派生アニメΩ(2012.4~2014.3放映)の世界における推定30代どうしの一輝×氷河
貴氷シリーズとは完全パラレルです。
Ω終わってすぐのころのお話。
◆酒は情けの露雫 前編◆
「おい、死に損ない」
背後から響いた涼やかな声を意外に思って、堤防の上に腰掛けて凪いだ海を眺めていた男は軽く目を瞠った。
別れの挨拶すら告げずに己が姿を消したことについて、もはや仲間の誰も驚きもせずに、またか、と受け止めたに違いないが、それでも、「水くさいだろう」と怒って追いかけてくるとしたら星矢だと思っていた。
頬を膨らませているあどけない少年の姿が脳裡をよぎり、だがすぐに、もう感情が行動に直結していた子どもではないのだ、と気づいて、奇妙なおかしさがこみ上げてきた。
自分一人が大人になったつもりでいたが、同じだけの時が星矢の上にも流れているのだ。聖域の要となるべき星座を継承した彼が女神の側を離れて追いかけてくるはずなどなかった。
「星矢が怒っていたぞ」
胸の内に浮かんだ考えを読まれたかのように続いた声に、ふはっと一輝は堪らず吹き出した。
笑うな、と言いながら隣へ腰掛けた男の横顔へチラリと一輝は視線を流した。
長いこと会っていなかったが驚くほどに変わっていない。相変わらず嫌味なほどに整った容貌は衰えないばかりか、まだ少年と言って通るほどの繊細さをほんのりと残していた。
澄んだ青の瞳を縁取る長い睫毛が頬に陰影を作っていて、それが彼を実像よりも儚げに見せている。実際は、何年ぶりかに口をきく、第一声が「死に損ない」だというほど粗暴な部分があるのに、だ。
「俺は自分の役目を果たした。怒るようなことは何もなかったはずだが」
「……お前は変わらんな」
諦めてでもいるのか、隣からはそれ以上の追求はない。一輝もそれ以上、己を弁解することはしなかった。
数年ぶりの会話だというのに、(それとも、だから、か)あっという間に落ちた沈黙に、ざざ、という心地よい潮騒が救いの手をさしのべる。
「いい場所だ。お前が海のそばに住んでいるというのは意外だったが」
目を閉じて、頬を撫でる潮風を受ける青年の横顔は柔らかだ。彼のそんな表情を見たのは初めてかもしれない。少年時代の彼は、いつもいつも限界まで張った弦のように、危なっかしいほどに張り詰めていた。(そして、それは多分己も同じだった。)
「意外で悪いな。海が好きなんだ」
素直にそう言ってみせると、こちらを向いた青年の眉が驚いたように跳ね上がった。
海が好きだ、というそんな些細なことすら語り合ったことはなかった。少年期の二人は、魂の奥深くで触れ合っていながら、「普通の友人」なら当然交わすであろう会話をまるきり通過せずに来た。
戦闘の合間合間にまるで喧嘩の延長のように交わされた行為は、通常の愛の営みとはほど遠く、ただ、行き場のない高揚と持て余す情動をぶつけ合うためだけにあった。
だから、一糸まとわぬ無防備な姿を曝している時ですら交わされる会話に甘さがほんの一欠片も混じった記憶はない。主導権を奪い合うための、相手を煽る生意気な言葉がいつも二人を繋いでいた。
肥大した意地とプライド。思春期特有のそれは、戦闘時には彼らを強く奮い立たせることに役立ったが、戦闘を離れた日常の営みにおいては、少年たちを不器用に振る舞わせただけだ。
間違っていたとも、別の触れ合い方があったとも思わない。
何しろ、「普通の友人」などではないのだから。
まだ柔らかい心を抱えて死線を何度もくぐりぬけてこなければならなかった少年たちにはそうすることでしか己を保てなかったし、そういう意味では互いの背に負った荷の重さをこの上なく理解しあっていた。
理解しあっているくせに互いのことをよく知らない、そのちぐはぐさを驚いた彼の表情に不意に気づかされ、何か、とても大切で繊細なものを指の間から零してしまったような、そんな後悔に似た痛みが一輝の胸を過ぎった。
「……本当に、意外だ」
光を反射する海面へ向けた目を眩しそうに細めながら、青年は───氷河はそう言った。
同じ方向へ一輝も目をやる。
水平線はゆらゆらと空と混じり合っている。
「……海は繋がっているからな」
一輝にとっての聖域であり、墓標でもある、あの灼熱の島に。
潮の香りは不思議にどこも同じだ。
世界中どこにいても、潮の香りひとつで、あの日の光景が蘇る。
己の弱さ故に散った命。
理不尽な暴虐への怒りと、ままならぬ力への憤り。何より己の身体を流れる血への激しい憎しみ。己の存在さえなければ彼女の命が喪われることもなかったはずだと思えば、
血に対する葛藤は憎しみの感情が薄れた後も長らく一輝の内側に存在していた。
だが、抱えていた負の感情をもてあましていた日々はもう過去のもの。流れる時間の中でそれらは緩やかに昇華され、今は一輝をひどく苛むことはない。
それでも、一輝は可能な限り、(例え仮住まいであっても)海の側に在ることを選択し、その島との繋がりを常に意識して生きてきた。
それが一輝を衝き動かす原点だからだ。
一輝の答えに氷河は黙って頷いていた。鈍いところがあるくせに、こういうときは、どこと繋がっているのか、などと聞くような野暮はしない。一輝が言葉にしなかった部分をわかっていて問わないのか、わからずとも踏み込めない何かを感じているのか、それとも他人のことにさほど興味がないのか。
それは一輝にはわからない。
ただ、氷河にとっても、この蒼い水の塊が特別な意味を持つことは知っている。
案の定、相づちにしてはずいぶん遅いタイミングで、そうか、ここも繋がっているんだな、と氷河はひとり頷いていた。
その声はすっきりと穏やかだ。少年の頃とまるで変わらない容貌をしているくせに、彼もまた時を隔てて大人になったのだ。
「星矢が怒っていることを伝えに来たのか?」
長い時間、氷河はただ、頬を撫でる海風の感触を子どものように目を細めて楽しんでいた。日が傾き始めて、その風が冷たさを増してくる頃、しびれを切らして一輝の方からそう切り出した。
何をしに来たのか、すぐに発つのか、今夜の宿をどうするのか、デイパックひとつ抱えた軽装でふらりと訪ねて来た氷河がどういうつもりであるのかまるで読めない。
氷河は声をかけられてようやく一輝の存在を思い出したような顔で(失礼なヤツだ)、しばし考えて、いや、と首を左右に振った。
「怒っているのは星矢だけじゃない。俺もだ」
そうではない、そうではなくて、お前がここへ来た目的をだな。
大人になっても生来の気質は変わらないらしい。氷河のマイペースぶりは健在だ。かつては自分のペースに持ち込もうとしてぶつかり合ったものだが、今は噛み合わない会話もどことなく懐かしさを呼ぶ。
「お前が怒っているのはわかった。それで?怒りをぶつけるためだけにわざわざ地球を半分回ってきた?」
「……怒っている理由を聞かないんだな」
責めている口調ではない。言葉ほどに怒っているようでもなかった。氷河はただ、何か物言いたげに薄青の瞳を一輝へ向けただけだ。
だというのに、その不純物のない透き通ったブルーに見つめられると、何か自分が途方もない過ちを犯したような後ろめたい気分にさせられる。
だが、すい、と先に視線を逸らしたのは何故か氷河の方だった。正面切って怒りをぶつけられるより───却って気になる。
「おい、氷河、」
途中で話を辞めるな、と言おうとした瞬間、氷河は背負っていたデイパックをがさごそと探り始め、ん、と無造作に一輝の方に何かを突き出した。見れば、シンプルだが丁寧に包装の施された四角い箱だ。
「……?これがどうかしたのか。」
差し出されたからには条件反射で手を出して受け取ったが、脈略のない氷河の行動に一輝が戸惑いを隠せないでいると、美しい青がまたこちらへと投げられた。
「瞬からだ。近くに寄ることがあれば、と預かった」
「あ?……ああ……そうなのか」
氷河という男は恐ろしく言葉が足らない。
それが『怒りをぶつけるためだけにわざわざ地球を半分回って来たのか?』という問いへの答えなのだ、ということを導くのに、一輝はしばし考え込まねばならなかった。
始めから、「瞬から預かり物をした。だから近くに来るついでがあったから寄った」とでも言ってくれれば話が早かったものを。
一輝は、弟が面倒なことを頼んで悪かったな、と包みを掲げて謝意を伝えてみせたのだが、氷河は鼻の頭に少し皺を寄せて、面倒なのはお前の方だ、このバカ、と懐かしい悪態をついた。
ここでさらに煽るほどもう青くはない。
違いない、と一輝が笑えば、氷河の表情もふ、と緩んで、自覚のあるバカはなお手に負えん、と海の方を見た。
ざ、と潮騒がまた二人を包む。
岬の端まで長く伸びた白い砂浜のそこここで、貝を拾い歩いてきゃあきゃあと声をあげていた子どもが、呼び戻す親の声で一人、また一人と消えていく。
夕陽が水平線に触れ、波頭を真っ赤に染め初めていた。
氷河は温かい色をした海をもの珍しげに見つめているばかりで、一向に立ち上がる気配を見せない。結局、またも一輝の方が先にしびれを切らした。
「……もう日が沈む」
お前はこれからどうする予定なのか、と。
久しぶりの再会に距離感を計りかねて、氷河に負けず劣らず言葉足らずとなった一輝の意図は氷河へは通じなかった。
ああ、本当だ、と氷河は我に返った顔で立ち上がる。そうして、パンパンとジーンズの尻を叩きながら、邪魔したな、と軽く手を上げてひらりと堤防から飛び下りた。
そのまま、まるでいつでも気軽に会えるような何気ない調子で背を向ける氷河に、一輝は苦笑した。
まあ、待て、と一輝は既に去りかけていた彼の二の腕を掴んだ。このまま別れてしまうには惜しかった。別に何かを期待したわけではない。
急がないなら何も夜間に移動することはあるまい、とか、地球半分回ってきた人間に対しての最低限の礼儀を示すべきだ、とか、誰がのぞくわけでもない心の中で言い訳の数々が溢れていたが、結局のところ、単純にこの男と会話を楽しむ新鮮さをもう少し味わいたかった、だけかもしれない。
「せっかく来たんだ、飯くらい食っていけ」
「……飯?」
「うまい酒もつけるぞ」
食事だけでは釣れないと踏んで、そう付け足せば、氷河はその餌を待ってでもいたかのようにニヤリと唇の端を上げた。
**
「お前、紫龍の息子に会ったか?」
「ああ……龍座の。顔はあまり似ていない、と思ったが」
「違いない。幼い頃はよく病気をしていた。春麗さんもさぞかし大変だっただろう」
キッチンに立っていた一輝が肩越しでチラリと振りかえれば、椅子に逆向きに腰掛けて、背もたれを抱くように腕を回していた氷河は、案の定少しやさしい表情となっていた。
「家族」のこととなると我関せず、ではいられないらしい。五感を失った紫龍が息子を抱き上げることもできないでいたのを放っておけずに、きっと何度も五老峰を訪ねたのに違いない。
情が深いところは昔と変わっていない。ただし、それを隠すのは少しだけうまくなったようだ。
やさしく解けていた氷河の口元は、一輝の視線に気づくとすぐにへの字に曲げられて、それにしても腹が減った、飯はまだか、と盛大にぼやいた。
海岸線から離れた寂れた住宅街の路地を抜けた先にあるアパートメントの二階、それが一輝の今の仮住まいだった。
潮風に曝されて錆の浮いた外階段のステップを、カンカンと音を響かせて上って、一輝は塗装の禿げた安っぽい扉を開けた。
人を招くような予定はまるでなかったのだ。
元々部屋に備わっていた、一輝の趣味とはかけ離れた装飾過多のシングルベッドの端にはクロゼット代わりに衣類を積んであったし、
同じくごてごてとした装飾の猫足のテーブルの上には昼食に使った食器が乗ったままだ。
「片付いているな」
にもかかわらず、氷河がそう感想を漏らしたのは、まあ、物が少ないせいだろう。両手に抱えられるだけのものしか持たずに生きてきた。
適当に座れ、と言って、氷河にテーブルと対の椅子に座らせておいて、一輝は簡易なキッチンを右に左にずっと忙しく働いているのだった。
「早く食いたいのなら、少しは手伝え」
客とは言え、互いに遠慮などない。一輝がそう言えば、氷河は椅子の背もたれへ肘をのせてくつくつと笑った。
「他人に横から手出しされるのが嫌いな男が何を言っている」
ほう、と感嘆の声が小さくもれた。
大雑把な一面も持ってはいるが、一輝は基本的に他人にペースを乱されるのは好きではない。料理のような、日々の手順が身に染みついているようなものは特にそうだ。氷河が、自分のことをよく理解していて、なおかつそれを覚えている、ということにちょっとした驚きを禁じ得なかったのだ。
「ならばせめて皿でも取ってくれ」
だからと言って、手伝え、と言った手前、何もさせないのも癪だ。
じゅうじゅうと音を立てていたフライパンを少し持ち上げてアピールしてみせると、氷河は億劫がりもせず立ち上がって、テーブルの片端に寄せていた食器の中から平皿を取り出して、ん、と一輝の方へ差し出した。
氷河にそれを持たせたまま、一輝は出来上がったばかりの、魚介をサルサソースで炒め合わせたものを、ざ、と流し込む。
「日本食じゃないんだな」
「無茶言うな。食材も調味料もこんなところで手に入るものか。第一、その地のものをその地の味で食うのが一番うまいのに決まっている」
だいたい、お前が日本食などと、と一輝は笑った。
「こんなもの食えるか、という顏で食べていたくせに」
氷河に、と作ってやったことはない。主に瞬や星矢のために、それも一度か二度、城戸邸の厨房を借りて腕を振るったことがあるだけだ。
そうだったかな、と氷河は首を傾げている。
「何だっけ。芋と肉を甘辛く煮たやつ……?あれが久しぶりに食いたかったのに」
「芋と肉……………肉じゃが、か……?」
「名前は覚えていない。星矢と瞬が牛だ豚だって喧嘩していた」
思い出したのだろう、氷河が、たかが肉ごときで、と年少の者にだけ見せる慈しみの混じった笑みを唇に上らせた。たった一度きりのことをよく覚えている、と驚きながら一輝は首を振った。
「惜しいな。入れる肉の種類で揉めたのは俺と星矢だ。瞬は間に入って困っていた」
そう言う自分もその時の光景ははっきりと覚えているのだ。
闘いばかりの日々、ほんのひと時の日常の営みは、どんな些細なことひとつ、鮮やかに心に刻まれている。
「ああ……そう言えばそうだった。最後まで星矢が譲らなかったもんだから、お前は後からもう一度作り直したんだ。星矢が『違う』って言って口をつけなかった方を俺が食って……
『違わない』方を食い損ねたから、ずっと気になっていた」
そんなものいつでも食わせてやる、と言いたいところだが生憎と空手形が打てる性格でもない。そうか、と曖昧に肩を竦めて、一輝は氷河へ背を向けてまたキッチンへと向き直った。
**
「お前はいける口なのか?」
ひととおりの料理を並べ終えて、小さな冷蔵庫をのぞいていた一輝が肩越しにそう問うた。
どこに「行く」って?と問い返そうとした瞬間に、一輝の右手に透明の液体が入ったボトルが握られていることに気づいて、ああ、呑めるかどうかを問われたのだ、と氷河は気づいた。
一輝との会話が一番難しい。
この男はしばしば氷河の第一言語が「日本語」ではないことを忘れるのだ。どこからどう見ても異質な自分の外見を前に、何故、第一言語が日本語でないことを忘れられるのだろう、と不思議で仕方がない。
初対面の時からそうだった。
明確に「ガイジン」の外見をしている氷河に何と話しかけていいか遠巻きに見ている数多の子どもの中で、彼は事もなげに彼の母国語で話しかけてきた。
見てわからないのか、俺が日本語なんかわかるわけない。
そう反発したかったが、その反発を相手にわかるようにぶつけるための言葉すら氷河は知らないのだ。
くそっ、いつか一言だけでも文句を言ってやる、と必死に言語を学んでいるうちに、ひとりだけ浮いていた混血児は、いつの間にか日本語を流暢に駆使するようになっていて、気づけば当たり前に集団に馴染んでいた。
(ちなみに星矢も怯むことなく話しかけて来た一人だが、惜しいかな、第一声は「ハロー」だった。俺は「ハロー」の国の人間じゃない、と思ったが、その歩み寄りは素直に嬉しかったので、「ハロー」と返しておいた。)
今では想像もつかないことだが、幼い頃は、弟を通じて皆の世話を積極的によく見ていた一輝が、孤独な混血児を早く集団に馴染ませようとわざとそうしたのかはわからない。
単に、「俺は歩み寄らない」「だからお前が歩み寄れ」という彼の宣戦布告だった可能性もある、と氷河は今でも少し疑っている。(確認してみたことはない。)
コミュニケーションに困らないだけの語学力を身に着けた後でも、故事成語なのか何か知らないが、ひどいときには一輝の言葉の半分も理解できないことがあった。
自分だけではなく、隣にいる星矢もきょとんとしていることがあったから、氷河の日本語能力だけが原因ではないのだろう。
氷河の知らない難解な単語が多く登場するという意味では紫龍との会話もそうだったが、彼は必ずさり気なく言い換える気遣いを忘れないから、
氷河も素直に今のはどういう意味だ、と聞き返しやすかった。(まあ、聞き返した後で長い薀蓄の披露に耐える努力も必要だったが。)
だが、一輝に対しては。
相手が当たり前に駆使している言葉の意味が半分もわからない、と素直に認められるほど、思春期の少年のプライドは安くなかった。
そのせいでずいぶん無駄な誤解と喧嘩を生んだし、誤解を解くことが面倒で、会話することを避けてすらいた。
闘いで抱えた鬱屈をぶつけるように快楽を共有しながら、あまり深入りすることなく有耶無耶に関係が立ち消えたのは、彼がすぐに消息不明になるせいだけとは言い難かっただろう。
いつか言ってやるつもりで覚えた「俺は日本人じゃない」という、彼への反発の言葉も、結局言う機会を逃したままだ。
「ウォッカを風邪薬に育ったんだぞ。聞くのか?それを」
何年越しかの「俺は生粋の日本人じゃない」の代わりに、少し皮肉げに口元を歪めてそう言えば、頼もしいな、と一輝はボトルのラベルを此方へ向けて見せた。
「Tequila?」
度数の高いアルコールの代名詞だが、それは氷河には問題ではない。ただ、癖のないウォッカに比べると青臭いのがあまり好きではない。
顏に出たのか、ピーマンの食べられない子どもか、と一輝が苦笑して、もう一本、ジンジャーエールを取り出した。
「ショットがだめならショットガンでどうだ」
子どもか、と笑われた以上、そこで我が儘を言えるはずがない。それでいい、と氷河は頷いてグラスを受け取った。
グラスに半分注いだテキーラと同じだけの量のジンジャーエールをそこに注ぎ足す。
掌で軽く蓋をして、勢いよくテーブルにグラスの底を打ちつければ、アルコールと炭酸が爆発したように混じり合ってパッと泡の花を咲かせる。それを一気に飲み干すのがショットガンスタイルだ。
ジンジャーエールの仄かな甘みがテキーラの青臭さを打ち消して、その上弾ける泡が喉を刺激してアルコールの焼け付きを中和するものだから、酒の強さの割に飲みやすいことこの上ない。
少し味の濃いサルサソースをさっぱりと流し込むのにもぴったりで、氷河の杯は次々と進む。
オーソドックスにライムと塩でショットグラスを傾けている一輝は氷河のペースに少々呆れ顔だが、アルコールの量で言えば彼の方も氷河と変わらないほど呑んでいるはずだ。
なのに、一輝は顔色ひとつ変わっていない。
自分もそれは同じはずなのに、どことなく悔しい気がするのは、子どもか、と笑われたせいかもしれない。
酔わないでいた方が大人、というわけではまるでなく、どんな些細なことひとつ張り合わずにはいられなかった時期はとうに過ぎ去ったというのに、それでも、何かが氷河を落ち着かなくさせていた。
ぐるぐると血を巡るアルコールのせいかもしれないし、涼しい顏をしてグラスを傾けている男の、節ばった武骨な指の形をふと、懐かしい、と感じてしまったせいかもしれない。
あまり変わらないな、という感想が自然と胸に起こるほどには、その指の感触を覚えている。
脳裡に過ぎった記憶を打ち消すかのように、氷河は再び空になったグラスを満たすために透明なボトルへ手を伸ばした。
だが、同時に一輝の腕もそこへ伸びて、ボトルを持った氷河の手首を柔らかく掴む。今しがた意識したばかりの指が記憶の通りの感触で、思わず、氷河の全身にカッと熱が回った。
「……何を」
声が動揺に上擦らなかったのはさすが長年の努力の賜物だ。視線だけはクールに一輝の方へ流せば、男の眉が呆れたように跳ねあがった。
「もうそのへんでやめておけ。立てなくなっても俺は知らんぞ」
相変わらず、氷河のプライドを刺激する言い方しかできない男だ。酒の勢いを力に、一輝の腕を振り払ってグラスへ液体を注ぎながら、氷河は煽るように笑った。
「立てなくなっているのはお前の方だろう。素直に参った、と何故言えない」
「勝負しているつもりはないからだ」
「逃げるのが上手くなったな、一輝」
「後先考えずに煽る癖は抜けんな、氷河」
一触即発のピリピリとした空気が二人の間を繋ぐ。
やがて、視線は合わせたまま、どちらからともなく、ふっと笑って、同時にグラスの縁をカチリと合わせて一息にアルコールを喉へ流し込んだ。
かつてなら必ず喧嘩になっていた流れが、今はちょっとした酒の肴程度にしかならない。どことなく不思議で、そして愉快な気分だった。
(わけもなく上機嫌な時点で、それはもうアルコールの影響を多大に受けているのかもしれなかった。)