サラリーマンパラレル
ミロ→カミュ風味かつ、氷河総受気味
アイザックが登場しないのはep1とep2の間にもう1つエピソードがあるからですが、それはまたいずれ
◆ep2 キス×キス×キス ②◆
残業漬けの日々のかいがあって、コンペの準備はすっかり整った。
明日をそのコンペに控えて、カミュと氷河は図面や、構造模型を広げながら最終調整をしていた。
カミュが腕時計に目をやり、氷河に片付ける様に促す。
「そろそろお前は帰らないと。終電の時間だ」
「俺なら大丈夫です。だって、もう、明日がコンペなんでしょう?もう一度、間違いはないかチェックしておいた方が……。俺、今日はもう少し残ります。あれからはあの変なヤツ出てこないから、多分もう大丈夫だと思うし」
カミュは眼鏡を外してケースにしまいながら答えた。
「いや、ここまできたらじたばたしても仕方がない。こういうものはやってもやっても完璧にはならないからな。どこかで終わりにせねば。わたしも疲れていることだし、もう今日は帰ろうか」
カミュに疲れている、と言われては仕方がない。氷河は、はい、わかりました、と書類を片付けだした。
もう、室内には二人しか残っていない。ブラインドを締め、戸締りを確認して、明かりを消して二人で会社を後にする。
あれからずっと帰りはカミュが送って帰っている。
氷河の名前まで調べているようなヤツが、自宅を知らないわけはない。氷河は駅まででいいです、と固辞していたが、カミュはいつも自宅マンション前まで氷河を送り届けていた。
「お疲れのところを、俺のせいですみません」
電車を降りて、自宅までの短い道程を歩きながら、氷河は言った。
「謝るな。こんな時間まで残業させているわたしが悪いのだからな」
「そんな、悪いだなんて。俺で役に立てるなら何でも言ってください。覚えは悪いと思うけど……」
カミュは柔らかく笑って氷河を見た。
「いや、お前はなかなかがんばっている。失敗も多いが、同じ失敗を何度もしないところは見込みがある」
「それ、褒められたんでしょうか」
ちょっと拗ねたような声の氷河にカミュは今度は小さく声をたてて笑った。
会社の建物の中ではめったに笑顔など見せることのないカミュがそんなふうに笑うと、氷河はドキドキして顏を見ることができない。
会社では、とても厳しい上司で、氷河は叱責されることも多い。
カミュが言ったように、少しそそっかしく、不器用なところがある氷河は、しょっちゅう些細な失敗をしてはカミュに叱られている。日常的にそんな光景が繰り広げられているせいか、周囲から、カミュは怖い、と恐れられている。
しかし、こんなふうに仕事を一旦離れてしまえば、むしろ、優しすぎるほど優しくて、カミュが厳しすぎる、とかカミュが怖い、とか言う声を聞くたびに氷河はいたたまれない気持ちになる。
俺が至らないせいで、カミュが不当に怖がられてしまっている。わかりにくいかもしれないけど、本当は誰よりも優しい人なのに。
短い散歩を終え、自宅のあるマンションへ辿り着く。
ああ、もう着いてしまった。
このごろは、反対方向に自宅があるカミュの手を煩わせていることに対する罪悪感よりも、なんでもないことを話しながら歩くこの時間が永遠に続けばいいのに、という想いの方が氷河の中に大きく育っていた。
何度か、あがってお茶でも、と言ったことはあるが、カミュは一度も首を縦に振らなかった。
しつこく誘うのもみっともないかと思い、最近ではエントランスで別れるのが定着している。
「では、戸締りには気を付けるようにな」
「はい。送っていただいてありがとうございました。カミュも気をつけて」
「ああ。では明日」
「はい。おやすみなさい」
「おやすみ」
氷河はセキュリティを解除してマンションのエントランスを抜ける。
上階へ上がるエレベーターを待つ間、振り向くと、カミュはまだいつものようにエントランスに立っていて、振り向いた氷河に手を上げて応えた。
その顔が、会社では絶対に見られないほど優しくて、毎回氷河は赤くなって俯いてしまうのだった。
**
氷河の背がエレベーターの向こうへ消えた。
カミュはエントランスを抜けて、建物を見上げる。数分待つと、無事に氷河の部屋の明かりがついた。二度、パチパチと明かりが瞬く。何ごともなく部屋についたというサインだ。それを見届けて帰るのが習慣だ。
カミュはほっと息をついて、くるりと踵を返した。
今来た道を大通りまで足早に戻り、タクシーを止める。
あれから、会社から玄関先までカミュが送っているせいか、一度も危険な目には合っていない。だからと言って用心しないに越したことはない。
本人に己の容貌に対しての自覚がもっとあればいいのだが、氷河は自分の見た目が人からどう見られるかには非常に無頓着で、何度それとなく注意しても隙だらけもいいところ、無防備に危険の中にのこのこ乗り込んでしまうタイプときた。
これだから困る。
カミュは目が離せない部下を想いながら、車の揺れに身をまかせ、僅かばかりの仮眠をとった。
会社に戻り、警備員室の前を通り抜けると、またですか、と少々呆れたような声を出された。
今しがた戸締りをしたばかりの、自分の所属する建築設計部のオフィスへと戻って、照明のスイッチを入れる。
さて、続きをやるか。
ここのところ、氷河を送り届けた後、こっそりこうして会社に戻って仕事の続きをやっている。
明日は大事なコンペだ。設計図面もコンセプトをまとめた資料も全部揃ってはいるが、万全を期すためにはまだまだ小さな修正をしておきたい。
氷河には完全などない、と言ったものの、できる限り完全な状態で臨みたい。カミュなりのこだわりだ。個人的なこだわりに氷河をつきあわせるつもりはなかったので、一旦彼を帰したのだった。
再び、パソコンの電源を入れ、書類を広げて、カミュは資料作りに取り掛かった。
小一時間ほど作業したところで、入り口のあたりに、人の気配を感じて顔をあげた。
「なんだ、お前か」
「こんな時間までよくやるよ」
「そういうお前も、だろう」
「俺は接待の帰りだ。前を通りかかったら明かりがついてたから寄っただけだ。また氷河を送って行ってたのか」
「まあな」
「そのくらい俺が代わってやるのに」
「オオカミに羊を送らせる馬鹿がどこにいる」
「やっぱり駄目か。じゃ、せめてこっちを何か手伝ってやろうか」
「お前ではなんの足しにもならん。さっさと帰れ」
カミュはミロを追い払うしぐさをして、再び手元へ視線を戻した。
そこへ影が落ちる。
「……ミロ。邪魔だ」
ミロは、カミュのマウスを握る手に自分の手を重ねる様に置いて、カミュの頭に顎を乗せて液晶画面をじっと見る。
カミュの頬にかかるミロの豪奢な巻き毛に、酒と煙草の匂いがしっかりしみついている。煙草の嫌いなカミュはうっとおしそうにそれを手で払った。
「明日の資料か……?ん?おい、これ、ちょっと中身が違わないか」
「なんだ、お前に違いがわかるのか」
「当たり前だ。明日、その資料持って、プレゼンに行くのは営業の俺なんだぞ。中身も知らんものをプレゼンなんかできるわけないだろう」
「その割には一昨日のレクチャーの時、お前は氷河をつっついてばっかりで真面目に聞いていなかったが」
「お前が、読めばわかることをくどくど説明するからだ。それで?今のは何だ?」
「酔っぱらいに説明しても無駄だろう。いいから早く帰って寝ろ。大事なコンペをまた二日酔いで落とすつもりか」
「このくらい、酔ったうちにはいるもんか。無駄かどうか試してみろよ」
ミロは椅子をひいてきて、長い足でそれをまたぎ、背もたれに体を預ける様にして逆向きに座った。
カミュは肩をすくめて液晶画面に向き直る。
「そこまで言うなら説明するが……これは、まあ、言うなればわたしの趣味だ。明日提出する設計図面と別に、もうひとつ作ってみたんだ。わたしは個人的にはこちらの方が好きなんだが……」
そう言って、カミュは机の中から、設計図面と構造模型を引っ張り出してミロに見せた。
そういう時のカミュは、とっときのおもちゃをこっそり親友に見せる少年のようないたずらっぽい目になっている。
ミロは設計図面よりカミュの方を主に見ながら、いいなあ、それ、と熱っぽい声を出したが、カミュの方は、だろう、と自慢気に図面を指差した。
「明日お前が持って行く、西の窓を全部ガラス張りにするというアイデアもいいが……南側の中庭から建物を透かして景色を見るというのも奇抜だしな。だが、水平線に沈む夕日、というロケーションなら、何も西側全部ガラス張りに拘らなくても、例えばこうやって建物をコの字型に配置して、窓の一部にミラー素材を入れて、乱反射する光の影を中庭に集める様にさせておくんだ。ここに噴水を配置しておけば、時間帯に応じて色んな角度で虹が見える。夕日の時間帯にここに立つと、正面には夕日。振り向くと虹というわけだ。そして、西面はやはりセオリー通り窓を少なくする。少なくしておいて、『知る人ぞ知る』絶景スポットとしてさりげなく情報操作するんだ。代わりに北面の窓を増やして、その外に水を循環させるシステムを使って壁面に添って緩やかな水のカーテンを作っておく。北側は陸地になるから見えるのはビル群ばかりだが……だが、無機質なビル群も水越しに眺めると幻想的だろう。夜なんか格好のデートスポットだ。それに……」
カミュは、ミロが聞いていようと聞いていまいとおかまいなし、といった風情で、滔々と語り続けている。
とっくに日付が変わった深夜のオフィスで少年のように夢中に夢を語るカミュをミロはじっと見つめ続けた。
「……と、いうわけだ。おい、ちゃんと聞いていたのか?」
「聞いてた聞いてた。直接目にするには味気ない景色も、ワンクッション置くことで海側だけじゃなく、360度全方位ロマンティックな景色になるってわけだろ。俺もこっちのが好きだな。ダイレクトな景色が見たい奴はテラスか屋上の展望台に行けばいい。なんでこっちの方を出さなかった」
「言っただろう。個人的な趣味だと。趣味のつもりで作ってるからコストの面ではやや劣る。政府系の仕事ではそこはネックになるだろう。社長が、役人向けにわかりやすい方で行けというからな」
「へえ。個人的な趣味でこれを、ねえ……」
ミロはカミュが作った小さなジオラマを目を近づけて見た。
細部までしっかり作りこんであって、とてもじゃないがミロには真似できそうにない。仕事でもないものにここまで情熱をかけられるということが既に信じられない。
「お前って本当に器用だな」
そう言ってカミュの手を取る。
白く細い指。
ほんの少し冷やりと冷たい感触が酔ったミロの肌に心地いい。
その手を頬にあてて、あーコレ気持ちいいなあと目を閉じると、カミュは渋い顔をしてミロの椅子を蹴った。
「そろそろ帰れ。明日、遅刻でもして、プレゼン失敗なんかしたら殺すぞ」
「プレゼン失敗は俺のせいだけとは限らないだろうが。お前の設計がまずくても仕事は落ちるぞ」
「血迷い言を。わたしの設計は常に完璧だ。今までわたしの設計で仕事が落ちたことがあるか?過去に落ちたのは二度ともお前のせいだ。二日酔いの時と、お前が遅刻して代打のヤツが行った時がそれだ」
「お前、意外としつこいな。まだ覚えてるのか。新人の時の話だろう。……まあ、そこまで言うなら……そうだな、カミュが俺にキスしてくれたら、多分、明日は完璧にこなせる気がする。ほら」
そう言って、ミロは目を閉じてカミュにキスを促す。
カミュは手元の勾配定規でミロの頭をペシリと叩いた。
「くだらん冗談言ってないで早く帰れ」
「冗談じゃないって」
背を向けたカミュにミロは真剣な声音で告げる。
「カミュ、俺は本気だ」
「酔っ払いの戯言は聞かん」
背中でカミュはミロを拒絶して、再び図面に向き直ってかりかりとペンを走らせ始めた。
酔っていなくたって聞いてくれないじゃないか。
ミロはくしゃくしゃと自分の髪をかきあげて、じゃあな、と手を振って部屋を後にした。