氷河女体化シリーズ
設定は同じですがそれぞれのお話は独立しています
今回は『ぺったんこ』設定で。
ほんのり性表現あります。18歳未満の方、閲覧をご遠慮ください。
◆アイザック編 後編◆
二人でキッチンに立って、一緒に食事をして、後片付けまでもきちんと二人で。時にじゃれ合い、時に真面目に議論を交わし。
変わらない。
まるで昔に戻ったみたいだ。二人でいればいくらでも話すことが湧いてきた。
カミュが聖域に呼ばれていた時は、いつもこうして、好きなだけ話をしながら二人はずっと一緒に過ごした。好きなものを作って食べて、一緒に風呂に入って、普段は許されてない、一つのベッドで一緒に眠って。
あの頃をなぞらえるように。
失われた時を取り戻すように。
「懐かしいな」
「ああ、お前、先生いないとよく泣いてた」
「そ、そうだっけ。それはアイザックだろ」
「都合よく記憶を書き換えるな。………氷河、何してる」
「え?風呂……」
いくら懐かしく、いくら会うのが久しぶりで、いつも通りにアイザックが振る舞っているからといって、今夜は昔をなぞらえるわけにはいかない問題が横たわっているわけなのだが。
当の本人はすっかりそのことを忘れて、風呂へ向かうアイザックに、さも当然、の顏をしてついてきた。
扉のところで立ち止まったアイザックを、怪訝そうに見上げる氷河が───だめだ、堪らなく可愛い。
怒ったような顔で視線を逸らすアイザックに、氷河はしばらくして、ああ、と声を上げた。
「俺はお前なら別に気にならないが……」
チラリと上目づかいで窺う氷河に、だが、アイザックは無言でその肩を浴室の扉の向こうへ押しやった。
きぃ、と軋んだ音を立てて扉が閉まる。
氷河と空間が遮断されてしまうと、アイザックの背にどっと汗が吹き出した。はあ、と大きく息をついて、どうにか自分を静める。
少し考えて、念のために扉には鍵までかけた。
氷河の性格は読めている。
一人で待つのが寂しくなって「なあ、やっぱり俺も」としれっと入ってきかねなかった。
なんという神の皮肉な悪戯なんだろう。
いつの頃からだろう。氷河をただの弟弟子と思えなくなっていたのは。
彼を好ましく思う感情が、ただの友情や家族愛のようなものとは種類が違うことにずいぶん前から気づいていた。
だが、それは禁忌だ。
氷河は男だ。そして自分も。
俺が本当はどんなふうにお前を好きなのか知ったら、きっとお前は俺から離れて行く。あれだけ何の身構えもなくアイザック、アイザックと甘えてくる氷河を失うくらいなら、自分の思いは永遠に打ち明けないままでいい。
氷河の全てが、アイザックのことを大好きだ、と告げていても、どうにか自分を保っていられたのは、ひとえに男同士だから、だ。
どれだけ氷河が自分を慕っていても、勘違いしてはいけない。それはただ、兄のように好きだ、というだけであって、決して、自分が氷河に抱いているような劣情は氷河の方は感じてはいないのだ。
なのに。
アイザックを押しとどめていた、男同士だ、という障壁が、今夜はない。
氷河が女であればよかったのに、などとは考えたこともなかった。
だが、氷河に劣情を催すたびに、駄目だ、俺たちは男同士だ、と戒めてきた身にとって、この状況は針のむしろも同然だった。
せめて、氷河の外見がもっとわかりやすく『女性らしく』変化していたなら、まるきり違う姿の氷河を前に、それほど惑わされたりはしなかっただろう。
だが、氷河は氷河のままだった。ほんの少し細く、ほんの少し丸みを帯びて……ただ、それだけだ。中身はまるきり男で、なのに、あの薄布で守られた白い肌は肉などほとんどないくせに、男のものとは違って柔らかで。
こんなの、反則だろう。
誰に向かって言えばいいのかわからない憤りが、深くついた息とともに漏れて、浴室の壁に残響した。
**
「鍵までかけることないじゃないか」
暖炉前の毛足の長いラグの前へ胡坐をかいて坐り、濡れた髪をタオルで掻き混ぜているアイザックの元へ、同じようにタオルで髪を拭きながら拗ねた顔で氷河が近寄ってきた。
鍵をかけたことを知っている、ということは、やはり開けようとした、ということだ。どうりで入れ違いで風呂へ向かう時に氷河は怒った顔をしていると思った。
「お前の行動は読めてるんだ。何年のつきあいだと思ってる」
氷河は問題のTシャツは着替えていた。
今はパジャマだ。……白の。
全然問題解決になってない。
湯上りでいい匂いをさせていて凶悪度が増しただけだ。
アイザックの思いを知ってか知らずか、氷河はストンとアイザックの隣へ腰を下ろした。アイザックの膝に手を掛けて、下から掬うようにアイザックを見上げる。
それらは全ていつもの氷河のしぐさなのだが、今日はそれがいちいちアイザックの熱を上げる。
「アイザック、やっぱり俺のこと気持ち悪いとか思ってるだろ。だからさっきからずっと俺のこと避けているんだ」
氷河の瞳が傷ついたように眇められている。
無言で、唇を噛む氷河の肩を押して距離を取らせたら、氷河はさらに眉を歪めて俯いた。
ああ、駄目だ、泣かせた。
そう思ったと同時に、アイザックの膝に温かな雫が落ちた。
こうなったらもういけない。
どれだけ自分の感情に鍵をかけていたって、最後には氷河を笑わせてやるためには何だってしてしまうのだ。
アイザックは、観念したように溜息をついた。
「逆だ、氷河。お前、可愛すぎるんだ。傍に居たら変な気を起こしそうだ」
罪を告白するにしては、なるべく軽い調子に聞こえるように、冗談めいた口調でアイザックはそう言った。
途端に氷河はハトが豆鉄砲を食らったような顏をして、しばらくアイザックの顏を見つめてパチパチと瞬きを繰り返した。長い睫毛に乗っていた雫がいくつも空中へと散る。
「……俺がかわいいって?……えーと、それは俺の今のこの身体が?」
正確に言うと、身体じゃなくて、お前そのものが、と思ったが、アイザックはまあな、と曖昧に頷いた。
氷河は心底意外だったのだろう。それでもまだ怪訝そうに自分の胸元を見下ろした。
「いつもとあんまり変わらないだろ?こんなの……ほとんど男も同然だ」
氷河は何故かそれを自慢するかのように胸を張った。
変わらないからこそ問題なんだ、とは言えないアイザックは、代わりに、殊更挑発するようにからかいの色を声に乗せて、鼻で笑ってやった。
「まあ、確かに。お前は女になっても発育不良だな。背だって一度も俺に勝てなかったくらいだし」
冗談の域を越えて、わざと怒らせでもするかのようなアイザックの言葉を受けて、さすがに氷河も顔色を変えた。
「発育不良って何だよ!俺だってなあ、いつもはもっとすごいんだからな!お前が文句言えないくらいちゃんと胸あるんだ!」
そっちかよ!
てっきり顔色を変えたのは身長のことを怒ったのかと思ったら、胸ときた。
相変わらずお前ときたら、どこかズレていて……そこがどうしようもなく愛おしいとか思ってしまう俺は、今夜、何を歯止めにすればいいんだ?
何も……何もないじゃないか。
氷河はまだ赤い顔をして、本当なんだからな、と悔しそうに自分の胸へ手をやっている。
まだ乾ききっていない金の髪から時折、雫が落ちている。それがパジャマの胸元を濡らし、白い布はしっとりと濡れて、先ほどよりさらに卑猥さを増してその下の控えめな桃色の果実を浮かび上がらせていた。
アイザックは氷河へ手を伸ばした。
頭の上へ乗せたままにしているバスタオルを取って、雫を散らす金の髪をしっかりと拭いてやる。
世話を焼かれることに慣れている氷河は、変だなあ、なんで今日はこうなったんだろ、と自分の胸を覗き込みながらも、無意識にアイザックの方へ頭を預けるように身体を傾けた。
夜着の襟元から、濡れたうなじから背中までの稜線がチラリとのぞく。
「氷河」
名を呼んで、アイザックは膝に置かれている氷河の手に自分のそれを重ねた。
なんだ?と問い返す瞳は、アイザックがその手を引いて、自らの膝の上へ身体を抱き寄せても少しの動揺も見せなかった。それどころか、安定を求めて、アイザックの膝の上で体勢を整えさえする。
固い膝の上へ座らされて、ぐらぐらと揺れる身体を持て余し、氷河は、落ちる落ちる、と笑い声を上げながら、最終的にはアイザックの首筋に腕を回してそれを支えとした。
「変な気を起こしそうだって言ったばかりだろ。少しは自覚して、逃げたらどうなんだ」
「……発育不良だからそれほどでもないだろ」
アイザックの言葉にまだ拗ねているのか、頬が少し膨らんでいる。女の体になることを厭うていたようなのに、そこをそれほど拗ねるなんて、とアイザックは少し笑って、氷河に額を寄せた。
「どうする?本当にその気になりそうだ」
「………『俺』だぞ?」
「『俺』でもだ」
『俺』だから、だ。
「もしかして、お前って金髪碧眼がタイプ?」
「まあ、な」
タイプなんてない。お前だけだ。
「発育不良じゃないとなおヨシ?」
「……そうだな」
どうでもいい。お前ならなんでも。
「ふーん……お前も男だったんだな」
「当たり前だろう」
そしてお前も男だ。男だった。だから、ずっと抑えて来れたんだ。
「まあ……だけど、そんな気分もどうせ後少しの間だ。もうすぐ日が変わる」
「そうだな」
どうせ後少し。
じゃあ、とアイザックの膝から下りようとする氷河の腰を、アイザックの腕が捉えてそれを阻んだ。
まだ何か?と不審に上向いた頤へ手を掛けて、アイザックは唇を近づけ触れる寸前でそれを止めた。
「俺を好きか?氷河」
好きだ、とは告げない。
ただ、問うた。
問うておいて、答えは聞かずに、え?と真意を聞き返す唇を今度は本当に塞いだ。
窓枠を叩くブリザードの音も。
パチパチと爆ぜる火の音も。
何もかも消えた。
今、腕の中にあるこの温かさだけが、世界の全て。
そっと押し当てた唇から柔らかな感触が伝わる。
拒むだけの猶予も、逃げるための間も、十分にあった、はずだ。だが、触れているだけの唇は、そのどちらの反応も示さず、ただ、温かな温もりだけをアイザックへ返す。
逃げられるのを阻むために強く腰に回されていた手は、その目的を変え、ゆっくりと背を撫で上げた。
氷河の肌は薄布の下で、アイザックの指が通った軌跡の通りに瑞々しい弾力をもって沈む。
どこもかしこも柔らかい。
永遠とも刹那ともつかぬ口づけの後に、アイザックはゆっくりと離れた。
開いた瞳のその先に、透明なガラス玉のような薄いブルーの瞳が同じようにこちらを見返していた。
その頬がほんのりと赤いのは暖炉の炎に照らされているだけではあるまい。
半分は何が起こったのかわからない混乱で。残りの半分は、気恥ずかしさと戸惑いと、それから───
ああ、抑えきれるわけがない。そこに嫌悪も拒絶もないのなら。
アイザックは再び強く氷河の身体を掻き抱いた。触れただけのものとは違う、激しさを伴ったやり方で今度は深く口づける。
「……っ」
侵入してきた熱い舌に驚いたように息をのむ、あえかな息づかいまでが愛おしい。
アイザックが無理矢理こじ開けた唇を閉じようともせずに──それとも、そうする方法もわからないほど混乱して──氷河は、助けを求めるかのようにアイザックの背に強く縋った。混乱を与えているのは自分だというのに、そのアイザックに助けを求める氷河の姿に痛いほど心臓が脈打つ。
永遠に訪れるはずのなかった時間の中に、今、自分はいるのだと思うと目も眩むような多幸感がチカチカと瞼の裏で弾けた。
再びの生を与えられたのは、今、この瞬間のためだったのか。
それとも、もしかして、自分の身体はまだ崩壊する海底神殿へ横たわっていて、消ゆる命の火が最後に見せる夢の中にいるのだろうか。
これほど甘い夢ならば例え終末へ向かう夢の中でも悪くない。
アイザックが絡め取った舌が小さく震え、荒い息づかいに薄い胸が上下する。アイザックはほとんど無意識の所作で、その胸へと手を這わせた。
途端に氷河の背がビクリと跳ねる。それを宥めるように抱いて、アイザックはゆっくりと氷河の体をラグの上へと横たえた。
自分の上へ落ちる影へ、氷河の瞳が左右に揺れ、最後は躊躇いがちに睫毛を震わせて見上げてきた。アイザックは既に指を氷河のパジャマの襟へかけていたが、戸惑って揺れる瞳に思い直して、その指の動きを止めた。
「コレ、脱げよ、氷河」
「!……アイ…ザック……」
氷河の喉がこくりと小さく上下した。
アイザックは濡れて額に貼りつく金の髪を梳いて再び言う。
「脱げよ。お前が見たい」
「だ、だけど、見るほどのもんじゃ……発育不良だってお前も……」
「いいから。見たい、氷河」
無理に組み敷くことなどいくらでもできた。今の氷河の腕など、簡単に封じ込めるに違いなかった。
だがアイザックはそうしなかった。
欲しいのは身体じゃない。彼の心だ。氷河が自分の意志でそれを選択しなければ意味はなかった。
氷河はかなり長いこと逡巡していた。
『お前なら気にしない』と風呂にまでついて来ようとしていたのに、だ。
やがて、氷河の指が小さな釦へとかけられた。一つ、また一つと指が下りるたびにはらりと落ちる白い布地から、それ以上に白い肌がのぞいていく。
羞恥でだろう、薄赤く染まった肌は瑞々しく滑らかで、そして二つの乳房はやはりずいぶんとささやかなもので。
それでも───
「お前は綺麗だ」
氷河が頬を染めて横を向く。
アイザックは手を伸ばし、親指の腹でなだらかな丘陵の桜色の蕾を撫でた。
「っ!」
「たってる」
自覚があったのか、それとも直截なアイザックの言葉で自覚したのか、氷河は耳まで赤くしてますます顔を背けた。
「俺のキスで感じた?」
顏を背けるだけでは足らずに氷河は腕で自分の顏を隠すようにしながら、それでも、その腕の陰で小さく頷いた。
ああもう、だめだ、お前のその顏だけで俺は───
その時、不意にそれは起こった。
あ、と氷河が小さく声を上げたと思えば、アイザックの躯の下で一瞬、うねるような熱の上昇が起こり、そしてどくん、と脈打つような感覚を残して、高まった熱はしゅうと消えた。冷水を浴びせるとはまさにこのことだ。
氷河が顏を覆う腕に、しっかりと筋肉が戻っている。
───日付が変わったのだ。
起こった時と同様に、その変化は突然で、無慈悲だった。うねるような熱の上昇は、アイザックを翻弄し、氷河を混乱に引き込み、そして結末を待つことなく勝手に消えた。
アイザックは魔法の解けた氷河の体を見下ろした。
なるほど、どれだけささやかでも、乳房は乳房であり、胸筋とはまるで違っていた。だが、つんと存在を主張している蕾の色は同じで───先ほどの名残をとどめるかのようにまだピンと尖っていた。
やっぱり、お前は綺麗だ。
アイザックの熱は下がるどころか、本来の氷河の姿に上がる気配すら見せる。
だが、氷河の方は、ふうと緊張が解けたように全身を弛緩させて、気まずそうにアイザックを見た。
「あの……俺……」
わかっている。
アイザックは上昇した熱を長年培ってきた意志の力で抑え込む。
お前に触れられる『言い訳』は去った。夢の時間は終わり。
しばし、気まずい沈黙が続いた。
アイザックはゆっくりと氷河に背を向け、起き上がった氷河は再びボタンを一つ一つ嵌めていく。
やがて、アイザックの背に氷河の声が届く。
「俺……好きだよ」
さっきの答えだけど、と氷河は続けた。
「俺が女だったら、きっとアイザックのこと好きになると思う」
女だったら、か。
───男のお前は?俺が知りたいのはそれだ。
アイザックは振り向いて、氷河の頭を小突いた。
「当たり前だ。俺はいい男だからな」
「自分で言うか?」
氷河が笑ってアイザックの背へ自分の背を預ける。
「でも……ウン。お前は本当にいい男だ。さっきは俺もちょっとやばかった、かな」
背中から伝わる体温にアイザックはゆっくりと目を閉じる。
高くそびえ立っていてとうてい越えられるはずもないと思っていた障壁は、一度越えてしまえば、思っていたほどの困難さはなく、それを見上げていた自分の心理がそう思わせていただけなのだったと知れる。
知ってしまえばもうそれは障壁として用をなさない。
「なあ……そろそろ眠い。今日一緒に寝てもいいだろ?」
「俺を蹴らないならな」
二度目は存外に近い、かもしれない。
ブリザードに閉ざされたシベリアの夜はまだ、これから。
(fin)