女体化シリーズ
設定は同じですがそれぞれのお話は独立しています
今回の女体化はミロです。ミロ(女)×氷河ですので、苦手な方、閲覧をご遠慮ください。
◆ミロ女体化編 ②◆
まったく予定外で予想外の事態だった。
氷河を肩へ抱え上げたのはいいが、全身に経験したことがない熱いうねりを感じて、感じたかと思えばみるみるうちに腕からも足からも力が抜けてゆき、暴れる氷河の身体を支え損ねて、ミロにとっては相当に不本意なことに、ぺしゃり、と抱え上げた身体もろともに床へと崩れた。
何が起こったのかとミロは己の身体に目をやって、黄金聖闘士として培われてきた筋肉を失い、代わりに触り心地だけは良いが戦士としては何の役にも立たなさそうな脂肪の塊が一回り小さく縮んだ骨格を覆っていることに瞬時に気づいた。
窮屈に己の胸元の布地を押し上げる隆起に、まさか、としばし事実確認に時間を要しはしたが、どうやら自分の身体が女性化したようだ、という理解はわりと早かった。
それというのも、先例を知っていた、からで。
ミロが抱え上げてうっかり取り落としてしまった氷河その人が、過去にそれを経験していた。なぜそうなるかはてんでわからないが、短時間で元に戻ることだけは知っている。
ならば、日頃『坊や』と呼んで憚らない氷河の前で、みっともなく狼狽えるなどという醜態を晒す必要はなかった。
この身体に己の顔がくっついているのだと思えばミロにとっては滑稽でしかなかったが、首から下だけを判定するならばなかなかどうしていい女だ。
形よく盛り上がった乳房にくびれたウエスト、程よく肉感的な腰つき。
男物のシャツの下でその完璧なスタイルは、女性らしい色香を誇示するように主張していて、ぴったりと肌に密着する洋服でも選んで街を歩いて見せれば、まず間違いなくたいていの男の目を惹くだろう、と、ミロは己の客観的な位置づけをしてみせた。
女性の中でも上等な部類に己がカテゴライズされるであろうことはミロを少々ご満悦にさせた。
ミロ自身は見た目の美醜に拘る方ではないが───どうせならとことん『女』を意識させる見た目に変化した方が坊やをからかうのに都合がよさそうじゃないか?
あっという間に己の置かれた状況に馴染んで、早くもニヤリと口元を歪めたミロだったのだが。
つくづく、この坊やには驚かされることばかりだ。
アンタレスを食らってなお、前へ進む意志を見せた時も、それまで生きてきた道筋を覆されるほどの衝撃を受けたものだったが。
氷河は今、ミロの弾力のある二つの乳房を枕に、すうすうと子どものような寝息を立てて夢の世界へ旅立っているのである。
情交を終えた気怠さから微睡を、などという色気のある話では全くない。
単に、夜が深まるに従って睡魔が訪れる、という、人間の生体反応を素直に受け入れた結果として、まっこと健やかに、すやすやと寝入ってしまっているのだ。
ミロの価値観ではまずありえない光景だ。こんないい女を前に手を出したいそぶりも見せないとは、と、半ば呆れ、半ば感心して、意外にも「女性」といることに慣れた様子を見せる氷河をミロは怪訝に見下ろした。
日頃は些細なことですぐに赤くなり、声を上ずらせるくせに、普通の少年なら平静でいられそうにないこの状況の中、どうしたことか氷河はずいぶんと落ち着き払っていた。
最初こそ声を失って茫然としていたものの、事態をうまく呑みこんでからは、まるでクールそのもの。
「その身体ではさすがのあなたも今夜は大人しくしているほかない。何かあるといけないから元の身体に戻るまでは一緒にいてあげるけど」
と、氷河はどこか得意げに言った。
「一緒にいてあげる」とはずいぶんと生意気な言いぐさだが、その生意気な態度を支える自信は『自分も女性化したことがある』という、通常あまり胸を張れない経験に裏打ちされているのだと思うと、ミロは密かに笑いを噛み殺した。
今笑うと氷河に逃げられてしまうから、表情筋を総動員させて、ああ、頼む、としおらしく頷いてみせたところまではよかったが、その後はミロは肩透かしに次ぐ肩透かしでペースを乱されっぱなしなのである。
坊やの初心な可愛い反応が見られるに違いない、と、ミロの仕掛けた悪戯は悉く空振りに終わった。
「慣れない身体だと大変だから俺が作るよ」とやはり先輩面をしてキッチンへ立った氷河の隣へ並んで、その肘へ乳房が当たるように密着してやっても、「ミロ、ちょっとじゃま」とクールに追い払われ、ならば、と風呂上がりに濡れ髪のまま白いシャツを釦を留めもせずに引っかけて出てきてやれば、「ああもう!ちゃんと拭かないから床が濡れるじゃないか!」と叱られた。
床か?君の視線の行く先は床でいいのか?
挙句の果てがこれだ。
夕飯で満てた腹を抱えて、ソファへコーヒーカップ片手にくつろげば、氷河はカップの湯気もまだ消えないうちから、ミロの肩にもたれ掛かってうとうとし始めた。何度か船を漕いでいたかと思うと、大きさ的にも弾力的にもちょうどよい『枕』を見つけた金色の頭は、安定を得たことで本格的に寝息を立て始めた、というわけだ。
(眠ったふりで胸の谷間に顔を埋めに来るとは、やはり氷河も俺の身体の魅力の前に我慢がきかなくなったか、と既にからかう準備は万端でニヤついていたミロは、寝息が本物であることを確かめるために何度も氷河の鼻を摘む羽目になった)
どういうことなんだ?
ちょっと手を触れただけで火傷でもしたかのように狼狽え、触るな、とか、来るな、とか、ミロにしてみれば誘い文句にしか聞こえない台詞を吐いて赤くなる、あの氷河と同じ人間なのか?これが。
乳房というオプションがついたことで動揺が増すのならわかる。逆にクールになるというのが解せない。もしや氷河は女性嫌いなのかという疑念も過ぎったが、それにしては柔らかなミロの身体に包まれてたいそう幸せそうに眠っている。
わけがわからない。俺は一体これをどう受け止めたらいいんだ?
ミロは氷河の鼻をもう一度指先で摘んだ。ふぐ、と息の詰まった音を出して首を振る仕草がまるで子どもだ。
思わずミロはふはっと力の抜けた笑いを漏らした。
君にはどうやらちゃんとした女の扱い方も教えてやらねばならないようだ。
可愛い、なんて笑われて「坊や」扱いされてもいいのでなければ、手も出していない女の胸で眠るのはよせ、と。
「坊や」ではない男がそれをしていいのは「事後」だ。間違っても「事前」じゃない。笑われるならまだいいが、恥をかかせたとひっぱたかれたって文句が言える立場じゃない。
まあ俺は女ではないからひっぱたかないでいてやるが。(しかし目が覚めたらしっかりからかわせてもらう)
だが、それはそれとして。
ミロはそっと氷河の身体に腕をまわした。
これほど無防備に氷河がミロに身体を預けていることなど初めてだ。いつも、頬を少し紅潮させて、やめろ、と警戒心をむき出しに威嚇するばかりだ。
最後には、ミロ、と熱でとろけた砂糖菓子のような声で呼ぶくせに、そこに至るまで、彼が鎧のように纏ったプライドを少しずつ剥いでいく、という儀式が毎度必要になる。
時に羞恥で反論もできなくなるほどの甘い言葉で、時にサディスティックに力でねじ伏せて。あるいはもっと直接的に強い快楽で追い詰めたところで焦らして。手段はその日のミロの気分次第だが、会う度に氷河を手に入れるためのプロセスを新しく踏まねばならない。
どれだけ回数を重ねても、次に会う時にはまた「いやだ」から始まるという頑なさに、「手に入れた」という充足感が得られることはない。獲物を狩るプロセスを楽しむ余裕こそあったが、それでも、なかなか素直な本音を見せようとしない姿に、何故なんだ、と苛立ちで焦れたことが一度もないとは言えなかった。ミロが氷河の本音、と思っている部分は、実は己の都合のよい脳が作り出した幻影で、本当は氷河は言葉通り心底嫌がっているのではないのか、という不安さえ抱いたことも。
胸の上へ流れる柔らかく広がる金髪をミロはそっと撫でる。少し開いた唇が間が抜けていて、でも、そこがいい。
気構えもせず、壁もなく、素の氷河に初めて会えたような。
どういうわけか、女性の身体を前に狼狽える氷河をからかう、という当初の目的は空振りに終わってしまったようだが、無防備に俺の腕の中で眠る君というのも悪くない。手に入れる過程自体を好きなのではなく、氷河自身を気に入っているからには、こんな風に手に入れた後に普通なら訪れる穏やかな時間だって望みたいというもの。
ずいぶんとおかしな流れではあったが、氷河がミロに対してガードを下げていい、と思えるきっかけになったなら、神の悪戯もあながち悪いことだけとは言えない。
得難い時間を愛おしむように、ミロは柔らかな淡い色の髪を指で梳いて、露わになった額にキスを落とす。
と。
薄く開いていた氷河の唇から、微かな寝息とともに声が漏れた。
「…………ーマ……」
……………『マ』?
『マ』とは何だ。
ミロはしばし思案顔となる。
せっかく甘く優しく気持ちが盛り上がったのだ、己の名でも呼べば完璧だったものを。
唇から零れたのがミロの名だったなら、呼んだか?と揺り動かして目覚めさせ、あなたの夢を見ていた、と少し照れた表情を見せる氷河に、そばに本物がいるのに、と優しく笑って口づけを、という恋愛映画さながらのシーンになること間違いなしの場面だったのだが。
「……ーマ……」
まただ。人の名か?
次第にミロの表情が険しくなる。
気に入らんな……。
百歩譲ってカミュまでは許す。あの師弟関係は切っても切れぬもの。夢うつつで師の名を呼ぶことまで許さぬほどミロは狭量ではない。(あくまでそれが「師弟」関係であれば、の話だが)
だがそれ以外に、夢で何度も呼ぶほど氷河の心を占有している奴がいるというのはあまり面白くはない事態だ。
「マ」……「マ」………
「トーマ」か?それとも「ソーマ」?「テンマ」に「シジマ」ってのもいたが……と何故かつらつらと勝手に脳裡に浮かぶ名前に思考を巡らし、はた、と気づく。
……………。
……………。
……………「マーマ」……?
「マーマ」だな……「マーマ」だ……「マーマ」か!
この歳でこの状況で母親の夢を見ているとは!(間男?の方がまだ良かった!)
衝撃的な事実に、さすがのミロもたじろいだ。
俺など似ても似つかぬ容貌だろうに!氷河にとっては「女」と言えば母親一択なのか!?
どうりで男にとって垂涎のシチュエーションをクールにスルーしておきながら、乳房に顔を埋めて眠る、などという高度なテクニックを難なく披露したはずだ……。
言っただろう、筋金入りなんだ、とドヤ顔をするカミュの姿がミロの脳裏に浮かぶ。
死んだ母親が忘れられなくて手を焼いているのだ、という話はそう言えば聞いたことがあった。甘っちょろい青銅のヒヨコめ、とたいして重要なこととも思わずにその時は聞き流した。
以後、ミロの前で氷河が母親の話をしたことなど一度もなかったから、カミュの奴、相変わらず大げさで心配性だ、だから苦労するんだお前は、と笑いこそすれ、まさか己の障壁となってそれが立ちふさがるなどと想像もしたことがなかった。
衝撃の中に身を置くミロに、カミュが、勝ち誇ったように、氷河のそれは手ごわいぞと笑っているような気がして、ミロの感情は波立つ。
ミロは、おいっと、己の胸の上ですやすや眠る氷河の背中へ膝を蹴り上げた。
さっきまで、氷河もようやく俺に心を開きかけたようだ、と悦に入っていたのだ。それがどうやら勘違いだったらしいことがわかり、浮かれた感情に一気に冷水を浴びせられた分だけ、それは乱暴な動きへとなった。
「った!……????」
『枕』を失って急激に眠りの世界から引き戻され、氷河は慌てて身を起こして何度も瞬きをする。まだ現実世界と夢の世界の境界を行きつ戻りつしている氷河の耳をミロは指先で摘み上げた。
「君って奴は『坊や』通り越して乳臭さの抜けん赤ん坊か!」
がなり立てる声で現実に引き戻された氷河は、痛い痛い、と耳を押さえた。まだ朧な世界へ片足を突っ込んでいるうちに言われた言葉の意味はどうやらまだ脳髄まで達してはいないようで、ただ不機嫌そうにミロを見やる。
「人を乱暴に起こして何の用だ……」
チラリと時計を見て、眠い、と言いたげに大仰なため息をついた氷河は、今度はソファの肘掛けを枕にする向きに身体を傾けて、そのままごろりと横になった。クールな態度には見えるが、なんのことはない、未練がましく夢の世界へ帰ろうとしているのだ。
おい、寝るんじゃない、とミロは、こちらに壁を作るように膝を立てた氷河の足首を掴んで引っ張った。
その弾みで肘掛けから頭が落ちて、やめろよ、とふてくされた顔をしながら氷河はしぶしぶと起きあがった。
ミロは氷河の視線をそこへと集めるように、つんと張り出した己の両の膨らみを揉みしだくように、弾力のある肉に両手の指を埋めた。いつもの余裕などあったものじゃない。何が何でも「マーマ」には勝つ!という強い使命感にただ衝き動かされていた。(思えば天秤宮へ悲愴な顔をして下って行ったカミュもそうではなかったか……)
「君はこれが目に入らないのか!?」
「……?それは聞いたことがあるな……。『控えおろう、このお方を何と心得る。ゴロウコウ様のお通りだ!』ってやつ?」
「『ゴロウコウ』?」
「馬に乗ってお金を投げながら暴れるお爺さんのことだ」
微妙に色々混ざった氷河の説明がミロに通じるはずもない。
「……それは危険人物に違いないから即刻成敗するべきだとは思うが……違う、そうではない。君の目は節穴か。これをちゃんと見ろ」
「見えている。目は悪くない」
「何とも思わない?」
「何を思えばいいんだ?」
「揉みたいとか」
「ああ……それ、重いし肩は凝るよな。女の人って大変だ。……揉んでほしいのか?肩」
「誰が肩の話をしている!……む。君はもしかして『まな板』の方が好きなのか?」
「まな板の方?何と比べて?包丁???」
いきなりキッチンツールに話題が逸れたことに氷河は怪訝な顔をしているが、まるで成立しない会話にミロの方こそ首をひねりたいところだ。
いくら俗な話題に疎くても前後の流れから意味がわかるだろうに!
本来の資質のせいか、それともカミュがそこまで俗世間から隔離して育てた結果(「成果」か「弊害」か微妙なところだが)か。
これはどうもだめらしい、と遠まわしに聞くのを潔く諦めて、ミロは直接話法に切り替えた。
「質問を変えよう。君はどんな女が好きなんだ。(いくらマザコンでも)好きなタイプくらいはあるだろう?」
「まな板と女の人を比べるのか?」
「質問を変える、と言っただろうに!まな板はもう忘れろ!君の女の好みを聞こうとしたんだ。どうなんだ」
「知るもんか。考えたことない」
「では今考えろ。俺を見てどうだ?こういう女はグッとこないか?」
「どうって……」
両手を広げて、じっくり吟味してみろ、と言いたげに自分の身体を誇示するミロを氷河はまじまじと眺める。
「……そんな大きな女の人なんかいない」
「まさか!このくらい……そうだな、確かに控え目とは言い難いが、大きすぎるってことはないだろう。俺より大きな女など五万といる」
そう言って、ミロは確認するようにシャツの上から両手の十本の指をうごめかしてやわやわと己の乳房を揉みしだいた。ミロの長い指の間から張りのある肉が収まりきらずに零れたが、手のひらの大きさを差し引いてもそれはさほど特別な光景ではないように思えた。
だが、その光景を見返す氷河の瞳はじっとりと冷たい。
「女の胸の大きさが語れるほど経験豊富で結構なことだ、この女ったらし。誰が胸の話だって言ったんだ。背のことを言ったんだ、俺は」
元が長身だ。一回り縮んですらミロはまだ氷河よりほんの少し上背があったのだ。
冷たい視線を寄越した氷河の声音にやや拗ねた色が混じったのは、「女ったらし」の方へか、それとも「敵わない身長」の方へか。
前者に関しては、誤解だ、と言いたいところではあるが、それでも、予想外のクールなリアクションが返って来るより拗ねられる方が慣れている分だけ扱いやすい。
「つまり君は小柄で華奢な方がタイプだってことか」
「小柄とか華奢とか、女の人を『部分』で見たことなんかないからわからない。そうじゃなくて……あなたは『女の人』じゃないだろってことが言いたかっただけだ」
「そんなことはわかっている。こういう外見の女は好きか嫌いか聞いている」
「だから、あなたは女の人じゃないじゃないか!!普段と違うもので判定させるなんて無意味なことをするなら俺は帰る!」
氷河は声を荒げ、頬を紅潮させた。そうしておいて、余計なことを言った、と言いたげに唇を噛んですぐに俯いた。
その表情はミロには馴染みだ。
ミロのからかいに、時折口を滑らせて本音を漏らした時の、あの。
ここへ来てようやく見せたいつもの氷河らしい反応に、ミロは気づいた。
氷河がマザコンかどうか。
女に興味があるのかどうか。
今気にするべきはそこじゃない。
『好きな女のタイプ』という一般論を問うているのに、『あなたは』とミロ固有の話から離れない、噛み合わない会話が意味するもの。
「帰るのか」
「……これ以上俺を困らせるなら帰る」
「こんな状態の俺をおいてか」
「どうせあと少しで元に戻るから平気だ。……一生そのままでもいいくらいだ」
「いや、それは困るな。坊やを抱けない」
「なっ……か、勝手なことを……俺は、だ、抱いていいなんて一度も言ってない」
「でも俺を好きだと今言った」
「……っ!!ってないだろう!!!」
「違うのか?俺以外は眼中にない、とも聞こえたが」
「こ、の自信過剰……!!!」
氷河は真っ赤になってミロから顔を背けた。金色の髪からのぞく耳もうなじも目にも鮮やかな朱に染まっている。
こうなるともうミロのペースだ。
ようやく取り戻した余裕をミロは口元へ貼りつけて、よっと膝で氷河ににじりよる。程良く沈むソファの上で、く、来るな、と氷河が後退をした。
クールに「じゃま」扱いされれば調子を乱されるが、逃げるものを追いかけるのは得意だ。
永遠に後退し続けられるほどの幅のないソファの上、あっという間に逃げ場はなくなったが、それでも氷河は既に嫌な予感がしているのか後退をやめない。
おい、落ちるぞ、と咄嗟にミロは腕を伸ばしたが、ミロの腕が落下を止めるために腰を抱いたことで、ビクッと過剰に反応した氷河の足がソファの座面を蹴り───今のミロの腕に氷河の体重を支えきるだけの筋肉はない。
結局、二人の身体は絡まり合って床の上へと転がった。
短い距離を落下しながらも、それでも落下を予想していた分だけ冷静だったミロは氷河の身体を受け止めるようにくるりと身体を反転させて受け身をとってやった。
思ったより堪えた背中への衝撃に、今は氷河の方が頑丈なのだから逆だった、下敷きにしてやればよかった、と気づいたがまあ身体が勝手に動いたのだから仕方がない。
床への激突を身を挺して回避させてやったにも関わらず、氷河ときたら礼も言わずに、朱に染まった顏をミロから背けて、柔らかな身体の上から飛び退こうと慌てふためいている。
そうはさせるか。
既に宙に浮きかけていた氷河の腰にミロは自分の両足を絡めた。
「ミ、ミロ……!」
ミロの顔の横に両腕をついて、できうる限りミロから距離を取ろうと必死に抵抗する氷河を見上げてミロはニヤニヤと笑った。
「そんなに『俺』のことが好きなのか……?」
「……つ、都合よく勝手な解釈して俺の意志を確認しないようなひとなんか好きじゃない!」
「認めるなら俺を『マーマ』と呼んだことは許してやってもいい」
「えっ!……お、俺……」
よ、呼んだっけ、と目を白黒させ、氷河はさらに真っ赤に茹で上がってしまった。
盛大に狼狽えて、冷や汗をだらだらと垂らす氷河の首へも腕を絡めてミロはそれを引き寄せる。
ミロが口づけを誘うように顎を持ち上げたのを、氷河は必死に腕を突っ張ってふるふると首を振って拒絶した。
その様子を見上げてミロは笑う。いつもは強引に力で押さえ込んで口づけして後はなし崩し、ということも多いが今日ばかりは拒絶されればそれ以上引き寄せるだけの力もない。
「よし、ならば今日は先に君の意志を確認するとしよう。『今すぐ君を抱きたい』……これならいいか?」
氷河の目が軽くみはられ、その瞳に驚愕と動揺と猜疑とありとあらゆる複雑な色が浮かび、さんざん迷った末に、最終的には無表情となって、冗談だろと言いたげに口元をクールに綻ばせた。
「何言ってるんだ、今のあなたにそれは不可能だ」
夢とは不可能という意味じゃない、と言った口が何を言う、とミロは笑った。
「不可能じゃなきゃいいみたいだな?」
「……でも不可能だ」
ここにいるのは男が一人と、「女」が一人だ。なのにその可能性にこれっぽっちも思い至っていない氷河にミロは苦笑した。(同時に自分のせいだろうか、と罪悪感も少々刺激はされた)
「頭が固いな、氷河」
「?だ、だって、今、あなただって、だ、抱けなくて困ると……」
「そりゃ俺もそっちの方が好きだからな」
「???」
「喜べ、こんないい女を相手にできるチャンスなんかそうそうないぞ」
「ミロ、さっきから何を一体……」
ミロは赤く染まった氷河の耳元へ息を吐いてそれを唇に含む。ミロの太腿で挟んだ男の腰が、居心地悪くもぞもぞと逃げ場を探している。
「まだわからないのか。今日は君に俺を抱かせてやろうって言ってるんだ。鈍いのも時と場合によっては可愛いが、女にここまで言わせるものじゃない」
「え……ええっ……!?」
ミロの長い腕と脚で捉えた身体が明らかに熱を帯びて動揺した。
さすがにミロが言わんとすることを理解して、今日一番の動揺を見せた氷河は、わたわたとミロの腕から逃れようとして滑り、胸の谷間で鼻をぶつける、という反応を返した。思った通りの初心な反応をようやく引き出すことができてミロはしごくご満悦だ。
正直に言えば、それは言った瞬間まではミロにとっても本気ではなく、お得意のからかいでしかなかった。
ああ今すぐこの可愛い坊やを抱きたいな、と思ったのは本当だ。いつものように、ミロ、と潤んだ瞳で縋る身体を揺さぶりたいと。うっかり漏れた氷河の本音を愛おしく思う、その気持ちが性欲に直結するほどにはミロは大人であって、それを完全に抑え込めるほどには大人ではない。
だが、残念なことに、今はいつもと身体が違う。愛おしさに昂り、逸る気持ちを宥めるために、せめて氷河を言葉で、態度で、甘く嬲って、身体が戻った暁にはすぐに食らいつく、本当にそれだけのつもりだった。(ミロにとっては捉えた獲物を爪で転がして、からかい、反応の良さを確かめるのも、ちょっとした前戯のようなものだ)
一日中、氷河に乱されっぱなしだったペースをようやく取り戻したことに気をよくして、ミロはここぞとばかりに畳みかけ───
「おっと、夢うつつに『マーマ』を呼んでいる坊やには到底無理な相談だったかな?今日のところは坊やを膝に乗せて絵本でも読むに留めておこうか」
つい、逸脱した。
すぐに真っ赤になってしまう、寝言で『マーマ』の氷河にはそんな勇気などないだろうと少し侮っていたせいもある。だが、ミロがニヤニヤと過剰に挑発した言葉に、赤くなって狼狽えていた氷河の表情はみるみる間に固く強ばった。
「……言っておくが俺は『坊や』なんかじゃない」
ミロの上に落ちた影が、いつもの少年特有の突っ張りとは違う剣呑な空気を孕んでいる。
おっと、言い過ぎたか、と素直に非を詫びるつもりで開いた唇が何も言わないうちに、固い表情をしたままの氷河の瞳がミロを射抜く。
「冗談でもそんなことを言わない方がいいと思うけど。今のあなたは力では俺に敵わないんだから」
ミロから逃れるように突っ張らせていた氷河の腕は、いつの間にか今は檻のようにミロを少年の身体の下に閉じ込める役割へと変わっている。
ミロはそれをチラリと流し見た。
ほんの一ミリも怯んでいないかといえば嘘になる。ミロにとってもそれは未知の領域だ。だが、氷河を前に退くという選択はミロにはなかった。
「ほう?坊やに俺を組み伏せる勇気があるのか?手が震えているじゃないか」
「撤回、しなくていいのか」
「してほしいのは君の方だろう?」
「本気なのか」
「しつこいな。時間かせぎか?」
「……知らないからな」
後には退けなくなったのか、氷河はごくりと喉を上下させて、さすがに語尾を震わせた。
冗談だよ、と言えば、きっとあからさまに氷河はほっとした顔を見せるに違いない。慈悲をくれてやってその可愛いさまをまたからかう、という手もあるわけだが……ミロの瞳が加虐的に光る。
男も、そして『女』も俺自身が教えてやるというのも悪くはない。
(少なくとも「マーマ」にはできまい)
長い腕を絡めた首を引き寄せて、ミロは熱い吐息とともに囁いた。
「こい、氷河、君を男にしてやろう」
再び氷河の喉が小さく音を鳴らして、覚悟を決めた瞳が静かにミロを見た。