寒いところで待ちぼうけ

パラレル:午前時のシンデレラ

氷河女体化シリーズ
設定は同じですがそれぞれのお話は独立しています

今回は『ぺったんこ』設定で。

◆アイザック編 前編◆

 風が強まり始めた。
 低く垂れこめていた鉛色の雲が、渦巻く気流にスピードを速めて流れていく。今夜もブリザードとなりそうだった。
 視界が悪くなる前に小屋まで戻らなければならない。
 氷河はようやく長い祈りから顏を上げた。胸へ抱くように握りしめていたロザリオを服の中へと戻しながら、もう一度、足元の氷の海へ向かって暫しの別れを告げる。
 分厚い氷の上へ捧げたばかりの花束が、突然に強く吹き付けた風にざあっと攫われ、あっという間に見えなくなってしまったのが悔しかったが、この風はいよいよいけない。氷河はコートの前を掻き合わせるようにしながら、抵抗の強い風を縫うように小屋を目指して歩きはじめた。
 母が眠る海から、氷河達が暮らしていた修行小屋までの距離は決して近いものではない。
 それでも聖闘士となった今の氷河の脚力では、さほどの困難なく辿り着けるほどのものだ。
 ───その筈だった。

 風に逆らい、雪を踏みしめ歩く道程にそろそろ終わりが見えかけた頃、目指す小屋の明かりが遠く灯っているのが見え、氷河は氷の粒が乗った長い睫毛を何度か瞬かせた。

 明かり……?

 白銀に煙る視界に、道標のように、時折ゆらゆらと揺れるオレンジの光は暖炉の火だろう。
 消し忘れたはずはないのだが。
 方向を見失い、別の場所へ出てしまったのだろうか、とも思ったが、見慣れたあの形は紛れもなく氷河がシベリアでの拠点としている小屋である。
 ならば。

 氷河の心が期待でざわめく。あの小屋の鍵を持つ人間は氷河のほかにはあと二人。どちらも神の福音を受けたが、それぞれの任務で忙しく、好きな時に会える、というわけではなかった。

 あの明かりはもしかして。
 先生。それともアイザック。

 知らず、運ぶ足が早まる。
 どちらだろう。
 どちらであっても嬉しいことには違いないが、共に育った兄弟子の顔が脳裏に強く浮かぶ。
 聖域とは何かしら理由をつけて行き来しているが、海底とはよほどのことがなければ簡単には行き来できず、アイザックとはもう長いこと会っていない。
 本当はもっと会いたい、と思っていても、アイザックが何故そこへいるのかという経緯を考えると、氷河の方からはもっと会いたいと我が儘を言うことはできなかった。だから、アイザックの方から訪ねてくるようなことでもなければ、ほとんど会えない生活なのだ。そのアイザックが来ているのだろうか。そうだといい。先生と一緒だとなおいい。

 すぐそこに見えているのに、強く吹き付ける風によってか、早く、と焦る気持ちのせいか、なかなか距離は縮まらない。
 苛々としながら、それでも必死に足を動かす氷河に、不意にそれは起こった。

 どくん、と全身が脈打つような、あの、感じ。
 自分の身体がが自分でなくなってしまう神の気まぐれな悪戯。

 嘘だろ……また、なのか?

 いつもであれば、それがシベリアで起こったことを氷河は喜ぶところだ。誰とも会わずに済むからだ。
 だが、あの明かり。
 さっきまで浮き浮きと弾んでいた心が急に重く沈む。変わってしまった俺の身体を見て、先生は嘆くだろうか。アイザックは驚くだろうか。
 知られたくない。こんな恥ずかしいこと。
 きっと、呆れさせて、困らせてしまう。

 勢いよく運ばれていた氷河の足が次第に重くなりはじめ、ついには完全に止まる。
 迷っているうちにも、身体の方はすっかりといつもの変化を終えてしまっていた。厚いコートの袖口がだぶだぶと余り、雪用のブーツが脱げてしまいそうだ。
 いつもならこの『変化』は日が変わる頃には終わる。小屋に戻るのは日が変わってからにしようかという躊躇いを覚え、氷河は雪の中に立ち尽くした。
 だが、風は氷の礫をますます強く頬にたたきつけてくる。
 さすがに何時間もブリザードの中で過ごすのはいくら聖闘士と言えども……と、そこまで考えてハッとした。

 違う、今の俺には聖闘士として培った筋力もなければ体力もない。日が変わるまで、どころか、このままでは小屋まで辿り着けるかどうかも怪しいんじゃないか……!

 突然にそのことに思い至り、氷河の背を冷たい汗が一筋流れた。
 かなり危険な状況に置かれていることを自覚し、慌てて氷河は足を一歩踏み出そうとした。
 だが、サイズの合わなくなってしまったブーツは、雪に埋もれたまま、すっぽりと抜け、氷河の足だけが冷たい雪面へとついた。大慌てで振り返って、雪の中からブーツを取り出し、しっかりと紐を引いてどうにか足首にそれを固定する。雪面に足をついた拍子に靴下に触れた雪が氷河の体温で融け、それがブーツの中を濡らし、濡れたところから侵入してきた冷気にどんどん体温が奪われてゆく。筋肉の失われた今の身体には余り気味な袖口からも、襟元からも、それは容赦なく入りこんでくる。
 ますます激しさを増す風に、すっかりとウエイトのなくなった氷河の身体は押されて、ふらふらと不安定に揺れた。
 寒い。──痛い。
 我が故郷はこんなにも寒かっただろうか。肌を突き刺す冷気は寒さを通り越してもはや痛みしか感じない。足も手も感覚はなく、それは動いているのかいないのか、遠くに見える明かりは一向に近くならないどころか遠ざかっているようにすら感じる。
 あそこには誰かが待っているはずなのに。

 そのうちに氷河の瞼が重くなり始めた。
 ───疲れた。
 足を動かすのが億劫だ。
 俺は今、何のためにここにいるんだ?
 なんだか身体が温かくて気持ちよくてその上──眠い。みろ、積もったばかりの雪がふかふかと温かなベッドのようじゃないか。きっとあそこへ横たわれば気持ちいいに違いない。

 ふらり、と崩れ落ちた身体は『少女』の体力の限界を超えたことによるものか、それとも幻覚に誘われた氷河自身の意志によるものか。
 ああ、ほら、やっぱり気持ちいい。
 頬に当たる雪はふわふわと温かくて、そのあまりの心地よさに氷河はゆっくりと目を閉じた。
 よかった、ちゃんと小屋まで辿り着けた。なんて気持ちいいんだろう。待っていてくれた間に布団でも干してくれていたのだろうか。先生?アイザック?どっちだろう……。

「バカ、なにやってる!」

 抱き起こす影が耳元でがなり立てるのに、半ば眠りの世界へ足を突っ込みかけていた氷河はうっすらと目を開いた。
「……アイザック?お前が布団を干していてくれたんだな……」
「!大バカ野郎が!!何の夢見てんだ!死ぬとこだぞ!」
 紙のように白くなった顔で、アイザックだったのか、と笑いながらもう一度目を閉じようとする氷河の頬をアイザックは叩いた。痛みに不思議そうに氷河は目を開いたがまたすぐに瞼が閉じる。
 アイザックは舌打ちをした。自分で歩かせるのは諦めて、アイザックは、ぐったりと力の抜けた身体を素早く背中へ担ぎ上げた。
 もっと重量があるものを担ぎ上げるつもりでぐっと力を込めた膝が、予想外の軽さに、僅かに前へとつんのめった。
「……?お前という奴は、一人だと飯もろくに食わないのか。聖闘士がこんなに軽くていいのか。先生がちゃんと食えって言ってるだろ、いつも。作るのが面倒だとか横着してるんじゃないだろうな」
 ブツブツとお説教を繰り返すその声が温かく耳に響いて、広い背に揺られる氷河の口元へはやはり幸せそうな笑みが浮かんでいた。

**

 パチパチと爆ぜる薪の音に目を開けば、すぐ目の前に懐かしい顏があり、思わず氷河はがばりと飛び起きた。
「アイザック!いつ来たんだ、来るなら来ると言ってくれていたら……」
 心配そうな表情で覗き込んでいたアイザックは、目覚めるなり満面の笑みで身を乗り出す氷河に苦笑するしかない。
 手に持っていたバスタオルで濡れた金の頭を包むようにしてやりながら、失われた体温がしっかり戻ったことを確認するようにそっと氷河の頬を撫でた。
「言ってくれていたら?ブリザードの中を出かけたりはしなかった、か?」
 その言葉に、氷河はパチパチと目を瞬かせた。
 あれ?俺は一体どうなったんだ?
 記憶を手繰り寄せるようにくるくると瞳を動かしたが、何がどうなったのかさっぱり思い出せない。母に祈りを捧げたところまでは覚えている。その後は……ひどく眠くて気持ちがよかったことしか覚えていない。
「…………えーと、お前が俺をここまで連れて帰ってきた?」
「雪の中でお前は幸せそうに寝てた」
「……そ、そうだったのか。……ごめん」
 久しぶりの再会だというのに、会うなり世話を焼かせる羽目になって、あまりのバツの悪さに氷河は何も言うことができず、バスタオルの陰でただ俯いた。
『いつまでいられるんだ?』『こっちへは任務で?』『先生とは会ったのか?』
 母に祈りを捧げていた帰りをアイザックに救われた、というのも、なんだか後ろめたく、胸の内で溢れていた言葉はそのまま音となることなく消えた。

 満面の笑顔から、しゅうと風船の空気が抜けたようにしょんぼりと項垂れて顏が上げられないでいる氷河に、アイザックは乱暴にわしゃわしゃとタオルで頭を掻き混ぜた。
「びしょ濡れじゃないか。早く着替えないと風邪をひく。それから、一緒に飯でも作ろう?な?」
 こんな天気にどこへ行っていたのか、と問わないアイザックは、きっとその答えを知っているのだろう。それを思えばますます身の置き場はなかったが、だが、いつもと変わらない笑顔を向けてくれることに氷河は救われて、ようやくほんの少し顔を上げて頷いた。

「おかえり、アイザック」
「ああ、ただいま」
 少しテンポのずれた今更な氷河の言葉にも、即座に応えるアイザックは昔と何も変わっていない。照れたように、へへ、と笑う氷河の額を、いいから早く着替えろ、とアイザックは小突いた。
 今は互いに違う領域を守る戦士となった二人の距離は初めはややぎこちなく、だがすぐに、兄であり、弟であり、友でもあるいつもの馴染んだ空気に変わる。
 氷河はもう一度、嬉しそうに、へへ、と笑った。アイザックは、唇の動きだけでバーカ、と答えて、柔らかな笑みを浮かべてみせた。

 冷気に凍てついていた衣服は暖炉の熱に融け、しっとりと氷河の肌に貼りついていて不快な感触を伝えてくる。
 アイザックから受け取ったタオルで髪の毛から落ちる雫を拭き取り、氷河は立ち上がった。
 そこへ阿吽の呼吸でアイザックが乾いたTシャツとズボンを放って寄越す。
「ほら。悪いけど勝手にお前の部屋を探ったぞ。お前が気がつかなきゃ着替えさせてやろうと思ってた」
「ああ、悪いな」

 氷河は暖炉の前で、濡れた衣服を脱ぎ始めた。

 ───違和感はあった、のだ。
 やけに洋服のサイズが大きいような気がして。だが、どこもかしこも濡れていたから、違和感はそのせいだと思い、深く追求はしなかった。
 コートを取り、手袋を取り、靴下を取り……ああ、冷たいと思ったら、下着の中まで全部濡れてしまったんだな、とセーターとシャツは面倒でまとめてたくし上げた。
 その段階でも、頭のどこかで、ちょっと待て、と何か警鐘が鳴っていたのだが、一度気を失ってぼんやりと霞んでいた氷河の意識は、警鐘の正体をすっかりとスルーした。
 ベルトへ手をかけ、あー、俺、ちょっと痩せたか、と思いつつ濡れて張り付くジーンズをえっちらおっちらずり下げて、そこで氷河にようやく衝撃が訪れた。
「わあああああああ!?」
 せっかく苦労して太ももあたりまで下げたジーンズをものすごい勢いで再び臍の上まで持ち上げて、氷河は露わになった胸を隠すように屈みこんだ。

 そうだった……!
 そもそも、なんで雪の中で寝る羽目なんかになっていたかっていうと、こういうことだった……!
 えっ……でも、なんか……なんか、いつもと違わないか!?

 氷河はおそるおそる視線を下げた。
 過去の経験から条件反射で咄嗟にそこを両手で隠したが。

 ……ない。

 いつもなら忌々しいほどの膨らみで『女』を主張してみせる二つの脂肪の塊が。

 いや、なくはない……のか?
 氷河の手のひらに収まるほどの隆起でしかないが、ささやかな丸みが二つ。あると言えばあるような。

 ???

 『変化』が起こっていることは確かだ。あるべきものがない違和感はたった今しがた明確に自覚した。だが、ないはずのものがある、いつもの違和感を今回は感じない。
 何かよくわからないが、いつもの状態よりマシ……なのか?
 何が嫌だって、『変化』すると同時に胸元のボタンが飛ぶのが嫌だった。後で付け替えるのが面倒なことこの上ない。動くたびに揺れて気になるし、靴を履くのにも邪魔だ。何より、あそこまで女性であることを身体が勝手に主張していては言い訳のしようもなく、氷河にできることと言えば、誰にも会いませんようにと祈ってひたすら家に籠ることくらいしかないからだ。

 でも、これはいい。
 アレさえなければ、洋服を脱ぎさえしなければ、俺に起こった変化を誰にも知られずに済む。どうせ日付が変わる頃には戻るのだからそれまでのごまかしくらい朝飯前だ。
 ……洋服を脱ぎさえしなければ……
 え、ええと。

 氷河は胸を押さえてかがみ込んだまま、おそるおそる背後を振り返った。別のところを見ていて気づいていなかったらいいんだが、という希望は、こちらを見返す紅の瞳に一瞬で潰えた。

「み、見たか……?」
「……見た」
「えーと、俺、胸筋、結構ついた、かなーなんて……はは…は…」
 アイザックに嘘をついて上手くいった試しがないのだが、駄目で元々、せっかく神が情けをかけてくれた(?)のだから、ちょっぴり膨らんでいるコレは筋肉です、と言い張る作戦に出てみる。
「お前じゃあるまいし、胸筋と乳房の区別くらいはつく」
「……つ、つくのか……」
 つくってことは、アイザックは女性との経験があるのだろうか、と、今は全くそれどころではないというのに、そんな疑問が頭に浮かび、それはチクチクと氷河のささやかな胸を刺した。
 先を越されて負けたようで悔しいのか、アイザックを取られたような気がして寂しいのか、混乱した頭ではわからなかった。

**

 氷河の話は珍妙だった。
 俄には信じがたい話だ。
 だが、それを言うならアイザックにとっては、自分が再びの生を与えられたこと、そのことだって信じがたい話なのであるのだから、神という、時に人知を越えた理屈で動いている存在に疑問を差し挟むこと自体がナンセンスであるのかもしれなかった。

「話はわかった。一時的なものなんだな?」
 アイザックがそう言うと、氷河はウン、と心細げに頷いた。
 突然の衝撃にそのまま状況説明が始まってしまったせいで、氷河はまだ惜しげもなく白い肌を晒している。
 見るべきではない、と思ってはいても、あまりの状況に、もしかしたら、「ほら、騙された」と今にでも氷河が笑い出すのではないだろうかと、悪戯の痕跡でもないかと、つい何度も確認をしてしまう。
 だが、覚えのある傷痕や、見慣れた黒子の位置が目の前の存在は間違いなく『氷河』であることをありありと証明している。
 無駄な肉のついていない伸びやかな肢体は、どことなく丸みを帯びている以外は彼の知る氷河と大きく変わるものではない。ただ、胸を隠すように覆っている指の質量に従って、簡単に形をかえる乳房はその柔らかさをありありと示していて、それがどうしようもなく気になった。
 雪に焼けた氷河の指の健康的な小麦色に対比して、その下に見え隠れする白さがあまりに眩しい。氷河の肌の白さなどとっくに承知で、むしろ、純粋な白色人種である自分の肌の方が白い部位だってあるほどなのに、その白さは何者も触れさせぬ聖地のように思えて神々しく、そしてそれと矛盾してずいぶんと卑猥だった。

 不意に氷河が盛大にくしゃみをし、そのことでハッとアイザックは我に返った。
 床に落ちたままだった氷河のTシャツを拾い上げ、彼(?彼女、か?)の頭にそれを被せてやる。こんな時、感情を隠し慣れていることはありがたかった。完璧な無表情でアイザックはそれをやってのけた。
「ほら、服を着ろって」
 アイザックの態度が変わらないことに安堵したのか、氷河は軽く頷くと、立ち上がってもそもそとシャツを着込み始めた。
 アイザックは気づかれぬよう息をついて視線をさりげなく逸らす。逸らしたところで、突然に現れた聖女の白い身体はしっかりと網膜に焼き付いている。

 元々、わざわざ氷河の着替えを凝視していたわけではなかった。
 無造作にその場で着替え始めた氷河に、先ほど背負ったときの軽さが気になった、のだ。
 そう言えば、お前、痩せたんじゃないのか、ちょっと腕を見せてみろよ、と気軽な気持ちで視線をやって、目の前にある白い背中にドキリとした。
 氷河の背中など見慣れている。風呂だって一緒に入る仲だ。珍しくも何ともない。なのに、異様に心臓が脈打った。
 ずいぶん小さく感じる。それに肩から腰までが流れるような曲線を描いていて、やけに艶めかしい。
 我を忘れて抱きしめたくなるような。
 もっと言葉を飾らずに言うなれば、急速に下肢に血が集まり獣の欲で己自身が熱く漲る、馴染みのあの感覚。
 声を失い、すぐに自分に後ろめたくなった。
 氷河に劣情を催すのは実のところ初めてではなかった。だが、それは禁忌だ、とそのたびに抑えこんできたのだ。俺はまたも氷河をそんな目で、と慌てて二度、三度と頭を振ってアイザックは思いを振り切る。
 だが、そんな彼の前で、氷河はさらに無造作にジーンズへ手をかけ、濡れた固い布地から足を抜こうと悪戦苦闘するその拍子に身体が僅かにこちらへ傾き……既に、急上昇した熱を強靭な意志で下げかけていたアイザックの視線が、『それ』を捉えた。

 ……………。

 今、視界に入ったのは何だ。

 乳房に見えるのだが。
 いや、違うのか?
 絶対にそうです、と言い切れない程度の膨らみしかない。
 俺の煩悩は、ついにありもしない乳房を氷河の胸へ見るほどに逸脱してしまったのか?
 ……最低だな、俺は。

 濡れたジーンズに四苦八苦している氷河が動くたびに柔らかそうなソレはふるふると小さく揺れている。

 ……いや、乳房だろ!?どう見ても……と、いうにはいかんせん質量が足らな過ぎる気がするが、いやでもしかし。

 並大抵のことでは動揺しないアイザックもさすがに混乱して、自問自答しているうちに、氷河が真っ赤な顔をして悲鳴を上げた、というわけだった。(ちなみに乳房だと確信したのは氷河が悲鳴を上げた瞬間である。)


 今度こそしっかりとTシャツとハーフパンツを着込んで、これで良し、と氷河はこちらへ向き直ったが、全然よくない。よりによって、Tシャツが白い。そんなことになるとは夢にも思わなかったから、氷河がよく着ている色を何気なく選んだだけだ。
 先ほどの成熟する前の青い果実のようなしなやかな肢体はしっかりと隠されているのだが、薄布は全てを隠すのには少々用足りないようであった。
 微妙に透けているのだ。……なだらかな丘の二つの頂がぷっくりと。
 網膜に焼きついた可憐な桃色が、そこだけピンと張った白い布地に脳裡で色を添える。

「……あの、アイザック……?」
 だよな、こんな身体、気持ち悪いよな……と捨てられた子犬のような目で不安そうに見上げる薄青の瞳から逃れるように、アイザックは氷河が脱ぎ散らかした濡れた衣服を拾い上げた。無表情を続けるのにもそろそろ限界が来そうだ。
「……それじゃ寒いだろう。もう一枚何か羽織れ」
「?いや、このままでいい。この部屋、十分暑いから」
「…………あ、そう」
 氷河の鈍さと空気の読めなさは今に始まったことではない。
 アイザックはなるべくいつも通りの笑顔を浮かべて見せる。ただし、視線を氷河ではなく、背後の壁で焦点を結ぶように微妙な努力をした上で。
 氷河の方を何とかすることができない以上はこうして自衛するしかない。今までだってずっとそうしてきた。

 アイザックの笑顔に、氷河は心底安堵したように笑って、よかった、飯、なんにする?と甘えたようにまとわりついてきた。彼の中ではアイザックが笑顔を見せた時点で、もうすっかり問題は解決したことになったらしい。
 氷河が取ったアイザックの腕に平べったい胸が当たる。たいした膨らみもないくせにそれは想像通りずいぶん柔らかかった。

 絶対零度、とは全てのものが凍結される摂氏零下273.15度の温度であり……であり……

 少しでも気を抜くと、あっという間に下肢に集まりそうになる熱を息を吐いて散らしながら、アイザックはつまらなかった座学(先生すみません)の一つ一つを諳んじてみるのだった。