氷河女体化シリーズ
設定は同じですがそれぞれのお話は独立しています
◆星矢編 前編◆
「氷河……さわっても、イイ?」
氷河の腰の上へ跨った星矢の喉が小さく上下に動いた。
い、いや、あの、と答えるやけに高い声が掠れていて、それがずいぶん恥ずかしかった。
「す、少しだけなら……」
星矢の喉が今度ははっきりと、ごくりと音を立てる。
おかしい、さっきまで、バカみたいに笑っていたはずなのに───なんで俺はこんなことをしているのか……。
話は数刻前に遡る。
城戸邸の一室。
日本滞在用に、とそれぞれにあてがわれた部屋があるものの、一番年下の星矢は人寂しいのか、すぐに誰かの部屋へ潜り込もうとする。
一輝はほとんどいない。
紫龍も年の大半は五老峰だ。
氷河も大半をシベリアで過ごすという点では紫龍とあまり変わらないため、たいていは星矢の話し相手は瞬だ。
だから、珍しく城戸邸に滞在している氷河を星矢はとても喜んだ。
いつまでいるんだ?クリスマスはどうする?明日は一緒に出かけられる?と満面の笑みで子犬のように氷河にまとわりついてくるのに、かわいいもんだ、と氷河の頬も思わず緩む。
自分と一つしか変わらないはずだが、星矢は同じ歳の瞬より、ずいぶん年下に思える。
天真爛漫な笑顔のせいか。
戦地に立っている時は誰よりも頼もしいほどなのに、こうして日常へ戻ってみるとやはり年相応か、下手したらそれよりもずっと幼く思えるから不思議だ。
人懐こい少年は誰とでも打ち解けられるから、城戸邸にいれば孤独だということはないのだろうが、それでも自分たちの絆は特別だ。時々と言わずにもっと会いに来てやらねばな、と、氷河は少し「兄」の顏でそんなことを思う。
日が落ちて、眠りにつこうかという時間になって、氷河あ!ゲームしようぜ、ゲーム!と星矢が氷河の部屋の扉を開いた。
両手に抱えているのはゲーム機と、昼間、コレ新しく発売されたソフトなんだぜ、と彼が自慢していた一品だ。
「こんな時間からか?」
二人とも既に寝衣である。
星矢は青と白の縦じま、氷河は白のパジャマ姿だ。
「いいじゃん!瞬はもう寝ちゃったんだ。対戦相手いないとつまんないじゃん」
「だが、湯冷めをするだろう」
師の口癖がつい、口をついて出る。シベリアでは風呂へ入ったらもうベッドへ直行させられていた。寝衣姿で遊ぶなどもってのほか。
だが、星矢はそんな氷河の肩を掴んでおかしそうに笑った。
「湯冷めって!氷河、どんだけ過保護に育てられてんだよ!」
過保護、と言われては、何か師を馬鹿にされたようで少々ムッとする。
「シベリアは室内でも気温が全然違うんだ」
怒ったように言ってみせても、星矢は少しも堪えない。
「ここ、日本だろ?いいじゃん、二人で毛布でもかぶってれば。な?」
「それはそうだが……。明日じゃだめなのか?」
まだしぶる氷河に星矢が少し唇を尖らせる。
「明日って……だってさ、氷河、いっつもいないじゃないか。そりゃさ、氷河はあっちを故郷と思ってるのかもしれないけどさ、日本だって故郷には違いないのに、来たと思ったらすぐいなくなるしさ」
それを言われると痛い。
本来なら女神のお膝元へ控えているべき聖闘士なのに、シベリアを優先しているのは少なからず私情が混じっているわけなのだから。
なんだよ、と俯いて頬を膨らませる少年の頭を撫でて、氷河はため息をついた。
「仕方ないヤツだ。少しだけだぞ」
「やっりぃ!氷河ってだから好きさ!紫龍だったら泣き落としきかねえもんな!」
な、泣き落としだったのか……。
寂しそうに伏せられた睫毛がまるきり演技だったとわかって、一瞬頷いたことを後悔しかけたが、氷河の部屋ってテレビ置いてたっけ、と早速ゲーム機をセットしようとする星矢の耳がほんのり赤く、ああ、と気づく。
多分、伏せられた睫毛の方が本物で、今の生意気な物言いの方が、強がりなのだ、きっと。
そうか。
俺は本当にもう少し、日本に来てやるべきだな。墓守りだけでなく、生者へも目を向けて。
こんな自分でも、居て欲しいと求められているのなら。
「ほら。本当に風邪をひくといけない」
ゲーム機をセットし終えて、ソファへ陣取る星矢のところへ、氷河は自分のベッドから毛布を運んできた。星矢の肩へとそれをかけてやれば、氷河も、と星矢が自分の右側の毛布を持ち上げて空間をつくる。
そのしぐさに、氷河は一瞬、既視感を覚えた。
ああ……そういえば、厳しかった師の目を盗んで、アイザックとよくこうして夜っぴき話をしたっけ、と思い出せば、しぶしぶつきあっていただけの氷河自身の心もどことなく沸き立つ。
大人びた顔をしてみせても、やはり氷河とてまだ少年でしかないなのだ。
星矢の隣へ滑り込んで、二人で、首とゲーム機のコントローラを持つ腕だけを毛布から出せば、ぽかぽかと懐かしい温かさがそこにはあった。
「俺はゲームなんかしたことないから相手にはなるかどうかわからんぞ」
「大丈夫だって。ほら、ココをこうすると……な、コイツが氷河の代わりに動いて戦うってわけ。そして、こっちをこう……で、必殺技どかーん!」
「……まだるっこしいな。自分で闘った方がよくないか、これ」
「いいからやってみろって。最初はレベル落としてやるから、な?」
星矢に教えられながら、氷河はコントローラを操作する。
最初は慣れない物体に四苦八苦して、思うように動かせないことに苛々していたが、少しずつ慣れてしまえば、なるほど、発売日に行列ができるという人気のソフトだけあって、すぐにはまり込んだ。
「あーっくそっ。もう一度だ!」
「えー何回やっても氷河の負けだと思うけど」
「いや、そろそろコツを掴んできた。もう一回やれば絶対に勝てる!」
「さっきもそういうこと言ってた気がするけどなあ。やってもいいけどさあ……じゃあ、なんか賭けようぜ。簡単に勝てるんじゃ俺だってつまんねえし。負けたら勝った方の言うこと聞くってことで!」
「よし!のった!」
「そうこなくちゃ!俺も本気出すからな!」
元来、負けず嫌いなのは二人とも同じ。
肩へかぶった毛布の中で、互いに肘や膝を小突きあいながら、ぐっと身を乗り出して、ああ、とかうわ、とか小さく叫びながら、二人は食い入るように液晶画面を見つめた。
が。
コントローラを壊しそうな勢いで握りしめていた氷河が突然に集中力を欠いた。
ぐらりと身体の中心が揺さぶられるこの感じは……
くそっ。また、アレがくるのか……!
滅多にないくせに、どうして、よりによって人といるときばかり……!
チラリと横の星矢を窺う。
よしっと小さく拳を握ってゲームに夢中になっている星矢がそれに気づいた様子はない。
だが……氷河は今度は下へと視線を落とした。パジャマである。白の。寝るつもりだった。当然薄い布地の下には何も着てない。
気づくだろうか……気づくだろうな。
青ざめて、じわりと腰を浮かせて星矢から距離を取ろうとすれば、既にもう腰はまろやかな細腰へと変化していて、ずるりとパジャマのウエストがずり落ちかけて、慌てて氷河はそれを片手で押さえた。
手を動かした拍子に、布地が不自然に引っ張られていたパジャマの胸元のボタンがはらりと外れて、慌ててそちらへも片手をやる。
結果的に両手をコントローラから離す羽目になって、次の瞬間には、チャララララーン、と勇ましい音楽とともに、星矢がよっしゃー!俺の勝ちだぜ!と快哉を叫んでいた。
氷河は慌てて、星矢の肩から毛布を奪って、自分の身体を隠すようにそれを巻きつけた。
「そ、そうだな。やっぱりお前には敵わない。よし、お前が勝ったところで、今日はそろそろ終わりにしようか。ああ、もうこんな時間じゃないか。俺も眠くなってきたし、日が変わる前に寝よう。な?」
毛布を抱えて、氷河はじりじりと後退しながらそう告げた。
告げる声も、耳慣れぬ柔らかな高音なのだが、毛布を通してくぐもった音に変わっているせいか、星矢は特に違和感を覚えていないようだ。
だが、代わりに彼はいたずらっぽくニヤニヤと笑った。
「逃げようったってそうはいかないぞ、氷河!さっき言ったこと覚えてるよな?負けた方が勝った方の……」
「覚えている、覚えているがそれは明日、」
氷河が後退したのが悪かったのか。
逃げられれば追いかけたくなるのが人の常。
既に半分背を向けかけていた毛布の塊へ、星矢が、うりゃあああっ逃げんな、氷河!と飛びついた。ばか、やめろ、という氷河の制止は全くの無駄だった。
二つの身体は床の上へごろごろと絡まって倒れた。
「……?」
絡まった毛布をかき分けて、不思議そうな顔でひょこりと星矢が顏を出す。
『氷河』に飛びついてじゃれついたつもりだったのに、今、手に触れた柔らかな塊は一体何だろう、と。『氷河』の身体のどこがそんなに柔らかかったのか、確認しようと星矢は毛布をめくり……。
「…………」
「…………」
「ひょ、ひょうが?」
そこにいたのは、『氷河』とは似て非なるもの。
忌々しい、と言いたげに歪んだキツイ薄青の瞳は氷河だ。
ほのかにシャンプーの香る、さらさらと柔らかな金髪も氷河。
血が滲みそうなほどきつく噛みしめられた、赤く、ふっくらした唇は氷河だと言える気もしなくもない。
パジャマの中で泳いでいる細い腰とずり落ちるウエストを必死で押さえつけている手───ひょ……うが……かなあ?
肌蹴たパジャマの胸元で、薄い躰の中でそこだけ存在を強く主張する二つの豊かな丸い塊と、必死でそれを隠す腕は………氷河じゃない!?
氷河にとても似てはいるものの、まぎれもなく美『少女』(それも超がつく特上品だ)の上に無遠慮に圧し掛かっている自分を発見し、星矢は、うわああああと声を上げて飛び退った。
「ご、ごめんっ!」
飛び退いて、身体が触れない様に距離を取ったものの、星矢の頭の中は?マークが飛び交っていた。
ええと。
氷河とゲームしてたはずなんだけど。
最初は確かに氷河だったんだけど。
一体いつの間に彼女はこの部屋に出現したのか。しかもパジャマ姿で!
パジャマ……氷河とお揃いの。
ええと。ええと、ええと。
「ありえないこと聞くけど……いや……笑ってくれればいいんだけど……もしかして、氷河だったり……し……て?」
「悪いか」
憮然とした口調で怒ったように答える声は可憐な少女のものだったが、その言い方といい、表情といい紛れもなく……
「え、ま、マジで氷河?え?え?……お前、一体何がどうなって……??」
ああ、くそっ。
氷河は内心で激しく悪態をつく。
自分だって何でこんなことになっているのかわからないのに、人にわかるように説明などできるわけはない。
仕方なく、憮然としてそっぽを向いたまま、知らん、時々こうなる、とぶっきらぼうに答えた。全然説明になっていない。
はっきり言って逃げ出したい。こんな姿を見られるくらいなら死んだ方がマシだとさえ思った。
茫然と見つめる星矢と、泣きだしそうな顔でギリギリと歯を食いしばる氷河の間にしばし沈黙が落ちる。
動いたのは星矢が先だった。
「あはっ、あはははは!氷河、なのかよ!なんだよ、驚かせんなよ!なーんだ、俺、知らない女の子の上に乗っかっちゃったのかと思ってビビったぜ。なーんだ、氷河かあ、そうかあ」
原因については深くは追求しないことにしたらしい。神の理論につきあって幾多の闘いを経験した身には、理不尽な出来事を案外するりと受け入れる柔軟性が備わっていたようだ。
星矢に笑い飛ばされたことで、強張っていた氷河の身体が、ほ、とゆるりと解ける。
「笑いごとじゃない。俺は困っているんだ」
「だよなあ。時々ってことは、また戻るわけ、それ?戻るための呪文とかあるのか?」
「そんなものがあるなら俺が知りたい。今までそんなに長く続いたことはない。たいてい日が変わるくらいには戻る」
「へー」
二人の視線が同時に壁に掛けられた時計へと向けられた。
日が変わるまで、もう一時間とない。そのことだけが救いだ、と氷河の唇から小さく安堵の息が漏れた。
そういうわけで、と氷河は立ち上がる。
「悪いが今日はお開きにしてくれ」
「えー。いやだ。せっかくだから元に戻るところも見たい」
「お前なあ!俺は見世物じゃないぞ!」
そう言って、座り込んだ星矢の背中を蹴り飛ばす氷河の身体は、やはりいつもより一回り小さく、パジャマの袖や裾がずいぶん余っている。どこから見ても完璧な美少女なのに、しぐさも口調も完全に男の(それもどっちかと言えば粗雑な部類の)もので……あまりにもシュールだ。
だが、星矢は目を瞬かせながらも氷河に向かっていつものようにニッと笑ってみせた。
「いいじゃん。あとちょっとくらい。ゲームの続きしてようぜ。氷河だって負けっぱなし、やだろ?」
あっけらかんと言い放たれたことで、氷河の中にあった、この事態に対する羞恥だとか憤りだとかは、逆に薄らいだ。
そうか。
だよな。ほっといたって、すぐに元に戻るんだし。
別に何が困るってわけでもない。
星矢が笑い飛ばしたように、そう、これはどうってことない、くだらないふざけた事態、な、だけだ。
真剣に悩んでつきあうような性質のものではない。
「仕方ないな。日付が変わるまで、だぞ。その後はもう寝ろよ」
「りょおっかい!もう一ゲームできるな!」
星矢はいそいそとゲーム機をセットしなおし、氷河は乱れて床に落ちていた毛布を拾い上げた。
できればこんな事態が起こるなら一人きりの時にして欲しいが(というかそもそもこんな事態、そうそう起こって欲しくないのだが)、一緒にいたのが星矢だったのはまあ良かったかもしれない。
少なくとも最悪の部類に属するアイツではなかったことはよかった。
氷河は、ソファへと腰かけなおした星矢の隣へ戻り、最初にしていたように、自分の肩へまわした毛布の半分を星矢へ掛けてやろうとした。が、星矢はひらりとそれを躱して逃げた。
「?何してる。風邪ひくだろう」
「や、俺はいい。氷河が使えば」
微妙に逸らされた視線に、ピンときた。
「……星矢、お前、今、俺のこと、女扱いしようとしてないか?」
「や、だって、女の子は身体冷やさない方が……」
「あのなあ!!さっきまで男だっただろ!数十分後にはまた男だ、冷やすもクソもあるか!」
女の子が「クソ」とか言うなよな……という声は星矢の口の中でもごもごと消えた。氷河は乱暴にほらっと毛布を星矢の頭からかぶせる。
「女扱いするなら今すぐ叩き出す。俺は『氷河』だ。それ以外の何者でもない」
「わかってるって。でもさあ、お前の外見、反則なんだよな。金髪美少女で巨乳とかナシだろ……」
「何か言ったか?」
「なんでもないでーす!よっし、続き続き!」
チャリラリラ~。
星矢の操作で、再び、軽快な音楽とともに画面が動き始める。
なんだかわからない、へんてこなこの状況に対する鬱憤をぶつけるように、氷河は先ほど以上に、熱を入れてコントローラを握っている。
だが、集中しているわけではない証拠に、星矢の視線も、氷河の視線も、時折、壁に掛けられた時計へと何度も向けられた。