寒いところで待ちぼうけ

Ω:氷シリーズ

派生アニメΩ(2012.4~2014.3放映)の世界における貴鬼×氷河
※完全なる捏造と妄想の産物です。(アニメで二人が会話するシーンはついぞありませんでした)
<アニメ観ていない方のためにΩ設定のおさらい>
・貴鬼はアリエスを継承しています。
・羅喜ちゃんという女の子の弟子がいます。
・氷河たちは元の星座のまま、星矢だけが射手座です。
・マルスとの戦いで、星矢は行方不明、氷河たちは魔傷を負っています。

これは、氷河がマルスの魔傷を負った直後のころのお話。(Ω時間から遡ること13年)


◆光さす、新しいあしたに ①◆

 深手を負った獣はどこへ消えるのだろうか。
 高地にある自分のふるさとでは、時折崖から足を滑らせて怪我をした鹿や、猛禽に狙われでもしたのか、 鋭い鉤爪痕を無惨につけた兎などを時折見かけることがあった。
 かわいそうに、と手をさしのべようとすれば、師から鋭い制止の声が飛んだものだ。
 ムウ様、冷たい、と不満に思ったこともあるが、今ならわかる。 例え貴鬼が保護し、怪我を治してやっても、一度人間の臭いをつけてしまった動物は群れへは戻れず、 結局、単体では餌をとることもできずに飢え死んでしまうか、あるいは治りきらなかった怪我が元で命を落とすか、 いずれにしても自然界において、その末路は厳しいものとなる。
 師は冷たかったのではなく、あるがままの命の限界と、同じ、自然界に生きる人間としての立ち位置というものを弁えていただけなのだろう。 あるいは、一見冷たく聞こえる言葉は、その場限りの同情で迂闊に手を出して、本来の自然が歩むべき道を歪めてしまっては、 却ってそのものの命を縮めることにもなりかねない、という優しさの裏返しであったのか。
 限りなく似たものであれど、生き物の怪我を癒す、というのはやはり聖衣の修復をするのと同じようにはいかないのだ。
 怪我を負った動物達がその後どうしたかと言えば、足をひょこひょこ引きずりながら逞しく生きている姿が後日見られることもあったし、 哀れな姿となって土の上に横たわっているのを見つけることもあった。
 不思議と怪我を癒している最中の姿というのは見たことがない。 彼らは、備わった本能で、自分が今一番危険な状態にいることを知っているのだろう。 きっと、安全な巣へと帰り、外敵から身を潜めながら、傷が癒えるのをじっと待っているのだろう。

 彼にとって、その場所はどこなのだろうか。
 傷ついた体を癒すための、温かな、還る場所とは。

 あの獣達のように、きっと、誰にも知られずひっそりと身を潜めて、怪我が癒えるのを待っているはずだ。
 ───癒えるかどうかもわからぬ、あの傷を。

 貴鬼の口元がぎりり、という強い歯噛みの音と共に歪む。

 俺は、また、届かなかった。
 師の背中をただ見送るしかなかったあの頃のように。二度と置いて行かれまいと、ただひたすらに己の研鑚を積んだというのに。

 聖域に駆けつけた貴鬼が見たのは、闇の子を抱いて、血の気を失った顔を、でも毅然と上げていた女神と、 小宇宙を燃やせぬ忌々しい闇の徴を刻まれた仲間が四人───四人?
 一人、足りない。
 ねえ、星矢は?と尋ねる貴鬼の震え声に応える者は誰もいなかった。

 彼の不在を受け止めきれず、混乱と動揺の走る聖域にさらなる暗い澱が落ちる。
 四人の身体に刻まれた闇の刻印が───全く癒えぬ。
 体の傷がどれだけ塞がっても、刻まれた闇は一向に癒える気配もなく、それは女神の小宇宙をもってしても。
 小宇宙はもう燃やせない。無理に燃やせば魔傷の侵食を深め、命が削り取られていく。
 認めたくない、その事実はあまりにも衝撃的だった。
 戦いに生き、大切な者を喪っても喪ってもなお、ただ、人々の笑顔のために、と前に進み続けた彼らから、 その、生きてきた道筋までも奪うなんて。
 なんという厭らしい、忌々しい刻印なんだ。
 貴鬼のみならず、皆、同じ思いに唇を噛んだ。

 だが、つらいのは本人だ、どう声をかけていいのかわからない、と貴鬼が躊躇している間にそれは起こった。

 氷河がいない───

 聖域の医療施設で治療を受けていたはずの氷河が忽然と姿を消した。まだ歩き回れるような体ではないはずなのに。

 どこへ行ったの、氷河……。

 目を離すんじゃなかった。かけるべき言葉が見つからなくても、そばにいるのだった、と後悔が貴鬼にせり上がる。
 きっと氷河は、そんなふうに言葉を探して困ったように遠巻きに見つめる視線から逃げたのだ。 聖闘士としての誇りと矜持は人一倍高いひとだから。
 だったら、探し出すことは彼を傷つけることになる。迂闊に手を出そうとして師に叱責されたあの頃のように、 俺のすべき事はただ、待つことだけなのかも。

 だけど。
 身体の傷だけならそうかもしれないけど。
 人間には心というものがある。傷ついた心はどうやって癒す?古巣へ戻って膝を抱えていたらそれはいつか癒える?
 ───そんなわけはない。心に負った傷を癒せるのは、人と人との繋がりだけ。俺は、おいらは、助けられた。 師であり、父であり、母であり、兄でもあった尊敬すべきあのひとを喪った時に。 皆に、とりわけ、同じ黄金を師に持つ紫龍と氷河にはどれだけ助けられたか知れない。
 今度は、俺が。
 そんな風に思うことはあなたを傷つけるだろうか。
 あなたが「子ども」だと思っている俺を、頼って欲しい、と思うことは。

 傷ついた身体を独り抱えて苦しむ氷河の姿が脳裡に浮かんで、貴鬼の気持ちはざわざわと落ち着かなく揺れる。

 怖い。
 あなたは簡単に「あちら側」へ行ってしまいそうで。
 俺は何度、大切な人の背を見送らなければいけないんだろう。もう二度と誰にも置いて行かれたくない。
 
 普段であれば、氷河の居場所を特定するのはそう困難なことではない。小宇宙を辿ればいいからだ。
 だが、小宇宙を奪われた今、氷河を探す手段はそう多くない。 能力を持たない多くの人間が探し人をする時のように、彼が行きそうな心当たりを一つ一つつぶしてゆくしか。
 そんなに心当たりなどあるわけもない。
 皆の視線を逃れるように姿を消したとあれば日本は違うだろう。あそこは女神の第二のお膝元だ。だったら、後は一つしかない。
 かつて師と共に聖闘士を目指した始まりの地。
 小宇宙を失って傷ついた聖闘士が還るとしたらそこしかないはずだ。 だが───貴鬼は彼のその家の正確な位置を知らない。いつも、氷河の小宇宙を頼りに跳んでいるのだ。 だから、正確な座標を必要としたことがなかった。
 それでも、行くしかない。行かずにはおれない。
 過去に数度だけ跳んだ心許ないビジョンを思い浮かべながら、貴鬼は静かに気持ちを落ち着け、そして───跳んだ。雪と氷の世界を目指して。

**

 寒い……!ていうか、痛い……!
 矢も立てもたまらず、何も考えずに跳んだが、予想以上の冷気に、貴鬼は、地に足を着けた瞬間、肺に流れ込んできた刺すような空気にけほけほと激しくむせた。
 慌てて小宇宙を燃焼させて、最低限の冷気を遮断する。
 シベリアにだって春はあるはずなのに、貴鬼が訪れた時にはいつだってここは視界は白く、全てのものを凍り付かせている無慈悲の大地だ。
 それでも一度はブリザードの最中にそうとは知らず跳んだことを思えば、今日は吹雪いていないだけましかもしれない。ただ、空は低く垂れ込めた鉛色の雲に厚く覆われていて、今にもあの雲が千切れた欠片がはらはらと落ちてきそうな天気ではあった。
 どこだ。
 確か小さな小屋だった。丸太づくりの。
 彼が「家」だと呼ぶそれのビジョンを思い浮かべて跳んだのだ。視界のどこかに…………あった。
 戸口の目の前に跳んだつもりだったのに、遙か彼方の雪景色に霞んでいる木の扉を発見して、己の不確かだったビジョンに貴鬼は少し落ち込む。
 ビジョンが朧げなのは氷河が寄せ付けないせいだ。
 「お前には寒いから」「俺はしょっちゅう不在にするから」言葉は柔らかく飾っていたが、 あまり他人に立ち入って欲しくない領域なのだろうな、と聡い子どもだった貴鬼は敏感に感じていて、 だから、招かれてもいないのに無理に会いに来たことはない。
 いつだって氷河の方がジャミールへ、元気にしてるかとやってきて、その訪れるのを心待ちにしていたものだ。 シベリアへは女神からの伝言を伝えるのに、片手で足りる程度、訪れたことがあるのみだ。 その数少ないビジョンで小宇宙の誘導なしにここまで正確に飛べたことは空間跳躍者としては有能な証なのだが、貴鬼にしてみれば、それでもまだ足りないのだった。
 もう一度、意識を集中させて、扉の前まで貴鬼は跳躍する。 目的地が目に見える距離を跳躍して済ませることは、能力に頼りすぎている怠慢だと、師は良しとしなかったものだが、何しろ軽装の上のこの寒さだ。そこは目をつぶってもらいたい。
 ごめん、ムウ様、ちょっとずるします、と貴鬼は心の中で師に手を合わせた。


 扉のすぐ目の前へ降り立った貴鬼は、小屋の様子をまじまじと観察して、すぐに失望感でいっぱいになった。 明かりが灯っていないし、カーテンも引かれたままだ。とても誰かがいるような気配はない。
 ハズレだった、と急速に腑に鉛を流し込まれたように沈んだ気持ちになる。
 ここしかない、と思ったのに。ほかに氷河が帰りそうな場所なんて知らない。ここでは聖域から誰かが追いかけてくるとでも思ったのだろうか。
 貴鬼の身体が細かく震える。
 寒さによってか、氷河への道筋を失ったことに対する心細さによってか。
 違うと思ったけれど、日本の方だったのだろうか、と悩みながら、貴鬼は何気なくノブを握った。
 回る、とは期待していなかった。それほどその小屋はしんと静まりかえっていたから。
 氷河の不在を自分自身に納得させるために、そうしたつもりであったのに、それは抵抗なくくるりと回った。驚いて、貴鬼はあ、と小さく声を漏らす。
 まさか、いる……?
 おそるおそる、扉をそっと内側へ押してみる。
 それはギギ、という蝶番の軋む音と共にゆっくりと開いた。

 ───なにこれ、寒い……?

 人の気配がしない以上、赤々と温かな暖炉の火が燃えていて、などということは全く期待していなかったが、 予想外に室内から戸外へと這い出てきた冷気に頬を撫でられて少年の瞳は不審に歪む。
 いくらシベリアでも室内が戸外より寒いなんて、そんなことは。
 ゆっくりと扉を閉め、薄暗い室内に目が慣れるまでしばらくその場で立ち尽くし、貴鬼はぐるりと室内を見回した。
「氷河……?」
 返事はない。だが、木づくりのテーブルや椅子が異様な冷気に曝されたかのように霜付いている。 そのテーブルの上に包帯やガーゼ、抗生剤などが散乱していて、そのことに貴鬼は大いに安堵した。
 怪我を治そう、という意志はあるみたいだ。
 氷河は絶対にそんなことない、と思いながらも、自分ならもっと自暴自棄になって、戦えぬなら怪我なんか治さずとも、 とふてくされてしまうかも、と心配していた。いや、有体に言えばもっと最悪の事態、姿を消したのはひっそりと死地を探してのことではないかと、 そのことが一番気がかりだった。貴鬼にそんな想像をさせてしまうほど、氷河の大切な人は皆「あちら側」なのだから。
 だが、氷河は生きる力を失っていない。心配するあまりに彼を侮辱する想像をしてしまったことに自分を恥じて、 貴鬼はしばらくの間、痛みを堪えるかのように胸に手をやった。
 しんしんと降り積もる雪の中に立っているかのように、貴鬼の衣服の合わせ目から冷気が肌を刺激する。
 怪我を治すためにここまで帰ってきたというのなら、この小屋の惨状はどうしたことだ。氷河はどこにいる。
 ───まさか、火星士の残党が小宇宙を燃やせぬ氷河を襲ったのでは。
 これは、氷河の抵抗の痕跡?
 ハッとその可能性に気づいて、貴鬼は慌てて顏を上げて、注意深く辺りを見回した。 何部屋もあるような大きな小屋ではない。入り口からすぐ続く暖炉の間の奥はキッチンだ。そこにも氷河の姿はない。ならば寝室はどうだ。
「氷河?ねえ、貴鬼だけど……いる……?」
 許可なく彼の領域に踏み込んでいる認識はある。だから、緊急事態なのかもしれない、という思いで足を進ませてはいても、 声には非礼を詫びる色を乗せることは忘れなかった。
「氷河?」
 ゆっくりと回した寝室のドアノブは凍り付いていて、開くときにパリパリと微細な氷が割れる音がした。
 昼間だというのに室内は薄暗い。窓ガラスの内側にもびっしりと氷が張っている。
 ドアから窓へ向けて並ぶ3つのベッド。窓際のがアイザックので俺は真ん中で先生のは入り口のそれ、と、 もういない主のことをまるでちょっとした不在、のような言い方で貴鬼に説明してみせた過去の氷河の表情はあまりにも淡々としていて、 却って胸が痛くなったものだった。
 どのベッドの上にも人影はない。だが、貴鬼には氷河はここだという予感があった。ほかのどの部屋よりも冷気が強い。
「氷河、いるんでしょ?」
 壁や床だけでなく、ベッドの上に掛けられたリネン類やカーテンまでが白く霜を吹いている。まるで白い繭の中だ。
「ねえ、返事をしてよ、氷河……」
 入り口から一番近いベッドにだけシーツがかかっていない。違和感のある、むき出しのマットレスは、初めからそうだったわけではないはずだ。
「氷河……?」
 貴鬼はベッドとベッドの間をのぞき込む。
 入り口のベッドと真ん中のベッドの間にそれはあった。
 丸めたシーツの固まりに見えるそれは、「中身」があることを証するかのように柔らかく盛り上がり、端から僅かに金の髪が零れていた。

 いた。

 よかった、と胸を撫で下ろすと同時に、安堵で緩んだ貴鬼の涙腺は瞬時に高ぶった激しい感情にあっという間に決壊をした。
「……っ」
 泣くまい、彼はそれを望んでいない、と思いながらも次々に涙が溢れ、唇が戦慄く。

 カミュに、今、会いたいんだね、氷河……

 氷河がなぜ自分のシーツではなく、それにくるまっているのか、貴鬼にはわかる。
 もう主の香りも空気もとっくに失われているに違いないのに、それでも氷河は、きっとそれをわざわざ選んだ。
 氷河は、師に助けを求めたのだ。
 小宇宙を燃やせぬ身体となった己を、師が使っていた寝具にくるまるようにして膝を抱えて、今、遠く黄金の師に思いを馳せているのにちがいない。

 師の年齢を超えて生きていても、彼にとっての道しるべはあの黄金の戦士だけ。
 聖闘士としての根幹を揺るがすほどの事態に、怪我をした身体を押してまで、師に聖闘士へと育て上げてもらったこの地へ助けを求めて帰ってきたのだ。

 氷河、カミュから答えはもらった……?
 
 貴鬼自身もわかりすぎるほどにわかる氷河の行動の前には、生きている自分を頼って欲しかったという思いは何の役にも立たず、 ただ、止めどなく貴鬼の頬を涙が溢れた。

「ねえ、起きてるの……?」

 しばしの時を涙溢るるにまかせていた貴鬼は、やがてゆっくりと氷河の前に膝をついた。いつまででも師と会話をさせていてやりたいが、怪我の具合が気になる。治療をした形跡だけはあるが食事をとっているようには思えない。

 頭からかぶったシーツにくるまっていた金糸が貴鬼の声にピクッと反応した。白いシーツの端がゆるゆると持ち上げられて、薄青の瞳がのぞく。 小さな氷の粒が乗った長い睫毛に縁取られた美しいアイスブルーの瞳が、思ったよりずっと苛立ちの滲んだ剣呑な色に尖っていて、貴鬼の背がヒヤリと冷える。
 何しに来た、帰れ、と唇が動くのを覚悟して貴鬼はゴクリと喉を鳴らした。
 だが、貴鬼の上で焦点を結んだ瞳は何度か瞬きを繰り返すと、すぐにその剣呑な色を気遣わしげな色へと変えた。
「泣くな、貴鬼、星矢は俺が連れ帰ってやるから」
 貴鬼の頬の上に残った涙を拭うかのように氷河の指が伸ばされる。貴鬼の胸が激しく軋んだ。
 氷河は、今、誰かに当たりたい気分だったに違いないのに。俺はその「誰か」にもなれない。 「ちっちゃな貴鬼」だから、氷河は苛立ちを隠して、安心させるように微笑んでさえみせるのだ。
 俺を見てよ、氷河。もう小さな子どもじゃない。あなたの苛立ちくらい、受け止めてみせるのに───
 傷ついたあなたを無理に笑わせたくてここに来たわけではないのに。

 だが、そんな思いも、涙で濡れた頬では説得力がない。間の悪い自分を悔やんで、難しい顔で唇を噛む貴鬼へ氷河はさらに笑いかける。
「心配するな、ほら、小宇宙だって問題ないんだ」
 そう言って、氷河は腕を伸ばして手のひらを上に向けてみせた。貴鬼が止める間もない。 あの、貴鬼がよく知る、美しい青い燐気のような小宇宙が薄布のように氷河の身体を覆ったかと思うと、手のひらから生み出された凍気が部屋の中を吹き荒れ、霜付いた窓を壁を再びピキピキと音を立てて凍り付かせていく。
「氷河!」
 やめて!という悲鳴にも近い声を上げて貴鬼は氷河の身体を引いて自分の腕の中に護るように包み込む。 この小屋の惨状は、そのせいだったのか、とようやく腑に落ちるとともにまたも胸が激しく軋んで悲鳴を上げる。
 何度も確認したんだね、氷河。
 
 そうなのだ。
 いっそ、小宇宙、それ自体を奪われていた方が話は簡単だったかもしれない。
 小宇宙はいつもどおり燃やせる。───ただし、自分の命と引き替えに。
 聖闘士なら、死を恐れて戦うことを止めたりするような戦士はいるはずもない。 氷河は、いや、氷河だけではなく皆、こんなになってもきっと戦うことを止めない。刻々と失われてゆく彼らの命はあとどれだけ保つ?
 氷河を腕に抱いた貴鬼の身体が震え、背中を冷たい汗が流れる。
 何度か肩で息をして、喪失の恐怖と戦う貴鬼は、だが、すぐに腕の中の身体が異様に熱いことに気づいた。
「……っ、氷河!すごい熱!?」
 傷口から感染でもしたのか、それとも魔傷に侵されている影響なのか。首筋へ当てられている貴鬼の手を、大丈夫だ、と払いのけようとする氷河の手はいつもより弱々しい。
 貴鬼は慌ててその身体を抱き抱えて立ち上がった。氷河を抱えたことなどなかったが、ずいぶん軽いことに一瞬驚く。 元からこんなに軽いのか、それとも怪我で弱っているせいなのか、あるいは自分がいつの間にかそれほど成長していたのか。きっと、その全部なのだろう。
 軽々と抱え上げた身体を氷河のベッドの上へ横たえる。
「……やめろ、貴鬼、必要ない……」
 貴鬼の手ひとつ払いのけられないくせに、氷河はまだふらふらと立ち上がろうとしている。 貴鬼はまた泣きたくなるのを堪え、その肩を強くベッドへ押しつけて怒鳴った。
「自己管理ができなくて何が聖闘士なのさ!怪我が治るまでは絶対にどこへも行かせない!わかったらおとなしくして!」
 年下の少年から叱責されて氷河は目をまるくした。が、よほど身体がつらいのか、その瞳はすぐに閉じかける。 完全に目を閉じて、荒く息をつく氷河から、ずいぶん遅れて、「はい」と返事があった。
 続けて、せんせい、と聞こえた気がしたが、貴鬼は構わず、凍り付いていない寝具を探すために部屋を後にした。