寒いところで待ちぼうけ

パラレル:午前時のシンデレラ

女体化シリーズ
設定は同じですがそれぞれのお話は独立しています


今回の女体化はミロです。ミロ(女)×氷河ですので、苦手な方、閲覧をご遠慮ください。

◆ミロ女体化編 ①◆


「坊やはいつまでたっても背が伸びないな」
 すらりと長い足を無造作に組んで、ゆったりとソファの背に自分の躯を預けたミロはそう言った。

 天蠍宮。
 宝瓶宮ほどではないが、ここにだって書棚くらいはある。部屋の片側の壁一面、天井まで覆う書棚に納められた本の背表紙の文字を氷河が夢中で読んでいた矢先の出来事だ。
 残念ながら氷河の手の届く範囲には、『聖域の歴史』だの、『応用物理学』だのたいていどこの宮にも備え付けられていそうなありきたりのタイトルしか見つけられなかったのだ。
 氷河が探したいのはそれではない。
 と言っても、別に氷河は自分が読むための書物を探しているわけでもない。書物というのは誰かに読ませるためにあるのだから、読みもしない物を探すというのは理屈に合わないわけだが、時間をつぶすために読むもの、という意味であればそれこそ宝瓶宮に唸るほどあって不自由はしていないのだ。
 氷河の興味は、だから、天蠍宮固有の特別な蔵書。
 有り体に言えば、日頃ミロが一体どんなものを読んでいるのかを強く知りたかったのだ。
 師が読むものと同じ、小難しい論文類が多く並んでいるというのが意外ではあったが(何気に失礼なことを考えている氷河である)、そんな優等生のような書棚ではまるで面白くない。
 氷河に見せている彼の完璧な男っぷりに知的さまで加わって一層小憎らしくなっただけだ。
 そうではない。そうではなくて、何かもっとこう。
 例えば……そう、『ハードボイルドに生きるコツ』だとか『お持ち帰り必至のデートマニュアル』みたいな物が並んでいたりしたら……ちょっと面白いことにはならないだろうか?
 あるいは年頃の男なら誰でも持っているようなお子さまお断りのピンク雑誌なんかでもいいし、意外なところで『癒し系の動物たち』なんて写真集でもいい。
 とにかく、ほんの少しでも、いつも氷河をからかっては困らせてばかりいるこの人に何か一矢報いることができるようなもの。
 さりげなく手にとって、「へえ、ミロってこんな趣味があったんだな」とニヤニヤ笑ってみせることができるような。
 ミロのことだ、氷河のそんな意趣返しくらいではたいした打撃は受けないかもしれないが、それでもちょっと気まずく口ごもったりする姿が見られたら、翻弄されっぱなしのこのもやもやした胸の疼きが少しはすっきりするかもしれないじゃないか。
 そんな、ミロの弱点探し、という、邪な思いを抱えて当の本人が背後にいることも忘れて目を皿のようにして必死の形相でタイトルを読んでいたのだ。
 よく取り出す書物は目線の高さのはず。
 オーソドックスな収納方法に従うなら、ミロのお気に入りの一冊はこの辺りにあるはずなんだけどな、と彼の目線の位置を意識しながら、つい、背伸びをした、ところ、件の言葉をかけられた、というわけだ。

『坊や』に『背が伸びない』

 ミロの弱点を探していたはずが、自分のコンプレックスを力一杯刺激されて、後ろめたいやら悔しいやら恥ずかしいやらでカッと氷河の頬が熱くなった。
「ちゃんと伸びている!」
「?何を怒っているんだ?」
 ミロとしては、たいした意図なく見たままの感想を吐いただけなのに、既に頂点まで沸騰して済んだ温度の答えが返って、怪訝そうに首を傾げた。
 振り向かず、背中の気配だけでミロの仕草を感じて、氷河は赤くなった頬を隠すように俯いた。
 いつもそうだ。
 ミロは常に自然体で、なのにまるで隙がない。
 が、自分の方はミロと居ると、必要以上に肩に力が入って、誰と居るときよりもずっと格好悪いところばかり見せているように思えてならない。自分の方がミロに追いつくのは無理ならばミロの完璧さを崩してやりたい、と、少々姑息なことを考えていた結果がこれだ。

 熱くなった頬を見られたくなくて、書棚の前で俯く氷河の手元に、ふ、と陰が落ちる。
 氷河の身体を囲うように、ミロが両手を書棚へついていた。
「どれが取りたかったんだ?」
 言ってみろ、と自分の顎を氷河のつむじの上へ乗せて(ああ、頭ひとつあなたの方が高いとも!)微かに面白がっている声音でミロは問う。
 無造作に伸ばされた金色の巻き毛が氷河の頬を撫でて揺れ、ふわりと鼻腔を仄かな男の香りがくすぐる。すぐに羞恥や悔しさとは違う熱が氷河の頬へ上ってしまい、だからいやなんだ、と氷河は唇を尖らせた。
「……別に。どれってことはない。ただ見ていただけだ」
「?の、割には何か探しているように見えたがな」
「いいんだ。また今度にする」
「気になるじゃないか。何をそう拗ねている?」
「……ッ拗ねているわけじゃ……ッ」
『坊や』呼ばわりされているだけで落ち着かないというのに、些細なことで拗ねると思われるのも嫌だった。それを口に出すと余計に笑われるのを知っているから唇を噛んだだけに留めたが───要は、ミロに子ども扱いされているのが気に入らないのだ。
 出会いが『完膚なきまでに叩きのめされる』ところから始まったせいだ。
 厳しい戦いは幾度もあったが、あれほどの力の差を見せつけられたのは最初で最後だ。
 だが、それはいい。単純に敗れただけなら己の力が足らなかったのだ、と思えもしよう。問題は、まるきり敵わなかったというのに、先へ進む権利を与えられた、ことの方だ。単に黄金聖闘士と青銅聖闘士というだけの関係であったなら、自分の意志がその圧倒的な力の差を誇るミロをして動かしめたのだ、ということは、誇らしくもあれたのかもしれないが……幾分強引に甘い関係を結ぶに至った今となっては、そのことがのどに刺さった小骨のように氷河の胸に引っかかっていて、ミロに対して必要以上に突っ張ってしまう原因になっている。
 ミロに少しでも追いついて、早く対等な立ち位置を手に入れないことにはきっと、無意味に突っ張ることをやめられそうにない。
 そのための手段を探して───何か弱点はないかと目を凝らしているあたり、既に方向性が残念にずれているのだが、それだけ氷河は必死なのだ。
 ミロが『坊や』と呼ぶ度に図星を指された気分になって落ち着かない
 せめて自分以外の青銅聖闘士のことも『坊や』と呼ぶならまだ自分を納得させられるものを、ミロと来たら星矢達に対しては、対等の戦士として礼を失しない程度の紳士的な振る舞いを崩さない。『坊や』『坊や』とからかうのは氷河に対してだけだ。
『坊や』と呼ぶ響きに甘く優しい感情が見え隠れすることも、ミロの方が恩着せがましくあの時のことに触れたことは一度もないことも本当はとっくに気づいていて、全部自分の一人相撲だということなど承知の上なのだが、だから、余計に───悔しい。


 黙りこくって、ミロの作り出している腕の檻からどうやって逃れようか氷河が考えていると、ほら、と一回り大きな体躯が一歩後ろへ下がった。
 案外あっさり逃れられたことに安堵していると、不意に膝裏へ何かが触れ、なんだ、と目をやる暇もなく、氷河の身体は空に浮いていた。
 ミロが氷河を抱え上げたのだ。
「っ!?な、なにする……」
「コラ、暴れてないで前を向け。探し物があるんだろう?」
 ほーら、とどこか笑いを含んだ声の主は抱え上げた氷河の腿を割り開くように自分の頭を差し入れた。肩車、というやつだ。
「……っや、やめろよ……っ」
 こんなの、こんなの恥ずかしすぎる。
 暴れると落とすぞ、などとさらに笑いの増した声で諫めつつ、ミロは首を少し傾けて氷河の内腿へ歯を当ててみせる。
 ジーンズの上からとはいえ、いや、むしろだからこそか、くすぐったくじわじわと中心に這うように走った感覚に慌てて氷河が腰を引くと、ぐらりと揺れた身体を支えるようにミロの片腕が落下を阻止した。
「おいおい、人の肩の上で何してる」
「あ、あなたが変なことするからっ」
「変なこと?変なことってこうか?」
 ミロはもう一度内腿へ唇を寄せて、獣同士のじゃれ合いのようにがぶがぶと甘噛みを繰り返す。
「……っ、や、め……っ」
 完全に遊ばれている。
「お、おろせっ!」
 この際もう落とされるのでもいい、と氷河は乱暴にミロの髪を掴んで揺すった。痛いぞ、とミロは笑う。
「暴れるくらいなら早く好きなのを選んで取れ」
「い、いいっ。ないっ。ないから早くおろせっ」
 ぐらぐら揺れる視界で流し見たタイトルは、結局、どれもこれも役に立ちそうにない。(いや、本来の目的としては十分に役に立つ書物なのだろうが)第一、この流れで見つけたって自分の痛さが増すだけだ。
 ただ───少しだけ発見があった。
 最上段の一角。
 ずいぶん古ぼけ、擦り切れた表紙の絵本が数冊。
 フィクションなど。ましてや子供向けの童話など、読みそうにない人なのに。
 ミロ自身の思い出の本だろうか。そう言えば、氷河が母と死に分かれた頃の歳にはミロは既にこの宮の守護者だったのだ。黄金聖闘士の地位にあるとはいえ、中身はただの人間だ。年齢相応にそういったものを読んで過ごした時があったのかもしれない。
 何ものにも執着しそうにない彼だが、捨てもせずに取ってあるとは意外とセンチメンタルな部分があるのだろうか。
 それは確かに意外だったのだが───可愛いとこがある、と主に好意的な方向で氷河の胸を………
 違う。
 好感度が上がってどうする。
 ミロにも何か一つくらいカッコ悪いところがあると思いたくて『意外性』を探していたのに、いざ見つけてみれば胸が鳴った、のじゃ意味がない。
 完全に無駄だった。
 完璧な男っぷりに知的さを兼ね備えていて、この上ちょっと可愛いところがあります、なんてどこまで隙がないんだ。
 本当に嫌味な男だってことがよ───くわかった。
 わかったから、早く、
「おろせって!」
 不意打ちで意図せず鳴った胸をごまかすように、氷河はミロの肩の上で足をバタバタと動かした。
「ちょ、ちょっと、待て、今、何かが……」
 珍しくミロが焦った声を出したことに気をよくして、氷河はさらにおろせ、とがくがくとミロの肩を揺する。バランスを失って落ちたところで痛い思いをするのは自分だ。どうせ笑われるのだろうが、この状況で恥ずかしい思いを耐えるのよりはマシだ。
「氷河、ちょっと待て、本当に動くな、俺の、」
「いいから早く俺をおろせってば!」
 もう一度ぐっとミロの髪を引っ張ったところで、ついに二人の身体は完全にバランスを失った。
 わ、わ、と本能で支えを求めて伸ばした氷河の手は力一杯空を切り、次の瞬間にはダァン!と派手な音を響かせて二つの身体は絡まり合って床の上へ転がった。
 鼻の頭をしこたま床へぶつけて、氷河の瞼に星が飛ぶ。
 イタタタ、と身を起こして鼻をさすりながらも氷河は既に笑われることを覚悟して身構えていた。
 が、いつまでたっても、覚悟していた笑い声は聞こえてこない。器用なミロは簡単に受け身を取ったに違いない、と端から心配などしていなかったが、まさか自分が暴れたせいで怪我でもさせただろうか、とおそるおそる氷河は振り向いた。
「……ミロ……?」
 ミロは片手を胸へ当て、座り込んだまま時を止めていた。胸の骨でも折れたのだろうか、と不安になって氷河は膝でそろそろとにじりよる。
「ごめん、あんな状態で暴れて。あの、でも、あなたがなかなか下ろしてくれないから……」
 なんとなく後ろめたくて、言い訳がましくなった氷河の言葉を聞いているのかいないのか、ミロの蒼い瞳は空を見つめたままだ。
「ミロ……?あの……どこか痛いのか…?」
「……やられたな……」
「えっ。ほ、本当に怪我を!?」
 だとしたらそれは自分のせいだ、と狼狽えて、どこを!?と両手をついてミロをのぞき込む氷河へ、ようやくミロがのろのろと視線を移した。
 それは氷河が初めてみる表情だった。
 困っている?動揺している?でも、それとは矛盾して新しい玩具を見つけた子どものような好奇心が瞳の奥で光ってもいるような。
 一体、ミロはどうしてしまったのか氷河が判じかねていると、彼は片眉だけを器用に歪めてハッと短く笑った。
「参った。神の悪戯はどうやら君だけに起こるわけではないらしい」
「……?何のことだ……?」
「気づかないのか?……ほら、」
 そう言ってミロは氷河の手を取って自分の胸へと誘導した。
 仕立てのいいシャツの滑らかな手触りの下に触れるそれは鍛え抜かれた逞しい胸筋…………にしてはずいぶんと柔らかくそれでいて肉感的な弾力の塊……
「!?」
 まるで熱い物に触れたかのように慌てて手を引っ込める氷河に、な?とようやくいつものいたずらっぽさを取り戻したミロのウインクがパチンと鮮やかに決まった。