聖戦後、復活のない世界における一輝×氷河
「カミュ」という名の猫を飼う一氷話です。(名前が「カミュ」というだけでただの猫です。カミュ先生ご本人様とは何のかかわりもありません。カミュ先生を貶める意図は全くありませんので何卒ご理解ください。)
性表現あります。18歳未満の方、閲覧をご遠慮ください。
◆Sweet Bitter Home ep1◆
暑い。いや、熱い。
背中越しに直接触れる肌の熱さで氷河は目が覚めた。身体を捩って反転させ、鬱陶しそうに目の前にある肩を押しやる。
逞しく筋肉のついた腕が氷河の腰にまわされていて、なかなかはがれない。
くそっ俺を抱いて寝るなと何度言ったらわかるんだ。
こいつの体温の高さにだけはどうしても慣れることができない。
いくら身を捩ってもその腕を振りほどけないことに辟易し、氷河は拳の中に凍気を生み出すと、自分を包み込むように抱いて惰眠を貪っている背をその凍気ですっと撫で上げた。
腕の中の氷河の動きに覚醒してはいたものの、目を閉じたまま故意に腕に力を籠めていた一輝は思わず呻き、その目を開いた。
「……寒い。風邪をひいたら責任とって看病してくれるんだろうな」
「知るか。離せ。もう時間だ。フライトに遅れる」
氷河の言葉に、一輝は煩わしげに頭を持ち上げてベッドサイドの時計を見、チッと舌打ちをして腕の戒めを解いた。
氷河はするりとその腕の中から抜け出し、床に無造作に投げ落としていた衣服を気怠げに身に纏い始める。
美しく均整のとれた肉体に残る無数の傷痕。ひときわ存在を主張する左胸の傷痕と、それを縫うように残された、いくつもの薄紅色の所有の徴を満足げに横目で見て、一輝はサイドテーブルから煙草を取り上げ、ベッドに横たわったまま火をつけた。
「おい、ベッドでは吸うな」
「俺の部屋だ。どこで吸おうと勝手だろう」
氷河は顔を顰め、一輝の手の中から煙草を取り上げた。
「吸・う・な」
「お前が行くのをやめるなら聞いてやってもいいが」
「『行く』んじゃない。『帰る』んだ。しつこいぞ、一輝。向こうが俺の家だ」
『俺の家』か。しつこいのはどっちだ。
いくつもの墓標に囲まれた、待つ者のない、雪と氷に閉ざされた小さな小屋。
氷河はもう何年も頑なにそこを帰る場所だと呼んでいる。
実際には、そこで過ごす時間と同じかそれ以上に、こうして日本にいる一輝のマンションで過ごしている時間は長いのだが、氷河にとっては無人の冷たい小屋の方が『家』なのだ。
多分、命日だとか誕生日だとか、死者が恋しくなると偲びに帰る。一ヶ月でも二ヶ月でも気が済むまでシベリアで過ごして、そしてまた、気まぐれにふらりと一輝の元へやってくる。
年中独りでシベリアに行ったきりだったころに比べれば、黙っていても一輝のところに来るようになっただけまだマシか。
何を考えて寄りつくようになったのかは知らない。
手軽な性欲処理の相手としてお眼鏡に適ったのかもしれないし、強引に奪われることに辟易して、だったらいっそ翻弄する側へ回ってやろうと知恵を絞った結果かもしれない。
───あるいは、ただ単に、彼の寂しがり屋な部分が喧嘩相手を求めて足を向けさせているだけかもしれないが。
どんな理由でも一輝にとってはどうでもよかった。
例え年に数度でも、氷河の方から会いに来る、ということに価値がある。
こうなるまでにどれだけの月日が流れたかに思いをはせ、わずかに苦笑した一輝は、起き抜けの一服を諦めて身を起こした。
「まあ、『行く』でも『帰る』でも、どうとでも好きに言え。『行く』なら空港まで送ろう」
「だから、『帰る』んだって言ってるだろ!」
拘りを見せる氷河の声を背中で聞き、一輝はベッドを後にした。
**
マンションの扉を施錠し、荷物を抱えた氷河と歩調を揃えながら駅までの道を言葉少なに歩く。
一輝は、氷河のブルゾンのポケットに今使ったばかりの鍵をするりと落とした。
「……やめろ、一輝」
「1本持っとけ。俺がいないと出入りできなくて困るだろう」
「困らない。いらない。返す」
氷河は迷いなく拒絶し、乱暴にポケットに手を突っ込んだ。過去にも幾度となく繰り返された同じやりとりに、氷河の整った顏が苛立ちで歪められる。
鍵を受け取るという行為は、何と呼ぶのかわからない、あやふやなこの関係に名を与えるようで気が進まない。
次に会う約束などしない。部屋に痕跡は残さない。孤独な者同士の、退屈しのぎのための刹那的な関係。そうでないなら、重すぎて自分には背負えない。
鍵など。
ただの小さな金属の塊にすぎないが、それは、互いの未来の時間を束縛する楔だ。
例えようもなく重く感じる鍵を握り、氷河は一輝の方へ拳を突き出した。
一輝は肩をすくめて受け取らない。
氷河は、気短かに、勝手にしろ、とにかく俺はいらん、とばかりに一輝にそれを放ってよこした。
だが、一輝の方も強情に手を出さず、結果的に、キン、と金属質の音を響かせて、それは道路脇の側溝へ転がり落ちて消えた。
「……おい、どうしてくれるんだ」
「俺のせいじゃない」
「投げたのはお前だ」
「元はお前が勝手に入れたんだろう!俺はやめろと言った!」
声を荒げた氷河だったが、さすがに悪いと思ったのか、すぐに、くそっと呻くと荷物を無造作に放り投げ、身を屈めて側溝の蓋を開けた。
幸い、鍵はすぐに見つかった。
このところの晴天続きに水の枯れた暗渠に光る物体を拾い上げ、氷河は肩越しにそれを一輝に放った(今度はさすがに一輝も受け止めた)。
しかし、目的を達した後もなぜか氷河は膝をついたままだ。
「どうした」
「しっ。……待て、奥に何か……おいで。……よーしよし、いいこだ」
みゃーお。
か細く響いた鳴き声に一輝はギョッとして目を剥いた。
膝をついた氷河が側溝の奥からひっぱり出したのは、貧相な子猫だった。手のひらに乗るほどの頼りないそれは生後間もなくか。
氷河はさらに屈んでその奥をのぞき込んでいたが、やがて痛みに耐えるような顔をして身体を起こした。
「駄目だ。……母猫と兄弟はもう息がない」
氷河は自分の服が汚れるのも構わずに、骨と皮だけで今にも息絶えそうに震える薄汚れた子猫をそっと胸に抱えて温めた。
そうか、お前もひとりぼっちになっちゃったのか、と小さく呟いて頬を寄せる氷河に、一輝は、お前なあ、と思わず膝の力が抜けかかる。
お前『も』ってなんだ。
まるで自分もひとりぼっちみたいな。目の前にいる俺の存在はまるで無視か。
思わず垣間見えた、氷河の本音とも言えるあまりに冷たい一言に、一輝の裡に瞬時に黒い感情が渦巻く。
「お前はこれから『帰る』んだろうが。責任もって救えないヤツはそんなもの拾うな」と攻撃的な言葉を投げかけたい衝動に駆られ、だが、寂しそうに伏せられた淡い色の睫毛に、どうにかその言葉を飲み込んだ。
息を一つ吐いて気持ちを静めた一輝は、自分がこれから何をするところで、どこへ向かう途中だったのかなどすっかり忘れてしまっている様子の氷河に近寄って、腕の中をのぞき込んだ。
「助かりそうか」
「さあ。だいぶ衰弱している。体が冷たいから……とりあえずすぐに温めないとまずいと思う」
「……戻るか」
「お前んちのマンションって……」
「ペット禁止に決まってるだろう。ちゃんと隠せよ」
「ああ」
氷河は心配そうに子猫を胸に抱き、今来た道を戻り始めた。一輝は氷河が置き去りにしたままの荷物を拾って後を追う。
自分の引き止めは全く効果なしで、瀕死の子猫は一瞬で氷河の心を掴んだというのは業腹だが、とりあえず、今日のところはシベリア『行き』はキャンセルのようだ。
**
数日もたないかに見えた子猫は意外にも驚異的な生命力を見せた。
獣医に連れて行き、氷河がほとんど寝ずに介抱したおかげで、十日もすると自分の足でちょろちょろと歩き回る様になった。
「そこから動くな、一輝!」
人懐こく足元をウロウロする子猫を、危うく何度も踏み潰しそうになり、一輝は四六時中氷河に怒られている。
「なんで自分ちで行動を制限されんといかんのだ、俺は!!」
「仕方ないだろ。カミュはまだ小さいんだから」
『カミュ』
あろうことか、氷河は子猫に亡き師の名をつけた。
快復した頃合いを見計らって、風呂に入れて薄汚れた毛並みを整えると、くすんだ焦げ茶色に見えたその体毛は、目の覚めるような美しい赤毛だった。
珍しいことに瞳まで夕日を映したような赤だった。アビシニアンに似た品のある美猫だ。
でも、だからと言って、師の名とは。(長い付き合いだが、俺にはどうしても奴のデリカシーのなさにはついてゆけん。)
一輝は反対したが、気づいた時には遅かった。子猫は氷河が「カミュ」と呼ぶと反応するようになってしまっていた。
名をつけてしまっては、情が移る。
適当なところまで快復したら、貰い手を探すつもりだった一輝だったが、あまりに氷河が熱心に世話をするので、言い出せないままずるずると猫との共同生活を強いられている。
「お前がそんなに猫が好きだとは知らなかったな」
「別に……俺だってそこまで好きじゃない」
本人はクールに言ったつもりのようだが、氷河は膝に乗せたカミュにかぷかぷと指先を甘噛みされて目尻を下げている。少しも説得力がない。
カミュは、少しでも氷河が側から離れると、なーお、なーお、と母を呼ぶように鳴くため、氷河は結局シベリアには帰れないままだ。
花の一つもない寂しい墓標を思うと氷河の胸は締め付けられ、子猫は一輝に任せて帰ろうと何度も思ったが、そのたびに氷河を求めて鳴く声に負けた。
心の中で死者に詫び、ロザリオを掲げていつもより長い祈りを捧げる氷河に一輝は何も言わず、カミュは膝の上に乗って、早く遊んで、と何度も氷河の腕に爪をたてた。
**
また。
熱いから嫌だとあれほど言っているのに、今日も背中に一輝の熱さを感じて目が覚める。
遮るもののない肌で、どくどくと流れる血脈を感じて、氷河はしばしその感覚に身を委ねた。これほどまでに生あることを煩いほど主張している脈動は他には知らない。熱いのは嫌だが、全身を揺るぎない生命の強さに包まれているのは不思議と心が落ち着いてそれほど嫌いではなかった。
しばらくの間、氷河は力強い鼓動に包まれて微睡んでいたが、やはり熱さに耐えられず、乱暴に一輝の腕を持ち上げて逃れようとした。しかし、逆に力を籠めて腰を引き寄せられる。
「やめろ。俺は起きる」
一輝は氷河のうなじに唇を這わせ、ちゅ、と吸い上げた。
氷河は唸って、一輝の頭を押し戻す。
「やめろって、本当に。カミュの飯の時間だ」
またカミュか。
微睡みながら氷河の肌の感触を楽しんでいた一輝の意識が急速に覚醒する。
「たまには俺を優先してくれてもいいだろう。ここんとこずっと後回しだ」
「はあ?何大人げないこと言ってんだ。子猫相手に」
子猫でも『カミュ』だからな。大人げなくもなる。
一輝は氷河の顎をつかむとその唇に乱暴に口づけを落とした。性急に、まるで行為の最中であるかのように激しく舌で口腔を蹂躙されて、呼吸すら奪われる。
唇がほんの少し離れた瞬間を逃さず、酸素を求めて、はあっと氷河は息を吸い込んだ。
「カ……ミュの飯が……」
「まだ起きてないさ。お前もこれじゃ世話どころじゃないだろう」
一輝は手を伸ばし、下だけ穿いていた夜着の上から氷河の雄をつ、と撫であげた。それは、しっかりと硬く反応して夜着の布地を押し上げている。
違う、それは朝だからだという氷河の抗議の声を再び唇で封じて、脇腹から胸へと指を滑らせる。外気に晒され、つんと上向く左右の蕾を転がすように親指の腹を往復させる。
重ね合わせた唇の下で次第に呼吸が乱れ始め、一輝の肩を押し返すように突っ張っていた腕からはいつの間にか力が抜け、すがるように二の腕あたりを掴んでくる。
先ほどの口づけとは変わって、優しく舌を挿し入れてやると、ん、と吐息を漏らして氷河の舌が柔らかく絡みついてきた。
指先を絡めて、氷河の両足を膝で割り、少しずつ下へ口付けの位置を落としていく。赤く色づく胸の先を口に含んで甘噛みすると氷河は色素の薄い喉を曝け出して甘く喘いだ。
ふみぃ。
二人の耳に、小さな鳴き声が飛び込んできた。
あ、と息を飲んで身を起こそうとする氷河の肩を一輝は強い力で掴んで白いシーツの上に押さえつけた。
カミュが……!と声をあげる氷河に強引に愛撫を続ける。縫い留められた手を逃れさせようと身を捩っているくせに、氷河の躰は一輝の愛撫のひとつひとつに敏感にびくびくと跳ねた。
ふみぃ。みぃ。なーお。なーお。
甲高く甘えた声が次第に近づいてくる。
鳴き声は寝室の扉の前でしばらく止まっていたが、やがてカリカリと引っ掻く音がした後、それは部屋の中に移動した。どうやら扉が閉まりきっていなかったようだ。
子猫はなーなーと鳴きながら、ベッドの縁までやってくると、シーツに爪をひっかけて上手に登ってきた。そして、一輝に組み敷かれて声をあげている氷河の足元で、見つけた!と言うように、ひと声、みゃお!と声をあげると、不安定な足場を身軽に走り抜け、氷河の頬に自分の頭を擦り付けてゴロゴロと喉を鳴らして甘えた。
上気して淫らな色を滲ませていた氷河の表情が途端に柔らかく解ける。氷河は、カミュ、来ちゃったのか、と手のひらで小さな体を包み込み優しく笑った。
お前、そんな顔を一度くらい俺に対して見せたことあるのか。
目の前で交わされた、まるで恋人同士のような甘やかなやり取りに一輝は苛立った。身を屈めて首筋に咬みつくと同時に、下肢に手をやり、まだ反応を失わず雫を零していた氷河のものをきつく握りこむ。
熱い手のひらによって直接的な刺激が突然にもたらされ、氷河は慌てて腰を引いて一輝の髪を掴んだ。
「ちょっ……一輝!やめろって!カミュが来たから終わりだ」
「途中で終われるか」
とろりと零れる雫を雄茎に塗りたくり、一輝は故意に水音を立てて、じゅぶじゅぶと激しく氷河を追い詰めた。
「っんぅ…あぁっ…一輝っ……カミュが……るからっ……」
「猫だろ。意味なんかわかるもんか」
「ちょっ……ン、一輝……っ!」
緩急をつけて扱かれ、先ほどまでの愛撫で高まっていた熱が再び増し始める。
カミュは、ごはんまだ?と言いたげな顔で、氷河の身体の周りをうろうろと歩き回る。
やめろ、と逃げる身体を拘束するように一輝は氷河の片足首を掴む。
大きく開かされた体の中心は花芯から零れた透明の雫でぬらぬらと濡れ、薄い金の叢の奥の蕾が誘うようにひくつく。一輝は、その蕾に中指をつぷりと埋めた。氷河の背が跳ねる。昨夜のうちに自分が注ぎ込んだ精液がまだ残る中はすっかり熱く蕩けている。指に粘液を絡めるようにぐるりと掻き回すと、氷河は首を振って悶えた。
「はっ……んんっ……」
体内に収めていた指を二本に増やし、ぐちゅぐちゅと卑猥な音を響かせて掻き回すと氷河の躰が急速に汗ばみ始め、切羽詰まった声をあげて一輝の腕にすがった。
「一輝っ、だ、だめだっ……ン……ああ…っ!」
氷河が昇りつめる寸前で一輝は不意に動きを止めて氷河を解放し、突き放すように体を離した。氷河は駄目だ、と言ったくせに、一瞬、潤んだ瞳で恨みがましく一輝を見上げた。
「カミュがいるから駄目なんだったな?」
この野郎、という形に動く唇を喉の奥で笑って、一輝は氷河の身体を裏返した。
四つ這いにさせ、白い双丘の奥に一輝は猛った己の切っ先をあてがい、易々と最奥まで貫いた。残っていた白濁がぢゅっと押し出されて、氷河の太腿を伝い下りる。
「んぅっ……!」
氷河の喉から、快楽というより苦しさに耐えるような引き攣れた音が漏れる。
鍛え抜かれた鋼のような躯に圧し掛かられ、氷河の細腰がぎしぎしと撓んで悲鳴をあげた。一輝を圧し出そうとする狭い隘路を擦るようにゆっくりと抜き挿しを繰り返しながら、宥める様に腰骨を撫でると、次第に、白い背が淫らに色づき始めた。
甘い言葉を発することなど一度もないのに、艶やかに乱れる背は一輝を切なく求めていて、そのことが一輝を増々昂ぶらせる。抑えきれない情動を激しく、ぬめる蜜の奥へと何度も穿つ。甘く喘いで震わせていた声は、すすり泣くような悲鳴へと変わった。
**
「……痛っ!もっと丁寧にしろ。目に染みる」
「くくっ。自業自得だ。ばかめ。これに懲りたら年中盛るのはやめろ」
氷河は一輝の瞼についた幾筋もの引っ掻き傷を、ことさら乱暴に消毒綿で拭ってやった。
結局。
行為の意味などわからぬカミュは、氷河の身体の周りをうろうろしていたものの。
氷河の唇から洩れる高く切なげな声に驚き、次の瞬間、一輝に向かって、ふうっと背中の毛を逆立てて怒ったかと思うと徐に飛びかかって、小さいながら鋭い爪でその顏を引っ掻いたのだった。
氷河は、憮然とした顔で痛みに耐えている一輝の顔についた傷を、笑いを堪えながらもう一度乱暴な手つきで拭う。
ようやく餌をもらって、満足げな顔をしたカミュが救急箱を片付けている氷河の膝に乗ってきた。氷河はそれを抱えあげ、ちゅっと額に口づけを落とした。
「よくやったぞ、カミュ」
「くそっ。腑に落ちん。何で俺がこんな目にあわなきゃならないんだ」
「ばーか。カミュにはわかるんだ。俺が虐められてるって」
誰が虐めてるって?こんなに優しい男がほかにいるか?
ふてくされた顔で座り込んだ一輝に向かって、氷河はカミュの前肢をもって、おりゃっ猫ぱんち!と遊んでいる。
一輝は煙草を取り出し、それを横目で見た氷河は眉を顰めた。肩をすくめて、一輝は火をつけないままでそれを咥えた。
「そろそろ家を探さんとな」
「家?なんでだ」
「言っただろ。ここはペット不可だ。ずっとは隠しておけん。引っ越すのは面倒だが仕方ない」
「別にお前が引っ越す必要ないだろ。俺がカミュと出て行けば済むことだ。長居がまずいなら今日中にでも出て行くさ」
あっさり言い放つ氷河に一輝は呆れて唸った。
バカだな、氷河。お前、カミュと二人(一人と一匹?)だけで暮らすつもりなのか。
わかってるのか。
猫の寿命はよく知らんが、そのカミュもまた、十中八九お前を置いて先に逝ってしまうんだぞ。
だから俺はその名をつけるのに反対したのに。どうするんだ、そんなに入れ込んで。
俺はお前に、もう誰のことも独りで見送らせるつもりはない。
唇に挟んだ火のついていない煙草で一輝はカミュを指し示す。
「その猫は俺のだ。俺が家を探す」
「なんでだ!拾ったのも世話をしているのも俺だ!」
「ここは俺の家で、そいつが食べた餌は俺が買ったもので、獣医に金を払ったのも俺だ。俺が飼い主だ」
みゅ。みゅ。なーお。なーお。
カミュが甘えて喉を鳴らし、氷河の腕にぶらさがっている。
「だけど……俺にしか懐いていないじゃないか。引き離すのは可哀そうだ」
「誰が引き離すなんて言った。飼い主は俺だが世話をするのはお前だ。猫までは面倒見きれん。俺はお前で手いっぱいだ」
つまりは。
『ずっと一緒に暮らせばいい。一時的な居候ではなく』
氷河は黙ってカミュの喉を撫でた。
俯いたブロンドの先が躊躇うように揺れている。カミュが氷河の指をカシカシと噛む。
長い間、カミュの甘える鳴き声だけが響いていた。
やがて、氷河はカミュを抱き上げ、艶やかな毛並みに口づけを落として俯いたまま、怒ったように乱暴に言った。
「じゃあ、引越しついでにベッドも大きいのに買い替えろ。お前、熱くて寝苦しいから嫌なんだ、いつも」
不意に投げつけられた言葉に、煙草を取り落した一輝の唇からは思わずぐぅっと中途半端な声が漏れた。
大きいベッドでいいわけだ。ベッドをもう一つ、ではなく。
氷河は一輝に背を向けて、カミュを膝に抱えて座っている。ブロンドの隙間からのぞくうなじが赤い。
一輝はその背をそっと抱き締めた。
氷河は一輝の腕を振りほどかない代わりにさらに怒ったような声で言った。
「……煙草もやめろ」
ずるいな。
今言われたら何でも聞いてしまうに決まってるじゃないか。
初めて交わされる、未来への約束。
二人と一匹、同じ場所を『家』と呼ぶための。
なーおん。
氷河の身体にまわされた一輝の腕を、カミュがぺろりと舐めた。
(fin)
(2012パラ銀13にて発行された「junebride」より再録)