寒いところで待ちぼうけ

ネタ


お話と言えるほど体裁は整っていないネタ集のようなもの
(基本的には雑記です)

オメガバース設定の学園もの妄想。カノ氷に始まり、ミロ氷を通って、最後はカミュ氷。

特殊な設定のため、社会規範に反する記述も登場しますが、それらの行為を肯定する意図は全くありません。完全なる異世界ファンタジーとしてお読みください。



◆トキメキ☆聖闘士学園~なんちゃってオメガバ~ ⑦◆

 寝不足のせいかな。少し息が切れるのが早くなってきた。
 アップ代わりに何往復か水をかいた後で、氷河はふう、と息をついてプールの端で水底に足をつけた。
 本日は土曜日。
 様々な部が共用している体育館やグラウンドと違って、プールは水泳部の独占状態なので、授業のない日は朝から夕まで練習がある。
 正直、体力がある方とは言えない。
 以前はへとへとになりながらでもこなせた一日練習が近頃はどうも難しい。
 本当であれば、良質な食事をとって、睡眠時間を確保して、きちんとした身体を作らなければならない大事な時期なのだとわかっているが、忙しすぎて食事にまで気が回らない。
 授業に部活、バーで少ない愛想を振りまいた後は洗濯物をコインランドリーへ放り込んでいる間に必死に課題、早起きして新聞配達がてら体力向上のトレーニング。とても自炊どころではない。
 三食すべてをパンに牛乳で済ませたり、コンビニに寄る時間すらなければ食事を抜いたり、と、あまり望ましくない生活をしていることは自覚している。(でも、カノンに忠告されたとおり煙草は吸っていないし、ミロの助言に従ってあんな仕事のわりに酒も口にしていない。……学生の身では当たり前なことだが、ほかに、自分の生活態度で胸を張れるところは何もない)
 プールをぐるりと囲う金網フェンスの向こうで、野球部が練習をしているのが見える。
 ジャージ姿で帽子をかぶったミロがノックを打っていて、見学の女生徒がきゃあきゃあと黄色い歓声を上げている。どう見ても、エースより顧問の方に歓声が集まっているのに、視線を一身に集めていることなど気づいていないかのように愛想の一つも振りまかない。
 爽やかかつ硬派、理想的な真面目な教師の姿だ。───昼間限定で、だけど。
 校則違反を見逃してもらっている俺が言うのも変だけど、ああいうの、いいんですか、先生なのに。
 そう氷河が言ったのは、ミロとバーで出会ってから、何回目かの進路指導でのことだ。
 何事もなかったかのようにしれっと教師の顔を続けているミロは、そのくせ、毎日のようにバーに通ってくるようになっていて、一体このひとはどういうつもりでいるのだろう、俺はいつ退学になるのだろう、と、落ち着かなさのあまりに思わず聞いたのだ。
 だが、ミロは、ちらと氷河を見やると、「なんのことかわからんな」とけんもほろろに退けて、成績が伸びていない、このままでは第一希望どころかどこにも受からない、とお小言をくれたのだ。
 それはそれで間違っていなくて痛い指摘ではあるわけだが、だからって、というか、だったらなおさら、お咎めなしでスルーされているのが解せない。
 それでいて、バーに来たら来たで、「かわいいバーテンダーの顔を見なければ一日が終わらなくてね」などと歯が浮く台詞をさらりと吐いて甘い笑みを浮かべ、氷河の手の上へ己の手のひらを重ねるものだから、氷河の方が混乱する。マスターがいなければ、その理屈なら、あなたの一日は毎日午前8時半にはもう終わっていてもいいはずですけど!?と、突っ込むところだ。
 去年のバレンタインだって職員室前にものすごい行列ができていたのに、悪いが生徒からは受け取れない、なんて毅然と断って、そこがまた硬派で素敵、と女子生徒のハートを鷲掴みにしていたのに。煽るような流し目と甘い言葉で人を惑わせっぱなしで、これが本当に同一人物だなんてどうして信じられるだろう。
 一度、マスターに聞こえないよう小声で、俺はあなたの生徒なんですよ!?と言ってみたことがあるが、そうなのか?だったら俺は学園に校則違反を通報しなければならないが……などとわざとらしく驚くふりをするものだから、憎らしい。
 ただ───ミロのそうした態度で氷河が救われていたのは確かだ。
 連日のアルバイト生活にさすがに疲れて、授業中居眠りをしてしまっても、ほかの生徒同様にすごく厳しく叱るくせに、アルバイトを辞めろ、とは一切言わない。どうしてアルバイトをしなければならないのかの詮索もなく、氷河がオメガ性であることまでまるで忘れてしまったのか、そのことに言及されたこともない。
 単に、厄介な生徒の指導が面倒で見て見ぬふりをしているようにも見えるが、その割に、彼は、あれ以来毎日、氷河の勤務が終わるまでバーで酒を呑んだ後は、自宅まで必ず送り届けてくれるのだ。
 それが、教師としての責任感(酒つきアルバイトを黙認している時点で教師としての方向性はおかしいような気がしているけれど)から、なのか、それとも冗談めかした言葉のとおりに下心があるから、なのか、氷河は未だに見極められていない。
「毎日毎日、悪いよ」
 教師の給料がいくらか知らないが、終電で氷河を送ったあとはきっとタクシーを使っているのだろうからバカにはならないだろうと思って、そう言うと、ほら、君はそうやってすぐ送り狼に絆される、と言ってミロは笑った。送り狼だと自称しながら、一度も部屋には上がり込まないにも関わらず。
 ああいうバイトはよくない、と言われたなら、物分かりよく頷いたふりをして、きっと別の夜の店をこっそり探していたに違いないことを思えば、そうやって、うまく監視されているのかな、そういうところはやっぱり教師なんだな、とも思うし、その恰好はそそられるな、と吐息がかかる距離で囁かれたりなんかしたら、いや、もしかして本当に送り狼のつもりがあるのだったりして、とドギマギしたりもする。
 恋愛どころか、ろくに人づきあいの経験もない氷河では、ミロの真意が読み取れるはずもなく、ただただ翻弄されるばかりだ。
 毎日自宅までミロに送ってもらっていることが黄色い歓声を上げている彼女たちに知れたら、俺は殺されてしまうのではなかろうか。守ってもらわなければならないようなか弱い女の子でもないのだし、もっと毅然と、送りはいらない、と、断らなければならないのかもしれない。
 水につかったままプールの縁へひじをついてぼんやりグラウンドを眺めていた氷河は、ざり、と紫外線で表面がざらついた樹脂床を踏むサンダルの音で、ハッと顔を上げた。
「アップは済んだか」
 羽織っていたプールサイドコートを脱ぎながら問うカミュに、氷河は、は、はい、と声を上ずらせた。
 平日練習は白衣姿のままプールサイドから指導するカミュは、休日の一日練習時には予定がない時限定だが自ら水に入るのだ。
 先週はテスト期間で部活も休みだったから、久しぶりに見るカミュの水着姿に、知らず、氷河の頬には熱が上る。
 星矢が変なことを言うから。
 ヒートを起こすきっかけになった会話は今も氷河を動揺させている。
 ちらと横目で見るカミュの身体は、無駄な肉のない細身でありながら、必要なところに必要な筋肉がまるで計算されつくしたかのようにくっきりとついていて、やっぱりすごくきれいだった。
 爪先からするりと水に入ったカミュは、氷河に、続きを、と促す。
 雑念を振り払うように水をかいてみても、隣のレーンで己を見つめているカミュの視線を感じればどうにも落ち着かない。
「フォームが乱れている」
 コースロープをくぐってカミュが氷河の傍に近寄る。
「肘は自分の身体に沿うように……こうだ」
 カミュの手が氷河の肘へ触れた。
 この中心線を意識して、と、さらに肩へとすべる指の動きに、氷河の心臓はバクバクと壊れそうなほど音を立てた。
 いや、俺、おかしいから、これ、普通にただの指導だから!
 前は平気だった。
 口で説明してもわからないような微妙な崩れを、もう少しまっすぐに、と、触れて修正してもらうことはよくあって、いちいちドキドキしていたら始まらない。
 今だって、時折来るアイザックとは、お前の腹筋、前より割れたんじゃないか?などと言い合って触りあいをすることもあるが、そういうのは全然平気だというのに。
 なのに、なぜか近頃はカミュの全てに心拍が上がってしかたがない。
 傍に寄られては、水の中を揺蕩うカミュの赤髪が氷河の身体にまとわりついて、その艶めかしい柔らかさにおかしな熱が起きてしまいそうで、すごく動揺する。
 星矢のせいだ。それとも……ミロのせいかも。あのひとが、俺を惑わせるようなことばかり教えるから。
「……………氷河、雑念が多い」
「……っ、あ、は、はい!」
 まさかこの不埒でいけない頭の中が全部外へ漏れ出ているわけではないだろうな、と、聡い顧問に少し慄きながら、氷河は雑念を振り払うように、水をかき続けるのだった。

「休憩にしよう」
 カミュがそう言ったのは、ランチタイムを告げるチャイムが校舎に響いたからだ。生徒のいるいないに関わらず決まった時間に鳴る鐘の音は、時間の区切りごとに少しずつ音色が違っていて、時計を見なくても今が何時だかわかるようになっている。
 先にはしごを使って水から上がったカミュが、続く氷河に手を差し伸べる。
 ……わかっている。
 前に氷河がここで滑って足を切ったことがあるから、だから、カミュは、顧問として、怪我をさせないように細心の注意を払ってくれているだけだ。
 手を取りながらドキドキしてしまうのは、だから、やっぱりミロが悪いのだと思う、と、氷河は既に練習が終わって片付けが始まったグラウンドの方をちらりと見やった。
 ミロが、甘い言葉を囁きながらまるでエスコートするみたいに氷河を扱うものだから。似た仕草に、うっかり甘さを見てしまうだけだ。そんな意図、カミュには決してありはしないというのに。
 勘違いするな、俺。
 カミュはフェンスにかけてあったプールサイドコートを羽織りながら、濡れた髪をひとつにまとめようとしている。
「休憩は1時間だ」
「はい」
「そういえば、お前は、昼をどうするつもりだ」
「あー、と、何か適当に……コンビニでも行きます」
 平日は人が少なくなった遅めの時間帯の学食(遅い時間はカレーしか残っていないが、人が多い時間は未だに苦手だから毎日カレーでいい)か、やっぱり人が少なくなった時間帯の、棚ががらんとした購買を利用しているが、休日だとどちらも閉まっている。
 学園の敷地を出てすぐにコンビニがあるため、休日の部活動の生徒の栄養補給源は、だから、もっぱらそこの弁当だ。
 コンビニまで行くとなると水着のままではさすがに躊躇われるため、着替えなければならないのが面倒で、昼は抜きでいいか、と内心では思っていたが、前にそう答えたら、休憩時間がまるまるなくなるほど長いカミュのお小言を聞く羽目になったため、氷河も少し学習したのである。
「まだ用意していないのならちょうどいい。わたしの昼をもらってもらえると助かるが」
「えっ」
「アフロディーテに理科部会の打ち合わせを兼ねてランチをつきあう約束をしていたのをすっかりと失念していた。弁当を持ってきてしまったが、このままでは傷んでゴミになる」
 アフロディーテというと、生物の教師だ。理科の教師同士、よく二人が話をしているのは見かけている。
「でも……いいのですか」
「構わない。……まあ、わたしが自分の腹を満たす程度にあり合わせを適当に詰めてきただけだから、弁当と言えるほどたいしたものではないが」
 少し待っていなさい、と、プールサイドから消えたカミュはすぐに戻ってきて、氷河に薄水色の包みに包まれた箱状の物体を渡して、わたしが戻らずとも時間が来れば再開しているのだぞ、と言い残して、そして去っていった。
 残された氷河は両手の中の包みをじっと見つめる。
 カミュ先生の、お弁当……?
 ───それも、たぶん、お手製の。
「~~~~ッ!」
 ずいぶんと遅れてやってきた理解に、普段のクールな貴公子面はどこへやら、氷河は声を出さずに身もだえた。
 それだけでは足らずに、そうっと弁当包みを床へ置くと、わーっと奇声を上げて、今しがた上がったばかりのプールの中へと飛び込んだ。(ちなみに飛び込みは禁止されている)
 自分でも何がしたいのかわからなかったが、この興奮する出来事にとてもじっとしていられなかったのである。
 主人の帰宅を喜んで駆け回る犬のように、ざばざばと飛沫を上げて無意味に五往復ほどしたところで、ようやく少しだけ最初の興奮がおさまって、氷河は改めて水から上がった。
 濡れた身体を犬のようにぶるぶるっと振って飛沫を飛ばしておいて、それから、弁当包みを持ち上げて、プールサイドのベンチへと向かう。
 感動に打ち震えてしばし弁当包みを見つめ、きっちりと角と角がそろって左右対称に結ばれた大判のハンカチに、すごい、これは紛れもなくカミュ先生のお弁当だ……!と、氷河はまたしても身もだえた。
 なぜ氷河がそんなに感動しているかと言えば、カミュは全く、これっぽっちも、プライベートを見せることがないからだ。どこに住んでいるのか、家族はいるのか、好きなものはあるのか。たいていの教師が授業の合間に花咲かせるような雑談をカミュは一切しない。それは、氷河と二人きりで、授業のときよりやや柔らかな空気を纏っている時ですら同じだ。
 家庭の陰が一切しないから、多分、独り身なのだろう、と予想はしているが、いつもきっちりアイロンのかかったシャツに磨かれた靴、よく気がつく世話好きのステディがいます、とか、実はすごいセレブで使用人が数十人います、と言われても驚きはない。
 でも、今の言い方は、多分、自分で作った、みたいな言い方だった。
 カミュの台詞を反芻して、うん、勘違いではなく、確かにそういうニュアンスだった、と氷河は頷く。
 自炊にお弁当。
 秘密のベールに包まれたカミュのプライベートを覗き見ているようで、これがドキドキせずにいられようか。それまでまるっきり風景の一部でしかなかった担任教師のプライベートに遭遇したのだって、相当にドキドキしたというのに。
 正直、嬉しすぎて記念に持って帰りたいくらいなのだが、たった1時間しかない休憩時間、いつまでも弁当包みを前に感動を噛みしめているわけにもいかない。
 いただきます、ととりあえず合わせた手が興奮で若干震えてしまう。
 氷河は弁当箱を包んでいた薄水色のハンカチをそっと解いた。
 二段かな、と予想していた弁当箱が三段だったことに、おお、と育ち盛りの男子高校生らしく主に食欲の面で期待が高まる。
 カミュ先生の「あり合わせ」ってどんなのだろう。
 体育会系の男らしく、一段まるまる白飯、もう一段にひたすら肉、とか。
 それとも、執務の合間に手軽につまめるサンドイッチ、とか。
 なんとなく健康にはすごく気をつかってそうだから、三段ともサラダだったりして。
 様々なことを考えながら、ドキドキして蓋を開けて、そして氷河は声を失った。
 一段目には俵結び。それも梅と青じそとじゃこの混ぜご飯と、鮭と錦糸卵の混ぜご飯の二種類。きれいに互い違いに並べて。
 二段目には、じゃがいものおかか煮、ほうれん草の胡麻和えに、ブリの照り焼き、ささみのチーズベーコン巻き、定番のたまごやき、仕切りは彩り添えるフリルレタスで。三段目は、ブロッコリーとトマトのマリネにフルーツ。
 料亭の仕出し弁当もびっくりの超がつく本格的な豪華弁当だ。
 これ、が、あり合わせ……??
 あり合わせというのは、つまり、ええと、特別に準備したものではなく、たまたまそこにあっただけという意味で。
 カミュ先生って……カミュ先生って……!
 オンもオフも関係なく、きちんとした生活を送っていることが垣間見える、いかにもカミュらしい弁当に、氷河はすごい、すごい、と尊敬と憧れに瞳をキラキラさせながら、箸を取り上げ、いただきます!!ともう一度大きな声で言って、深々と頭を下げたのだった。



「あれ、カミュ、お弁当なのかい?珍しいね、どうかしたの」
 園芸部の生徒とともに自慢のバラ園の管理を終え、職員室に戻ったアフロディーテは首を傾げた。
「別に……昨日作りすぎたので消費しようと思ったまでだ」
 部活の途中で抜けて戻ったのだろう。珍しくジャージ姿のカミュは、いつもどおりの愛想のなさで箸を休めることなくそう言った。
「作りすぎたので、ねえ……」
 そのマリネの野菜の瑞々しさは、昨日というより今朝漬け込みました、みたいに見えるけど?なんて、問い詰めてみたいところだが。
 この几帳面な男が一人分の分量を誤って「作りすぎた」事態が起きることがまずそもそもおかしいし、日ごろは食事をとる間も惜しみ、コーヒーを昼飯代わりにして、授業の準備や部活動の指導案作りに精を出していることも珍しくないことを知っている以上、言葉通りに受け取るほど鈍くない。
 だいいち、見間違いでなければ箸を口に運ぶ横顔がうっすらほころんでいた。
 誰かからの差し入れだとしたら冷やかすのは野暮というものだが、浮いた話のとんとない、ストイックな化学教師がいったい誰からどんな顔で弁当を受け取ったのか気になっても責められるものではないだろう。
「……………アフロディーテ、誤解だ」
「あれ、何も言っていないのに」
「目が言っていた。週末だから気分転換にいろいろ作ってみただけだ。正真正銘わたし自身でな。レシピも言ってみせようか」
「なあんだ。堅物カミュにも春が来たのなら、わたしのとっておきの薔薇をお祝いに切ってあげなくちゃと思っていたのだけれど」
「余計な世話を焼く暇があるなら、今月の部会の日程をさっさと決めないか。第2理科室が改修工事で使えなくなるから授業場所の振り替えを早急に固めなければならない」
 なんだかうまく話を逸らされた気がするけれど、ここは引いてあげようか、とアフロディーテは花がほころぶように笑って、そうだね、いつにしようか、と手帳を開いた。



 プールに戻ったカミュは、水の中に誰の姿もないことを発見して、眉を顰めた。
 時計を見て、休憩時間が確かに終わっていることを確認して、もう一度プールを見たが誰もいない。
 氷河は若干時間にルーズなところがあるが、たいてい、休憩時間は早めに切り上げて水の中に入っていることが多いのだが。
 不審に思いながらプールサイドに目をやれば、ベンチの上によく知るブロンドが横たわっていた。
 具合でも悪いのかと、少し慌てて近寄ってみれば……
 ベンチの上に寝そべった氷河は、すやすやと眠っていた。
 傍らには、おそらくは、元の通りに包みなおそうとして失敗した、歪な結び目のお弁当包み。
 持ち上げてみたが、わざわざ開いて確認せずとも空だとわかる質量しかない。
 きっと朝食も夕食もろくなものを食べていないに違いない、あれもこれも必要だ、と思っているうちに三段重になってしまい、いくらなんでも量が多すぎた、残していいと言うべきだったか、と思っていたが、どうやらきれいに食したらしい。
 カミュは、思わず、ふ、と頬をほころばせた。
 氷河は日ごろどんな生活をしているのか、このところ、食事どころか睡眠もまともにとっていない様子で、カミュと二人きりの個別授業の時でさえうとうとしてしまう始末であったから、しっかり運動をして腹が満ててしまえば眠くなるのは全くもって自然の摂理だ。休憩時間を過ぎ、こうしてすぐ傍に立っていても気づかぬのはいただけないが、それほど疲れているのだと思えば、せっかく寝入っているのを起こしてしまうのも、憚られる。
 よほど深く寝入ったか、長い睫毛はぴくりとも動かず、唇は無防備に開き、薄く筋肉のついた胸がゆっくりと上下している。
 休憩中は身体を冷やさぬように、と、毎度厳しく言っているのだが、ロッカールームに戻るのを横着したのだろう、水着の上には何も纏わぬままだ。
 風邪をひくような季節ではないが、それでも───
 ここは、往来から丸見えだ。
 今も、通りかかった近くの学校の制服を着た生徒が、見て、すっごいきれいな子が寝てる、かわいくない?とこそこそと耳打ちをしている。
 だからフェンスに目隠しの覆いをつけるように理事長に進言したのに、とカミュの意識は苛立ちでざわざわとささくれる。
 ただでさえ、盗撮のリスクの高い道路縁の屋外プールに、少し見ないほど整った容姿の氷河が立っていたら不埒な輩に目を付けられないとも限らないというのに。
 経費節減ですから、と、一向に聞き入れてもらえないため、氷河の方へ自衛させるべく、口をすっぱくして上を着ろ、身体を冷やすな、と言い続けているのだが、困ったことに氷河はしばしばこうして横着をしてしまうのだ。
 カミュはため息をついて、己が羽織っていたプールサイドコートを脱ぎ、氷河の身体へと掛けた。
 衣擦れの音に目を覚ますかと思えば、んー、と鼻に抜ける寝ぼけ声を出した氷河はもぞもぞと体勢を変え、カミュのコートの端に、すりすりと顔を寄せるようにして丸くなった。
 どんな夢を見ているのやら、と苦笑して、カミュはもう一度時計を見た。
 生徒たちの間で、己が鬼だと陰口を叩かれていることは知っている。
 だが───
 このまま少し眠らせてやりたい、と思ってしまうのは……甘い、だろうか。
 小一時間も眠れば少しは疲れが取れるだろう。なにも午後の練習をまるまるふいにするわけでもない。
「鬼指導のカミュ」として逸脱しない程度に、ほんの少し。時計を見るのを忘れたふりをすることを自分に許してよいかどうか、カミュはしばし葛藤する。
 だが、迷っている時点で、答えはもう出ていたも同然だった。
 甘いな、わたしも。
 ひと泳ぎして、らしくない甘さなどどこかへ追いやってしまわねば、と、カミュは少し伸びをしながらくるりと踵を返して太陽の光を反射する水面へと向かったのだった。

***

【後日談あるいは行間語り】
 以上、お箸をつかうカミュ先生の違和感がすごいターンでした笑
 このあと、氷河は、カミュ先生の匂いに包まれて起きるわけで、え、ええっ?えええ!?って動揺で真っ赤になるわけですけども、氷河が起きたことに気づいて、水を滴らせながらプールから上がってきたカミュ先生が、正視できないほど艶めかしくて、嗅覚と視覚への強すぎる刺激にもう鼻血出る寸前。思春期だから!
 わたわたしている氷河をよそに、カミュ先生はめちゃめちゃ眉間に皺を寄せて(そうしないと寝ぼけ眼の氷河に笑ってしまいそうになるから)、「我が水泳部は時間厳守が鉄則のはずだが」と開口一番お小言なわけです。鼻血出している場合じゃないことにそこで氷河はやっと気づいて、ざーっと青ざめるのです。先生が眉間に皺を寄せているから、お弁当のお礼とか感想も言い損ねてしまって、俺って最悪だ、と氷河は凹むわけですが、凹んでいるがゆえに、カミュ先生が、時間を過ぎていることを怒っているにしては、その場で叩き起こさず、結構長いこと眠らせてくれたって事実にまでは気が回らない。怒られてはしまったけれども、おなか一杯食べてしっかり惰眠を貪ったおかげで、午後の練習はすごく身体が軽く動きもよくなって、なんだか今日は良かったのか悪かったのかわからない一日だったなあって呑気に思いながら、着替えて、バーへと出勤する氷河なのでした。
 で。そのあとも、休日限定ではあるけれど、時々、カミュ先生、お弁当を「間違えて」持ってきてしまうわけです。
 氷河、カミュ先生って完ぺきなすごい人だと思っていたけど、こんなにしょっちゅう約束があることを忘れてお弁当を持ってきてしまうなんて、もしかして結構、天然?かわいいところがあるかも……なんて思っちゃう。
 いつ気づくのかっていうと、これ、つきあって同棲(するんです、最終的には)するようになるまで氷河、全く気づかない。「明日は弁当はいらない」ってちゃんと毎度申告するカミュ先生に、氷河、懐かしい思い出話のつもりで、「先生、前はよく忘れてお弁当持ってきていましたね」などとくすくす笑うわけ。カミュがちょっと虚を突かれた顔をして(だってあんな下手な言い訳、カミュとしては、一度は通用しても、そう何度も通用しているとは思っていない。でも、立場上、例えバレバレでも下手な言い訳もなしに一生徒に弁当を作ってやるわけにもいかなくて。そんなカミュの気持ちを氷河はちゃんと理解していて、だからこそ、気持ちが通じ合ったのかと思っていたのに、氷河ときたら、カミュの言葉をそのまま言葉通りにしか受け取っていなかったということをカミュはここで知るわけで)、「……そうだな」って言うから、あれっ、今の間は何だろうって氷河は少しひっかかって、一晩かかって考えて、えっ、あれはもしかして、と数年越しにようやく気づく。
 そう言えば、一緒に住むようになって知ったけど、カミュ先生って別にそんなに料理が得意でもまめってわけでもない。化学教師なので、くっくぱっどを見ながら、きっちりレシピ通りに仕上げるのは朝飯前だけど、逆に言えば、レシピなしで料理しているのを見たことがない。残業で遅くなって一人だけ食事をしないといけない時なんか、腹が満てれば何でもいいとばかりにシリアルで終わらせてしまうことすらあるほどで。つまり。自分一人の腹を満たすためだけに、あんな何種類ものおかずの詰まった弁当など、作るようなことはしそうにないわけで。それって。それって。
 気づいたらもう、ぶわーっと愛おしい気持ちがこみあげて、氷河、玄関先で出勤準備で靴を履いているカミュ先生の背中に思わず勢いよく抱きついてしまう。「……どうした、急に」振り向こうとしたら背中にしがみついた氷河が若干涙ぐんで、せんせい、だいすきです、などというものだから、出勤前に玄関先で盛り上がるよね、こうなるとね!!昨日もさんざん盛り上がったのにね!!でも朝だから!!続きは戻ってからだって、濡れた唇を拭って笑いながらカミュ先生が出ていくものだから氷河切なくなった身体を持て余して、カミュ先生の服をすんすんしながらお部屋にこもっちゃう。(思い出したかのように突然出てくるオメガバ設定)
 帰宅したら、カミュの服に囲まれて、とろんとしてる氷河が「……遅いです」なんて責める。「待てなかったのか」「だって先生が朝あんなことするから……」「そうだな、わたしのせいだ。責任はとろう」笑いながらコートを脱ぐカミュ先生に、氷河、それもください、と強請る。せんせいの匂い、すき、とコートに頬ずりする氷河に、中身でなくそちらか、とカミュ先生はちょっと苦笑い。中身は刺激が強すぎてまだちょっと慣れないし恥ずかしいんです、氷河。でも、なんか今日はすっごくすっごくカミュ先生が愛おしくて、欲しくてたまらなくて(ちなみに発情期はまだだいぶ先なので、普通に素でカミュ先生が欲しいわけなのである)、シャワーへ向かおうとするカミュ先生を引き留めて、「せんせい、もう、俺、」とカミュの足元に跪いて……ってこれ、R18表記いるやつー!弁当からだいぶ脱線した。
 いやいや、いいよね、カミュ氷ね!!
 氷河→カミュって、もう憧れ通り越して神格視しちゃってるところあるじゃないですか。で、実際、おつきあいに至った瞬間は、まだ、氷河には神のごとき存在なんですよね。あまりにも大好きすぎて、尊敬しすぎてて。
 うかつに甘えられないし、弱音だって吐きにくいし、もうすぐヒートなのでお休み取ってもらえませんかなんてとてもじゃないけど言えない。なんなら、カミュ先生には性欲がないかもしれないまで思ってるとこある。
 っていう状態で始まるから、一緒に暮らしてみたら、あれっ?なんか、思ってたのと違うな?ってことがたくさん起こるわけ。でもその意外性は幻滅にはつながらない。手の届かない、触れてはならない、神などではなく、甘えてもいいし、もしかしたら自分が支えてあげられるかもしれない、と知ることは氷河をとても幸せな気持ちにさせるに違いない。

 ミロ氷はなんかこう、刺激的な甘みで一気に距離を詰められ、おつきあい前にきゅんきゅんするところを、カミュ氷はじわじわ、ほのかな甘みでいつの間にかなくてはならない存在になっていて、おつきあい後に、ときめきがたくさんやってくる、と思ってます。多分もう何十回も言ってますが、氷河はミロで恋を知り、カミュで愛を知るのですヨ!!どっちのカプもすき!!氷河に幸あれ~。