寒いところで待ちぼうけ

短編:その


12345キリリク作品
お題は「カミュ氷に入りこむ隙のない、氷河へ片思いのミロが、真摯なカノンにほだされているうちにいつの間にか両想いの愛あるお話」でした

カミュ氷、ミロ氷前提のカノミロです。閲覧ご注意ください。

◆星のうた ②◆

 それは数か月前。

 久しぶりにアイザックが来ているから、と、カミュに呼ばれて、カノンは宝瓶宮に顔を出していた。
 宝瓶宮には、アイザックよりは頻繁に聖域を訪れている氷河と、ミロもいた。カミュとは仲がいいことは知っていたので、そう大きな違和感なくカノンはそれを受け止めた。


 アイザックから海界の様子をいくらか聞く。
 自分は教皇の間にいることが多いサガが、双児宮にいろと煩いので、カノンは時折しか海界の方へは顔を出せていない。
 きっかけはどうあれ、13年間過ごした地だ。気にならないはずはない。だが、カノンが海界を気にする素振りをみせると、サガの顏が僅かながら、罪悪感と羞恥と後悔とがないまぜになった複雑な歪みを見せることに気づいてからは、大手を振って堂々と、とはいかなくなった。
 だから、カミュを訪ねて来たついでとはいえ、こうしてアイザックと顔を合わす機会が持てる、そのこと自体は歓迎すべきものなのだが、ただ、それが、カミュの面前で、というのは相当に居心地が悪かった。
 女神のお傍に仕えるためとはいえ、自分が混乱に落としいれた海界を不在にしていることも。
 彼の弟子を、その海界に留めざるをえないことも。
 カミュはいつでも無表情で、非難めいた態度を取られたことなど一度もないが、だからと言って何も感じずにいられるほど鈍感ではない。(そのくらいふてぶてしかったなら、おそらくカノンが海龍となることもなかっただろうが)
 だから、お茶を淹れるために消えていた氷河とそれを手伝うために追ったミロを気にして、アイザックが、アイツ遅いな、俺ちょっと見てきます、と言った時に、いや、わたしが行こう、と声をあげたのだ。
 あなたが?と驚く二人に、たまにしか会えない師弟だ、せめてゆっくり話すといい、と問答無用で席を立った。
 わたしにはそれくらいしか罪滅ぼしの術がない、という一言は言わなかった。言葉にするとずいぶん卑屈に聞こえそうだったからだ。



 キッチンの方角へ進むうちに、怒っているような氷河の声が耳に届き、思わずカノンは足を止めた。

 薄く開いた扉の向こうで、氷河とミロが殴り合っている……ように見えた。最初は。

 そうではないことがわかったのは、顔を赤くしてミロの腕の中で暴れている氷河に、ミロが口づけを落としたからだ。
 とても『挨拶』という言葉では説明できないほどその口づけは深く、どこからどう見ても情愛のそれだった。
 強い抵抗を返していた氷河の動きは次第に抵抗とは言えないほど弱くなり、ミロにもたらされる刺激に膝を震わせて拳を握って耐えている。

 第三者が見るべきものではない、と反射的に踵を返しかけ、しかしその足を止める。

 氷河は……カミュが好きなのではなかったか。
 氷河が聖域に来る時は、カミュがよく白羊宮まで迎えに下りている。とても幸せそうに笑みを交わし、時折、人目を盗むように指先を絡めたりするそれは、単なる師弟を越えたそれに見えたのだが。

 カノンの疑問に答えるように、ようやくミロの唇から逃れた氷河の声が耳に飛び込んできた。冷静さを失ってはいないようで、向こうの部屋にいる師に憚るように控えめな声で抗議している。
「や、やめろよ……どうしていつもこういうことばかりするんだ」
「君が好きだからさ。何度も言ってるだろう」
「俺だって何度も言っている!俺が好きなのはカミュだ。俺の意志に関係なくこういうことしないでくれ」
「君の意志?君だって本心ではこうされることを望んでいるだろう?」
「違う!勝手に都合よく解釈するな。この手を離せ」
「強情だな……いい加減認めろ。本当は俺のことも気になって仕方がないくせに。じゃなきゃ、カミュにすぐ言いつければ済む話だ。それをしないのは、君にもやましいところがあるからだろう」
「やましくなんか……別にあなたのことなんて何とも思ってない。何とも思ってない人のこと、先生に言う必要ないだろ」
「ほう?言ってくれるじゃないか。ならば身体に聞いてみるか。君がいくら否定しても身体の方は正直だぞ」

 扉の向こうで、激しくもみ合う音がして、ガチャンと陶器の割れる音が響いた。さすがに今の音は宮全体に届いたことだろう。

 あのバカが。
 何を考えているにせよ、時と場所を考えろ。

 さすがにカノンも黙っていられずに、わざと派手な音を立てて扉を開いた。
 ミロの腕の中で飛び上がらんばかりに驚いた氷河が赤い顔でこちらを見て、慌ててミロの肩を押し戻す。ミロの方は多分気づいていたのだろう。微動だにせず、ちらりと肩越しにカノンを一瞥しただけだった。

「カノン。……あの、これは」
 氷河の言葉を片手を上げてカノンは止めた。
 別にわざわざ言い訳など聞かずとも、ミロが一方的に構っていたことなどわかっている。
「あっちで茶はまだかと不審がってるぞ。さっさと持って行ってやれ」
 カノンの言葉に、氷河は赤い顔をしたまま、慌ててテーブルの上の茶器を引き寄せ、不器用な手つきでそれらをトレイに乗せ、逃げるように出て行こうとした。
 カノンは自分の腕をドア枠に突っ張って、それを止めた。
 行けっていったのに何故止めるのか、と不審げな顔で見上げた氷河のシャツの襟元を引き寄せ、外れていたボタンを一つ二つ止めてやると、氷河はますます赤くなった。
「そんな顔で行くな。ミロがカップを落とした。だから片付けていて遅くなった。だろう?」
 カノンが低く言うと、氷河は俯いてがくがくと首を振った。
「俺とミロはこのまま帰るから、師弟で水入らず過ごしてくれと伝えておいてくれ」
 氷河は目を合わせないまま再び頷き、廊下の向こうに消えた。

「俺は帰らんぞ。勝手に決めるな」
「まあそう言うな。俺が居心地悪かったんだ。つきあえ」
 動かないミロに代わって割れた茶器を片付けるために床に屈みこむ。
 しばらく無言でカチャカチャと陶器の破片がたてる音だけが響いた。

「……何がおかしい」

 ふいに頭上からミロの声が降ってきた。
 カノンは立ち上がり、ミロの瞳を見返した。
「別に笑ったつもりはないが」
 とは言ったものの、表情に出したつもりはなかったが、正直なところ笑いを堪えていた。
 あんな風に拒絶している相手を、『本心では君は俺が好きなんだ』などと言い切ってしまうミロがおかしかった。
 異性、同性問わず惹きつける魅力のあるミロが言ったのでなければ、自信過剰のとんでもなく滑稽なセリフだ。
 ミロになら、「君は俺が好きなんだ」と言われると、老若男女、もしかして自分はそうなのかな、という気になってしまうだろう。なにしろ太陽のように周囲を惹きつけてやまない不思議なヤツだ。好かれないまでも、人生において誰かに嫌われる、ということなど、おそらく一度も経験しないに違いない。
 氷河も困った相手に好かれたものだ、などとつらつら考えていたのが、どうやら隠しきれず表情に出ていたらしい。

「いいや、お前は笑っている」
 睫毛を伏せたカノンに無理矢理視線を合わせるように、ミロは屈んで掬い上げるようにカノンを見上げた。
「そんなつもりはなかったんだが」
「言いたいことがあるなら隠さず言え」
「……なら訊くが、お前は氷河が好きなのか」
「どうせ聞いていたんだろう」
「お前が知らないはずはないだろう……氷河はカミュの」
「だからどうした」
 カノンにセリフを最後まで言わせずに、言葉を遮ったミロは拗ねたようにそっぽを向く。

 ああ。
 そんな風に拗ねるということは、あの師弟の間に入り込めるとは思っていないわけだ。
 愚かな。
 お前ならどんな相手も手に入るだろうに。
 よりによって、なんで手に入らない唯一の例外のところに行く。
 あの二人の絆は特別だ。死に別れていた期間を経た今となっては、何者も入り込めない。同じだけの期間を一緒に育ってきた、もう一人の弟子ですら、時折複雑な表情を見せて二人の背中を見つめていることを知っている。

「氷河はまだ子どもだろう。あんまり追い詰めてやるな。困っていたじゃないか」
「お前に関係ないだろう。あいつは素直じゃないから心と態度が裏腹なんだ」
 ミロはテーブルに腰掛けて憮然とそっぽを向いたままだ。
 氷河の前では自信たっぷりに尊大な顔を見せているくせに、今の表情はまるで駄々っ子だ。
 お前を赦さぬ、と真紅の爪を掲げてみせた、あの誇り高い男はどこにもいない。
 だが、そのギャップがずいぶんと……かわいい、と言えばこの男のプライドを傷つけるだろうか。
「ミロ」
 名を呼んで、うるさそうに振り向いた顎を捉え、唇を掠め取る。
 ミロは動揺すら見せずにカノンを射るように見た。
「何のつもりだ」
「さあな」
 あちらこちら、好きな方向に巻いているミロのオレンジがかった金髪を掬うと、それは支えを探す蔓のようにカノンの指先にくるくると巻きついてきた。
 その感触がおもしろく、何度か毛先を弄んでいたが、不意にカノンはそれを強い力で引いた。
 一瞬、ミロの上体が僅かにカノンの方に倒れたが、すぐに、ミロはテーブルに座ったまま片足を上げて、カノンの胸を圧し戻した。
 カノンの指が柔らかな巻き毛から離れて行く。
「なんなんだ、さっきから。茶化す気か説教する気かどっちか知らんがどっちもお断りだ」
 ミロの声に苛立ちが滲んでいる。
 カノンの胸を圧し戻していたミロの足が、さらに強い力で蹴りつけてやろうと筋肉を締めた瞬間を見計らって、カノンは後ろに体を引いた。
 不意に抵抗を失って、今度こそミロの身体は大きく揺れた。カノンはそれを抱きとめ、耳元で低く、だがはっきりと告げる。
「あれはカミュのものだ。お前に勝ち目はない」
 ミロが弾かれたようにカノンの手を振りほどいた。
 見返す眼光はますます鋭い。
 幼い頃から競い合ってきた二人だ。
 カミュには勝てない、と言われたことがミロのプライドを刺激したことは、同じように競う相手がいたカノンには容易にわかった。敢えて選んだその言葉に思った通りの反応が返ってきて、あまりの素直さに思わず笑みが漏れる。
 だが、次の瞬間には、ミロの方もカノンに向けて違う種類の笑みを浮かべた。瞳には獲物を追い詰める時の色が浮かんでいる。

「なるほどな。やけに絡むかと思えば……そういうことか」
「なに?」
「カノン、俺を使ってカミュに罪滅ぼしするのはやめろ」
「……罪滅ぼしだと?」
「今、自分で言っただろう。『居心地が悪かった』と。アイザックのことで、カミュに借りがあると思っているな、お前は。だからカミュのために氷河から俺を遠ざけようとしているのさ。違うか?」

 なるほど……お前は鋭い。
 ニヤニヤと軽薄そうな笑みで騙されがちだが、実は人よりずっと敏感に色んなものを感じ取っている。

 ミロは、臨戦態勢で、ほら、来いよ、反撃はどうしたと挑発するように嗤って見下ろし、カノンの次の言葉を待っている。
 ああ、若いのだな、この男はまだ。
 些細な口げんかですら負けることが許せなかった自分の過去の姿と重なり、やはりカノンはふっと息をついて笑った。ミロはそこでカノンが笑うと思わなかったのか、拍子抜けした顔し、それからややきつい口調で言った。
「馬鹿にしているのか」
「いや、すまん。馬鹿にしたわけじゃない。お前が言うとおりだ。俺はカミュに大きな借りがある。だから、この件に関してはお前の味方はしてやれない。悪いことは言わない。届かないものを追うのはやめろ。傷つくのは自分だけじゃない」
「……お前に何がわかる」
「俺だからわかる。何年も届かないものを追って来た俺だから、な」

 ミロが何か言い返そうとしたその時、扉が開いてカミュが顔を出した。手には空になった茶器類の乗ったトレイを持っている。

「……?帰った気配がないから変だと思ったが、いつまでもここで何を……?」
 至極もっともな疑問にカノンは苦笑した。
「すまん。つい話し込んだ。……二人は?」
「ああ、久しぶりに手合せしようか、と中庭に出ている」
「そうか。邪魔したな。今度こそ本当に帰るとしよう」
 お前もだぞ、というつもりでミロの方をチラリと見ると、ミロはカノンに目もくれずにテーブルから飛び降り(カミュの目がそんなとこに乗るなと咎めていた)、カミュの肩を二度叩いて、二人の間を通り抜けて行った。
 だが、扉の向こうに消える直前、振り向いてカノンを見た。
「カノン、お前はカミュに借りなんてない。カミュはお前がうじうじ悩んでいるくだらんことを責めるような男じゃない。だからお前には俺を邪魔する理由はない。……カミュ、カップを割ったのはコイツだ。請求はコイツに回してくれ。じゃあな」
 言いたいことだけ一方的に言って、ミロはしなやかな獣のような動きで去って行った。

 カミュが、何のことだ(そしてカップはあなたが?氷河はミロだと言っていたが?)という不審げな顔でカノンを見た。

 カノンは、唖然とミロの背を見送っていたが、次第に、喉の奥で笑いの発作が起き始め、それはすぐには収まらず、そのうち声をあげて笑い始めた。

 全く……不思議なヤツだ。
 それとも俺が単純なのか?
 ミロは、俺の痛いところをついたくせに、自らそれを帳消しにする一言を残して去って行った。意識しているのか、それとも無意識なのか……。
 どちらにしても、笑いとともに、あの居心地悪さが薄れていく。

 ミロの言ったことは真実なのか、カミュに確かめてみようかと思ったが口を開く直前に気が変わった。カミュが何と言ったところで、それが本心だと言う保証はない。ならば、ミロの言葉を信じているのも悪くない。

「カノン?借りとは何だ?ミロが何かあなたに迷惑を?」
「いや、なんでもない。カップの件は悪かった。後で代わりを届けるが」
「それには及ばないが……」
 カミュはまだ、わけがわからない、という顔でカノンを見ている。
 だが、カノンはカミュの顏に貼りついた疑問には答えないまま背を向け、足早にミロの背を追った。


 カップの濡れ衣をかぶってもまだ釣りがくるほど愉快な気分で石段を下り、天蠍宮前でミロに追いつく。

「しつこいな。追ってきてまで説教か」
「自意識過剰だな。ただの通り道だ」
「嘘をつくな。俺が言ったことが理解できなかったのならもう一度言ってやろう。お前には口出しをする権利などない」
「いや。俺にはそうする権利があるな」
 なんだと?
 ミロの目が細められる。
「俺はカミュのためではなく、俺自身のためにお前の恋路を邪魔するとしよう」
「……どういう意味だ」
「皆まで言わせる気か?意外と無粋だな」
 カノンは、なに?と尖った声をあげかけるミロの後ろ髪を掴んで頭を引き寄せ、耳元に唇を近づけた。
「俺はお前を手に入れるぞ」
 ミロは掴まれた髪の痛さに顔を顰め、カノンの腕を掴み返した。ギシギシと骨が軋むほどの強い力で掴んでもカノンの手は離れてゆかない。
「正気か?」
 仕方なく至近距離から横目でカノンを睨み付ける。
「正気だとも」
「俺が好きなのは氷河だぞ」
「ああ、聞いた。……勝負してもいいぞ、ミロ」
 勝負?とミロが視線で問い返す。
「お前が氷河を手に入れるのが先か……俺がお前を手に入れるのが先か」
「お前……バカだろう。勝敗は俺次第じゃないか。俺が勝たないまでも、負けるわけない。勝ちたきゃ、俺は永遠にお前に応えなければいいんだからな」
「そのくらいのハンデでちょうどだ」
 何だと、とカノンを睨み付けていた蒼い瞳が、やがて、ふっと緩んだ。
「いいだろう。お前のお遊びにつきあってやろうじゃないか。さっきの氷河を見ただろう。すぐに勝負をつけてやる」
「どうだかな」
 カノンはフッと笑って、ミロの後ろ髪を強く掴んだまま、唇に口づけを落とした。
 すぐさまミロの膝がカノンの鳩尾に蹴り入れられる。当たる直前でそれを片手で受け止め、ようやくカノンはミロから離れた。
「『心と態度は裏腹』なんだったな、確か。今のは脈ありということか」
「めでたい奴だな、お前は!」
「そのセリフ、そっくりそのままお前に返してやろう」
 カノンはミロに背を向け、片手をあげて石段を下りた。

 背中の方で、カツカツと宮の奥に去って行く苛立ったミロの足音が聞こえ、カノンは笑った。

 あんなふうにままならぬ想いに身を焦がすお前は全くらしくない。
 勝敗など正直どうでもよかったが、少なくとも今、ミロの頭の中にあるのは俺のことだ。氷河じゃない。
 お前がそれで気が紛れるなら。
 少しは俺も役に立つだろう?