寒いところで待ちぼうけ

パラレル:築会社シリーズ

サラリーマンパラレル
ミロ→カミュ風味かつ、氷河総受気味

アイザックが登場しないのはep1とep2の間にもう1つエピソードがあるからですが、それはまたいずれ

◆ep2 キス×キス×キス ③◆

 翌朝。
 コンペ当日である。
 ダークスーツに細いストライプのシャツ、イタリア製の細身のシルクのネクタイ、といった勝負服を着たミロが建築設計部に姿を現す。
「よし、二日酔いじゃないな」
「言っただろう、大して酔っていないと。今日は坊やを借りてもいいか」
「それは構わない。後学のためにこちらから氷河を同行させることを頼もうかと思っていたくらいだが……でも何故だ?」
 ミロは不敵ににやりと笑った。
「審査する人間がどんなメンバーかわからないからな。俺はたいてい万人受けする優秀な営業マンだが、完璧すぎて、な。同年代の男から嫉妬を受けんとも限らん。そこで、だ。このかわいい坊やが俺の横でウロチョロしててみろ。なるほど、ここの会社を選べば、こんなかっこいい俺様と、こんな可愛い坊やと打ち合わせと称して何度も会えるのだなってことになるだろう」
「お、前と言うヤツは……ッ!そんなセクハラな理由でうちの氷河は貸せん!!」
「おいおい、実際にセクハラされるわけじゃないからいいだろう。利用できるものはとことん利用してやらないとな。同点で拮抗する他社があった場合、お前ならどっちを選ぶ?」
 カミュはしばらく考え、ため息をつきつつ言った。
「わかった。が、実際に何かあったらただじゃすまさんぞ」
「はいはいっと。おい、氷河、氷河!」
 ミロは喜々として、図面や資料を準備中の氷河に寄って行く。
「今日は君が俺の荷物持ちだ!」
「え?俺が?そりゃ……自分たちの設計がどんなふうにプレゼンされるのか興味があったから行きたいなとは思っていたけど……カミュの許可がないと」
「カミュはぜひとも君を同行させてくれとさ」
 そう言って、ミロは氷河を上から下までじろじろと眺めまわした。
「な、なんだよ、いったい」
「初々しいのも悪くはないが……うーん……その野暮ったいネクタイはどうにかならんものか。……よし、いい、ネクタイは俺の予備を貸してやろう。後はそうだな……ちょっと後ろを向け」
「?」
 氷河は言われるままにミロに背を向ける。
 ミロはそばのデスクの上から輪ゴムを取り上げ、氷河の髪をくるくるとまとめてポニーテールにしてしまった。
「な、なんだ、これ」
「うん。これでいい。それでだ、今日は俺が合図したら、お前はなるべく深く頭を下げろ。ちょっとやってみろ」
 なんだ、なんだと疑問に思いながらも、氷河は素直に頭を下げる。ポニーテールにした髪がさらりと前に流れて、白いうなじとそこから続くさらに白い背が少し襟元からのぞく。
 ミロはほくそ笑んだ。
 胸の谷間がないのが残念だが、これで釣れるヤツも一人や二人はいるだろう。
 振り向くとカミュが目を剥いて怒っている。
 ミロは笑ってカミュに近寄り、耳元で「行ってくる。励ましのキスを」と言った。
 カミュは手にしていた製図コンパスでバシッとミロの尻を叩き、さっさと行って来い!と部屋を追い出した。

**

 氷河は大股で自信たっぷりに歩いて行くミロの後ろを資料をどっさり抱えて小走りに着いて行く。
 この人……本当に大丈夫なのかな。
 カミュがあんなに真剣に取り組んでいたものを、こんなふざけた人に託すのはちょっと不安だ。
 レクチャーの時も俺をつっついてばっかりで少しも資料に目を通してなかったし、ちゃんとカミュのコンセプトを理解してくれているんだろうか。
 いざと言う時は……ものすごく頼りないけど俺が代わりに説明した方がまだマシなのかもしれない。

 電車を乗り継いで会場に辿り着く。
 コンペには全部で4社参加すると聞いている。事前に通告されたプレゼンの順番は4番目だということだった。それだけでもう、少し不利だ。
 どうしても最初の方が聞く方も集中して聞いているし、似たようなアイデアが出た場合、先に聞いたアイデアの真似にみえてしまうからだ。
 ミロは飄々としているが、氷河はドキドキして仕方がない。
 入社して初めて関わった大規模プロジェクトだ。政府系の仕事ということは、これを受注できれば莫大な広告効果がある。資金を回収できない、ということもない。政府系の仕事を受けたという実績は今後の信頼性にもつながる。
 単に、額面だけの仕事じゃないことは新人の氷河でもよくわかった。
 勝手に足が震えそうになりながら、控室として用意された会議室にミロの後に続いて足を踏み入れた。
 既に先の3社のメンバーは到着しているようだった。
 他社の顏を見れば、余計に緊張するから見ないつもりだったが、会議室に足を踏み入れた瞬間、氷河の視線は一人の男に釘付けになった。

 漆黒の闇をまとった、あの時の男……!

 陽光の元で見ても、その男はやはり闇色だった。
 しかし、今日はあの時のような禍々しさはない。漆黒のいでたちは同じだが、それぞれ微妙に違う光沢のある生地のせいか喪服のようには見えず、洗練された空気をまとっている。
 だが、長い銀の前髪に隠された目がはっきりと氷河を射ぬくように見ているのを感じて、氷河の足が竦んだ。
 なぜ、ここに。
 やはり、カミュやシュラが心配していたようにストーカーだったのだろうか。
 でも、俺がここに来ることは今朝、ミロの気まぐれで決まっただけだ。俺の行動を読めていたはずはない。
ドアのところで立ちすくんで動けない氷河を、ミロは不審げに振り返る。
「どうした、氷河。緊張しているのか」
 会議室の奥で闇が薄く嗤ってこちらにゆらりゆらりとやってきた。
「これはこれは。こんなところでお会いできるとは奇遇ですねえ。それとも、私のキスが忘れられなくてあなたの方が私を求めてきたとか……?今日はまた可愛いらしい出で立ちでいらっしゃいます。よくお似合いですよ」
 そう言って、闇の男は氷河のうなじを撫で上げようと手を伸ばした。触れる寸前でミロがそれを掴んで止める。
「誰がコイツに触れていいと言った。貴様は誰だ」
 闇の男は唇の端に冷笑を浮かべたままミロの方に体を傾けた。
「おや、今日は保護者がいつもと違うようですね。あなたはなかなかガードが固いからこちらも大変です。ああ、申し遅れました。私はこういう者です」
 そう言って、男は胸元から名刺を取り出し、ミロに差し出した。氷河は横からそこに書かれた文字に目を走らせた。

『株式会社 冥界建設
 設計三巨頭 ミーノス=グリフォン』

 冥界建設!!
 ライバル会社の!!
 氷河は驚いて、ミーノスと名乗る男の顏を見た。
 ミーノスは氷河の反応を愉しげに見て、またくつくつと喉の奥で笑った。
「これから何かとご縁もあることでしょう。こんな可愛らしいお方とご一緒できる機会がたくさんあって、私も嬉しいですよ」
 ミロは相手が差し出した名刺を受取ったまま、こちらからは名乗りもせずにじっとミーノスを睨み付ける。
「今日は、お互いせいぜいがんばりましょうねえ。どちらが落としても恨みっこはなしですよ。勝っても負けても、後で一緒に夕日でも眺めるとしましょうか、キグナス?」
 氷河はハッとした。
 背筋に氷を落とされたかのような悪寒が駆け抜ける。
 ミーノスは、では失礼、と背を向けて会議室の奥へと戻っていく。
 氷河は入り口に立ち竦んだまま、体が瘧にかかったかのように震え出した。立っていられなくなって、思わずミロの腕にすがる。
 肩越しに振り返ったミーノスは氷河のそんな様子を見て、愉しそうに笑い声をあげた。

 ミロはチッと舌打ちをして、氷河を抱える様に会議室から出て、廊下の先、喫煙スペースまで氷河を引っ張って行った。
「大丈夫か?あいつが例のストーカー野郎か?」
「ち、違う、ストーカーじゃない……ストーカーなんかじゃなかった!」
 やられた。完全に自分の失敗だ。
 あの時。
 氷河は鞄の中に、このコンペ用の設計図面のコピーを入れていた。
 社外に持ち出すような性質のものではないことはわかっていたが、カミュに近づきたくて、帰ってから少しでも勉強しようと思って、こっそり持ち出したものだった。
 ミーノスの狙いはそれだった。
 氷河本人ではない。
 氷河の唇を塞いだあの時、どういう方法でかわからないが、きっとあれを見たに違いない。
 氷河の方はパニックだった。鞄が手から離れたことにも気づいていなかったから。
 だから、ミーノスが氷河の気を引いている間に別の誰かが書類を探っていてもわからなかったはずだ。
 家に帰って見た時、紛失しているものは一枚もなかったから少しも気づかなかった。だが、あの短時間でも、図面を写真に撮って、鞄の中に戻すくらいのことはできただろう。
 間違いない。彼らはこちらの企画内容を知っている。
 勝っても負けても夕日を眺めよう、と言った。つまり、彼らはこちらの設計図と同じものをぶつけてくるつもりだ。
 プレゼンの順からして、同じ内容であれば、圧倒的にこちらが不利なのを承知の上で、あえてそうしたに違いない。
 駄目だ、確実にこの仕事は落ちる……!

 ミロの袖にすがりついたまま、氷河は蒼白になって震えている。
「どうした。何があった」
 ミロはその背をゆっくり撫でる。
「俺、俺のミスで……この仕事は落ちます。さっきのあいつら、こちらの企画内容と多分そっくり同じものをぶつけてくるはずです。俺のせいで、多分、情報が漏れた……」
 氷河は途切れ途切れにそれだけ言うのが精いっぱいだ。しかし、それだけ聞けば十分だ。ミロはしばし考え、いや、と顏を上げた。
「落ち着け。まだ落ちると決まったわけじゃない。まずはカミュに電話だ」
「は、はい」
 氷河は震える手で携帯電話を取り出した。表示されたカミュの名に思わず鼻の奥が痛くなる。
 駄目だ、泣くな、俺。

 ──何かあったのか。
 表示された氷河の名を見て、何か感じたのか最初から緊張した声のカミュが出た。
 その声を聞くと、再び体が震えて、声が詰まる。ミロがその震えを止めるように、しっかりと体を抱き締めていてくれなかったら、みっともなく床に膝をついて、カミュ、助けて、と泣きだしそうだった。
「すみません。俺のミスです。どうしよう。俺がうかつだった。ごめんなさい、カミュ、俺のせいです……本当にすみません。あいつの目的は俺じゃなかった。あいつはストーカーなんかじゃなかった。あの一度きりだったのは、目的が俺じゃなかったから……一度であいつは目的を達していたからもう姿を現さなかったんです……せっかくカミュが俺を送ってくれていたのも、全部、無駄だった……」
 ──?落ち着け、氷河。要点はなんだ。
 カミュがどれだけこの仕事に力を費やしていたか考えると、その罪を告白することは躊躇われた。
 しかし、ミロが氷河の背を叩くのに勇気づけられて、氷河は一息に言った。
「すみません。俺、一度だけ図面を持ち出しました。持ち出した図面を冥界建設の奴らに多分、見られました。あいつらはこっちとそっくり同じ企画をぶつけてくるはずです」
 電話の向こうが静かになった。
 断罪の瞬間を氷河はじっと待つ。
 仕事には厳しいカミュのことだ。でも、どれだけきつい叱責を受けてもいい。それだけのことを自分はしたのだから。
 ことはそれだけですむ問題ではないかもしれない。よくて氷河はクビ。悪ければ上司のカミュのクビまで飛ぶかもしれないのだ。沈黙に耐えられずに再び氷河が声を詰まらせながら言う。
「ほ、本当にすみませんでした。俺、辞表を書きます。俺一人辞めてすむような問題じゃないかもしれないけど、でも、本当に申し訳」
 ──待て、氷河。今すべきことは言い訳でも反省でもない。まだ勝負は始まってないぞ。お前は戦う前から勝負を下りるつもりか?
「で、でも」
 ──言い訳はたっぷり後から聞いてやろう。まずは今日を乗り切るために全力を尽くしてからだ。ミロはいるか?
「はい」
 氷河は電話をミロに渡した。ミロは氷河の背を叩きながら殊更軽薄に電話に出た。
「やあ。坊やが、俺が輝くためのすばらしいステージを用意してくれたみたいだな」
 ──時間はどれくらいある。
「そうだな、1時間ってとこかな」
 ──よし、ミロ。プランBだ。できるだろう?お前なら。
 ミロはふん、と鼻を鳴らした。
「俺を誰だと思っている。酔ってなどいなかったことを証明してやろう」
 ──大口は結果が出てから叩け。わたしは今すぐ社長に方針転換を掛け合ってくる。それから差し替えの設計図面と構造模型を持って行かせる。プレゼン用の資料は一部不十分だが……あとはお前の手腕の見せ所だ。
「ああ。任せておけ」
 ミロは電話を切って、氷河に返した。
 氷河は、驚いた顔でミロを見返す。
 たったあれだけのやり取りで、この苦境をどうやって乗り切るか打ち合わせが……?
「氷河、資料の差し替えを今すぐやるぞ。図面とコンセプトと概算見積り案を資料から外して待っておけ」
「え?でも、」
 もう1時間後には自分たちの順番が回ってくるのに?
 今から差し替えようにも新しい資料など作る時間はないのに。
「質問はあとだ。とにかく体を動かせ。ほら、やるぞ」
 ミロはさっさと喫煙スペースのソファの上へ資料を広げ始めた。氷河はわけがわからないまま、言われたとおりに作業をこなしていく。

 全ての作業が終わって、後は新しい資料を待つだけ、という段階になって、営業部のアイオリアが姿を現した。息を切らして、ほとんど投げつける様にミロの胸に資料を押し付ける。
「さ、さすがの俺も死ぬかと思ったぞ!!」
「悪いな。今度飯おごる」
「この俺を使い走りにしておいて、飯だけで済むか!酒つきだ!」
「そっちはカミュに請求してくれ。助かった」
 軽口で返しながらも、手は既にアイオリアが持ってきた資料を広げて次々に氷河に渡して、指示を出していく。
 氷河も必死で手を動かしながら、資料の内容に目を走らせて、驚いた。
 これは……昨日今日作ったような資料などではない。
 最初に用意していたプランよりさらに洗練された(と氷河は感じた)内容で、十分に、準備期間を持って練られたプランだとすぐにわかった。
 こんなもの……いつの間に……。
 カミュが?通常業務ですら終業時間までに終わらないようなあの時間のない中で?
 ミロは時計を見た。
「まだか、カミュ……。さすがにこんなデカいヤマ、見切り発車はできんぞ……」
 少し焦れたように呟く。
 その時、氷河の携帯電話が鳴った。
 氷河ではなくミロが出る。
 ──了解取れた。好きなだけ遊んで来い。
「任せろ」
 たった一言だけで通話を終え、ミロは氷河に電話を放ってニッと笑った。
「さあ、行こうか」