い、カミュ、と倉庫の方へ向かって歩き始める。
後を追いながらカミュは、ミロを追い越しざまに「殺しておきますか?」と彼に銃口を向けた。
カノンは僅かに首を傾けてミロを見、捨て置け、と首を振る。
「そいつは負け犬だ。せいぜい地べたへ転がって指をくわえて見ているしかできまい。ミロ、しっぽを巻いて逃げ帰ってお前の飼い主に告げるがいい。世界を動かしているのはこのカノンだ。……薄汚い犬畜生のお前達じゃない、とな」
二人はミロに背を向けて去っていく。
「止まれ、カノン……ッ、止まれ、カミュ……ッ」
ミロが制止のために二人へ向けて撃った弾丸は、彼らの足元で跳ね、だが、何事もなかったかのように二つの姿は暗がりへと消えていった。
くそっ……!
痛みより何より、怒りと屈辱感でミロの瞼の裏が真っ赤に染まる。
ミロは乱暴な仕草で、またシャツを裂いて左の大腿の止血を試みる。
肩の傷よりも至近距離で撃たれた分だけ深手だ。
相当な血が失われたことが冷たく震える指先と霞む視界でわかる。
意識があるのが不思議なほどだったが、ミロを衝き動かしていたのは激しい感情だ。
氷河は。
腹を撃たれて海に沈んだ氷河はもう───
なぜなんだ。
誰をも信頼していないカノンはともかく、カミュ、なぜお前は平気なんだ。お前ほどの男、氷河の代わりにカノンを撃つだけの技量はあっただろうに。なぜそこまでカノンに従う。
どうすれば氷河を救えたのか。
激しい喪失感と無力感に苛まれる。
だが、不思議に、氷河を追って徒に夜の海に飛び込まないだけの冷静さはあった。(冷静にならざるをえないだけの深手を負った、とも言える)
氷河と己の怪我、海に沈んでからの時間、暗闇、濁って視界を隠す海水、すべては絶望的だった。
だが、だからと言ってミロが全てを諦めているかと言えばそうではない。
ミロはぐっと膝に力を込めて立ち上がる。
視界がずいぶん暗いのは、外灯がないせいなのか、自分の身体が限界にきているのかはわからない。
だが、まだ───動ける。
残された僅かな力をミロは己の命を救う方向には使うつもりはない。
あいつらをこのまま野放しにはさせるものか。
氷河、君の命をなかったことになど、そんなことは絶対に───
哀しみに浸るのも、己の無力さを責めるのも、すべてはそれからだ。
ひび割れた舗装の道の上へ、彼らが通った軌跡どおりに転々と赤い血が続いている。
まるで、ミロに行き先を示しているかのように。
ぬかったな、カミュ。
お前らしくもない。
手負いの俺の追跡など取るに足らぬ、と痕跡が残ることを気にも止めなかったか?
それとも、氷河を殺して少しは動揺しているのか?
だとしても同情する気にはなれない。
狭い路地にカミュの残した赤の軌跡の上に、ミロのものが点々と混じっていく。
暗い海面はもう何事もなかったかのようにただ静かに凪いでいる。