寒いところで待ちぼうけ

短編:ミロ


3000hitキリリク。お題は「日本の動物園デート」でした。

◆冬来たりなば◆


「久しぶりだな、氷河」
 会うなり、ミロに髪の毛をくしゃくしゃとかき回されて、氷河は痛い痛いと声をあげた。
 ここのところ聖域常駐の女神が久しぶりに日本に戻ってくると言うので、ミロはその護衛で日本までやってきた。日本には氷河がいるというのに、なぜにカミュではなくてミロなのか、もっともな疑問を口にした星矢に、ミロはにやりと笑った。どうやら、複雑な駆け引きが裏であったようだ。

 護衛といっても、日本滞在中の間はグラード財団のSPや星矢達がいるのでミロは帰路まではほとんど休暇である。
「氷河、デートしよう、デート」
 氷河の首に長い腕を巻きつけて、小脇に抱えてミロが浮かれた声をあげる。
「デートって……俺としなくても、ほかに相手がいくらでもいるだろう、あなたなら」
「俺は君がいいんだ」
『ほかに相手がいくらでもいる』ことは否定しないんだな。
 氷河は少し拗ねた気持ちになって、慌ててそれを打ち消す。
 べ、別に、ミロがモテても俺には関係ない!
 少し赤くなって唇を噛む氷河を不審げにミロはのぞき込む。
「君は普段日本でどう過ごしているんだ。俺は君にエスコートされてみたいぞ」
「……普段って、別にそんなおもしろいようなことは何も……ああ、じゃあ、ユキオ」
「ユキオ?」
「そう。いいやつなんだ。ユキオに会いに行こうか」
「デートだぞ。君と二人きりがいい」
「……デートはしない。嫌ならいい。俺一人で行くから、ミロは誰かに浅草でも連れてってもらえば。俺はそういうところは苦手だから案内してやれない」
「わかった。君にまかせる」
 少々不本意だが、氷河と一緒にいられないなら、カミュを謀ってまで日本くんだりまで来た意味がないので、不承不承ミロは頷いた。



「ZOO……動物園?」
 氷河に案内されて、近代的な都市の中に突如として現れた緑豊かな広い公園を抜けると、その入り口が見えてきた。
「そう。ミロ、動物好きか?」
「……好きってほどじゃないな」
「そう、だったのか。なら、やめておくか」
「やめなくていい。君はいつもこんなところに来ているのか。誰と来るんだ」
「誰とって……俺はいつも一人だ」
 一人で動物園。
 寂しくないか、それ。
 君がそこまで動物好きだったとは初めて知ったぞ。
「ユキオはどうした」
「ああ……中だよ」
「中?」
 飼育員か?
 そいつに会いに来るから一人でもいいというわけなのか。どんな奴だ。カミュはそいつの存在を知ってるのか。
 ミロの胸がほんの少しだけざわめく。
 どんな相手であっても負けるつもりはこれっぽっちもしないが、自分が知らない相手というのは気になるものだ。

「ええと……どうしようかな。順路通りに全部見てまわってもいいけど……あなたが動物あんまり好きじゃないとは思わなかったから。全部とばしてユキオのとこ行く?……一応、ココ、パンダが売りなんだけど」
「せっかくのデートだ。ゆっくり歩こう。自分じゃ来ないから新鮮だ」
 ミロに促されて、氷河は肩をすくめて、ポケットに両手をつっこんで先に立って歩き出す。
 しかし、数歩歩いて、しばらくしてから、ミロを振り仰ぎ、「デートじゃないからな」と忘れず釘を刺した。



 2月の平日の昼間にしては、そこそこ混雑している。遠足や社会見学だろうか、子どもの団体が多い。
 寒そうに身を震わせているミロを見て、氷河は立ち止まり、背伸びして自分が持ってきたマフラーを巻いてやった。
「こんなに寒いのになんでそんなに軽装できたんだ?」
「聖域は『こんなに寒』くなかったんだ。……君こそ、寒いのは平気なくせになんでそんなの持ってたんだ」
 それはミロに……と言いかけて、言ったらこのひと絶対に調子に乗るな、と思ったから氷河は黙って背中を向けた。
 ミロは氷河のマフラーにしっかり顔をうずめている。

 悪かったかな、冬の動物園なんて。
 自分は平気だから、あんまり考えずに連れてきてしまった。まさか動物が好きではないとは思いもしなかった。
 意外だな、と思う。
 太陽に愛されているかのようなこのひとは、いつも眩しくて、どんなことでも飄々とこなして、隙を全く見せない。
 唯一の弱点らしき弱点といえば、寒いところが苦手なことだけど、それだって、このひとがひとこと「寒い」と言いさえすれば、温めてあげたい、と名乗りをあげる人間は後を絶たないだろう。
 いつもからかわれていて、このひとを喜ばせることなんか絶対にするものか、と決意している自分ですらこの始末だ。
 このひとは動物だとか、草花だとか、この地球上のありとあらゆる生物全てを味方につけていると思っていた。
 なのに、動物が好きではないなんて。
 なんで好きではないのかな。もしかして小さい頃犬に追いかけられたとか、そういうのだったりして。
 かっこ悪く動物から逃げ惑うミロを想像して、氷河はミロに背を向けてくすくすと忍び笑いをもらした。


 順路通りに進むと、割とすぐにパンダの園舎に辿り着く。動物園の目玉、というだけあって、ガラスの檻の前は黒山の人だかりだ。
「……見えない。ここ、いつもいっぱいで見えた試しがない」
「そうか?俺は見える」
「そりゃ……あなたくらい大きかったらいいよ。こっちは標準体型なんだから……」
「ただのツートンカラーの熊だぞ。そんなに見たいか?」
「身もふたもない言い方するなよ!パンダ、かわいいじゃないか、たれ目で」
 ……あれはそういう模様なんであって、別に目がたれているわけじゃなさそうなんだが。
 パンダをたれ目と言い切る氷河が可笑しくて、ミロはついいつもの調子で虐めてしまう。
「なるほど、こうしてみると確かにパンダというものは可愛いかもしれないな。おや、あんなことをしている。……あっ……おおっ……ほほう、これは……」
 ミロがわざとらしく声をあげて見せるたびに、氷河は、なになに?と一生懸命背伸びをしている。前方に空いたスペースができたかと思えば、次々に横から強引に入り込まれて、氷河はいつまでたっても前へ行けない。ぴょこぴょこ飛び跳ねたりしていたが、そのうち諦めたようだ。
 少し頬を膨らませて、負け惜しみを言い始めた。
「いいんだ。俺はまたいつでも来れるから。ミロが見られたのなら良かった。……次、行こう」
 いや、その様子だと、君は何度通ってもここのパンダは見られそうにないな。
 ミロは笑って、少し屈み、氷河の膝と太ももに手をかけて高く抱きかかえた。
「わあああっ!!」
 氷河は驚いて声をあげ、氷河の声に驚いた周囲の客が全員パンダではなく、ミロの腕に座るように抱き上げられた氷河に注目した。
 氷河はこれ以上赤くなれない、というほど赤くなって、ミロの髪を掴んで抗議した。
「お、おろせよ!信じられない!こんなとこで、何すんだよ!」
「暴れるな。パンダ、見えたか?」
 恥ずかしすぎて顔が上げられないんだよ!!パンダなんて見るどころじゃないよ!!
 もはや抗議の声が上げられないほど氷河はパニックになってミロの頭にしがみつく。
 ミロの隣に立つ、小さな女の子が、いいな……と言うようにそれを見上げた。ミロはいたずらっぽくウインクして、彼女に言う。
「悪いな。俺はコイツの専属だから。そのうち君のことをお姫さまだと思ってくれる誰かに出会ったら君もしてもらえ」
 やり取りを聞いていた氷河はますます赤くなる。
 誰が、何の専属なんだよ!姫ってなんだよ!
 普通は俺を下ろして、コドモを抱き上げてやる場面だろう!
 そんで、わあ、このひと、コドモ好きの優しそうな人だなあってポイントかせぐとこだろうよ!
 何、大人げない対応してんだよ!
 信じられない、信じられない、信じられない!!
 声を出すと注目を浴びるので、声を出さずに、髪を掴む指先だけで必死に抗議する。
 初めて触れた豪奢な巻き毛が意外と柔らかかったとか、ちょっといい匂いがしたとか、ミロの掌が太ももに触れているとか、その全てが氷河の鼓動を早くした。

 結局、氷河は一度も顔を上げられず、パンダの姿は拝むことができなかった。
「君はほんとにバカだなあ。声をあげるから却って注目を集めたんだ。どうせ恥をかいたなら、ついでによく目を開けて見ればよかったのに。おもしろかったぞ、白黒ツートン熊」
 氷河は怒りに肩を震わせて、ミロの言葉を完全に無視してすたすた歩いて行く。あなたとは無関係だ、と主張しているその背をミロは苦笑して追いかけた。
 しまった。
 ついうっかりやってしまった。
 せっかくのデートなのに、結局いつもと同じパターンだ。


 鳥類のケージ、猛獣のケージをほとんど素通りの勢いで歩いていた氷河だったが、途中で、少し落ち着いたのか、立ち止まってミロを待っていた。
「……もう、ああいうことはするな」
 珍しく、氷河の方から譲歩してくれるらしい。ここが、日本だから、かもしれない。土地勘のないところに放置して帰るほど冷たくはなかったようだ。
 ミロは殊勝な顔をしてみせる。
「わかった。もうしない。たまにしか会えない君とのデートなのに背中しか見られないのはつらいからな」
 氷河はミロに歩調を合わせて歩きながら、デートじゃない、と忘れずに突っ込む。
 ミロは試しに手を差し出してみたが、さすがに繋いではくれなかった。


「そういや、ユキオはどうなった」
「ああ……もうすぐ……ほら、あそこ」
 猿山で、さんざん、アレはサガに似ている、こっちはシュラだ、と言いあった後、ようやくそのことを思いだしたミロが問うと、氷河はひときわ大きな囲いを指差した。
「……シロクマに見えるが」
「?ユキオはシロクマだ。何だと思ったんだ?」
 ……君は……一人で動物園に来て、一人でシロクマを見ているのか、いつも。
 思わず、ミロは脱力しそうになる。
 かわいいと言えばかわいい光景だが、不憫だといえば不憫な光景だ。
 ミロの気持ちを知ってか知らずか、氷河は囲いの壁から身を乗り出さんばかりにして、ユキオ!と嬉しそうに呼びかけている。シロクマの方も気のせいかどことなく嬉しそうだ。
 氷河は囲いに腕をついて顎をのせ、うろうろと行ったり来たりを繰り返しているシロクマをじっと見ている。
 氷河は腕を囲いの中に伸ばし、誰にも気づかれない様にカラコロと氷をプールに落とす。
 シロクマはその小さな氷を目ざとく見つけて、ざぶんと水の中に飛び込み、周囲から大きなどよめきが上がった。

「氷河」
 ミロが声をかけたのも気づかないほど、氷河はじっとシロクマを見ている。多分、もう一緒に来たことなんか忘れてしまっているのだろう。
 腕に顎を乗せた氷河の横顔を見る。
 気のせいか。
 瞳が濡れたように光っている。
 寒さのせいか。それとも何か考えているのか。
 ミロはシロクマの囲いから数歩離れ、通路沿いに並べられたベンチに腰かけた。
 じっと動かなくなってしまった氷河の背を、ミロも座ってじっと見つめる。
 変なデートだ。
 デート中にこんなにないがしろにされたことなんか俺の人生において他にない。
『デートじゃない』せいか?
 デートじゃないにしても、二人でいる相手に俺の存在を忘れられたのは生まれて初めてだ。


 あ、そういえば、俺、今日一人じゃなかったんだ。
 かなり長い時間をそうやってじっと動かずに過ごした氷河はようやく我に返った。
 振り向いて、きょろきょろとミロの姿を探す。
 数メートル後ろのベンチで、氷河のマフラーに顔半分うずめたミロの姿を見つけると、慌てて近寄った。
「ご……ごめん……」
「いいよ。気はすんだか?」
 ほんの少し拗ねた声色を滲ませながらも、怒りもせずに優しく答えられたことが、却って気まずく、思わずミロの隣に座ってもう一度、言葉を重ねる。
「ほんとごめん。寒かった?…よ、な……」
 ミロはチラリと氷河を見た。
 機嫌をとるようにミロを見上げる瞳の端に雫が残っている。ミロは腕をのばして、それを親指の腹で拭ってやった。
 その指先が氷のように冷たく、氷河はますます小さくなった。指が離れていく直前に思わずそれを掴んで止める。熱を移すようにそれを自分の両掌で挟み、息を吐いて温めた。
 大きな手だ。長い指は意外とすらりと細い。
 何度か息を吐くのを繰り返しながら、氷河はミロを見ないままポツリポツリと話をする。
「ここへ来ると、シベリアを思い出す」
「ちょっと寂しくなったりする」
「でも、懐かしくて、嬉しかったりもする」
「あと……俺が馬鹿だったせいで、死なせてしまったシロクマの仔のこと思い出す」
「ユキオがどんなふうに親と離れたのか考えるんだ」
「だから……なんか、ここへ来ると……」

 ミロは黙って氷河の髪をくしゃくしゃとかき回した。
 氷河はちょっとしんみりしてしまった自分をごまかすように痛いよ、と声をあげた。
「ごめん……よっぽど冷えたんだな。風邪ひかなきゃいいけど」
 ずっと握っているミロの手が少しも温かくならないことを申し訳なさそうに謝る氷河にミロは少しいたずらっぽい笑顔を見せた。
「そりゃ、君の手も同じように冷たいからだ。俺に悪いと思うなら……おい、声をあげるなよ」
 どういう意味?と問いかける間もなく、コートの中にさっと手をさし入れられ、あっという間にシャツをたくし上げられたかと思うと、氷のような冷たい手を、柔らかく温かい脇腹に直接押し付けられた。
「ギャアッ!!」
 不意打ちで侵入された冷気にさすがの氷河も悲鳴をあげて飛び上がった。周囲の人間が、声の出所を探してきょろきょろしている。
「声をあげるなと言ったろう」
「むむむむむりだろ!!つ、冷たい、冷たいよ、ミロ!頼むから離して!」
「君が責任取って温めてくれるんじゃないのか」
「ちが……!なんで、あなたってそう……!」
「氷河、一人じゃないぞ、君は」
「……え?」
 猛抗議しながら、ミロの冷たい手から逃れようとしていた氷河は、不意にもたらされた真剣な声音に少し戸惑う。
「みんないるだろう。俺も……女神も……カミュだって。寂しくなっても一人で泣くな。一人動物園はかなり『イタイ』ぞ」
 最後は少しだけいつものおどけた調子に戻って言った。
「……うん……いや、ご、ごまかされないぞ!この手をどけろって!」
「なんだ、ごまかされないのか。最近ちょっと知恵がついておもしろくないぞ」
「おもしろくなくて結構だ!」
 お互いにいつもの調子が戻ったところで、ミロは手を外に出してひらひらと氷河に見せた。
「ほら、これでいいだろ。……日が暮れるともっと寒くなるぞ。そろそろ行こう」
 長い足を、よっと振り上げて無造作に立ち上がるミロを追いかけるように氷河は小走りについていった。



「『ふれあい動物コーナー』だって。あ、ウサギの赤ちゃん抱っこできますだってさ」
 ミロが素通りしようとしたその一角で、氷河は立ち止まって声をあげる。
 閉園時間がせまっているせいか、そこは閑散としていた。
「俺は行かないぞ。行きたいなら、君ひとりで行ってこい」
 珍しくミロが渋るので、ああ、そうだっけ、動物苦手なんだっけ、と氷河は思い出した。
「ウサギの赤ちゃん、だぞ?きっとすごくかわいい」
「俺はいい。よく見ろ、チビッコ大歓迎、って書いている。ここは坊や向けだ。俺は大人だからここで待ってる」
 氷河はここぞとばかりに強引にミロの腕をひく。
 俺、もしかして、初めてミロに勝てるかも?
 そんなことで勝てても……というような内容だが、いつも自信たっぷりのミロがウサギの赤ちゃんを怖がるなんて、もう絶対に見たい。
 その瞬間が目撃できたら、今まで虐められてきた分が帳消しになるほど愉快になるに違いない!
「何だよ、怖いのか?天下の黄金聖闘士が?ウサギの赤ちゃんを?」
「……君ときたら……この俺にそんな口をきいてただですむと思うな」
「怖くないよーだ。帰ったらみんなに言わないと。ミロがウサギを怖がって大変だったって」
「……よかろう。そこまで言うなら、つきあってやろう」
 氷河に腕を抱き込まれて、ぐいぐい引っ張られていたミロだったが、最後は逆にやけをおこしたかのように、氷河をずるずるとひっぱって小動物ふれあいコーナーへと足を踏み入れた。

「わあああ。ちっちゃい!!ふかふか!」
 氷河はさっそく抱き上げて頬ずりをしている。ミロを振り返る瞳が既にバカにしたように笑っている。
 こんなことくらいで勝ったつもりとは……たいした坊やだ。
 ため息をついて、氷河の腕の中から、ふわふわもこもこの小さな物体を摘み上げて自分の掌にのせる。ミロの片手に簡単にのるほどそれは小さい。
「……動物……怖いんじゃなかったのか」
「誰が怖いと言った。『あんまり好きじゃない』と言っただけだ。好きかどうかと怖いかどうかは別問題だろう」
「つ、つまんない!!」
「つまらなくて結構。……小さすぎてどう扱っていいかわからんな、これは。壊しそうだ」
「壊しちゃだめだって。……あーあ、ミロがウサギに追いかけられて逃げ惑う姿見たかったのに。ホントはやせ我慢しているんじゃないのか?」
「なんでそんなことしないといけないんだ、日本まで来て」
 ミロの掌の上でウサギの仔が小さくきゅ、と声をあげて、ミロの指をカシカシと咬んだ。
「おい、くすぐったいぞ」
「……かわいい……」
 氷河はミロに絡むのを忘れて、思わず夢中でそれを眺める。
 ミロの手元をのぞき込みすぎて、ほとんどミロに頬が触れそうなほど接近していることに近づいていることに気づいていない。
 冬の短い日に、辺りはすっかり夕闇に包まれている。
 ウサギに見惚れている氷河の横顔がウサギ小屋の小さな電球にぼんやりと照らされている。
 君の方がよっぽどかわいい。
「氷河」
「ん?」
「暴れるなよ。暴れると俺はコイツを取り落す」
 ?暴れるわけなんか……とミロを見上げた瞬間、ミロの顏が近づいてきて、氷河の唇を塞いだ。
 反射的に突き飛ばそうとして、同時にミロの言葉の意味がようやくわかり、すんでのところでその手を引っ込める。
 今日、同じ手を食らったばっかりだったのに!
 というか、いくら薄暗くて人がいないからってこんなところで!
 飼育員!飼育員がいた、そういえばあっちに!!
 声にならない悲鳴が次々と頭をよぎるが、人質?を取られているので身動きもできずに、ミロの口づけを立ちすくんだまま受ける。
 ミロの掌の上でまたウサギの仔がきゅ、と鳴いた。
 長い!長いよ、ミロ!いやだ、人が来る、早く離れろ!
 ……あっ……ちょ……ちょっと!……そんなこと……あ……!
 無抵抗なことをいいことに、ミロは思う存分氷河の唇を味わう。触れ合わせた唇は冷たいが、その奥に隠された熱を求めて何度も深く侵入する。
 氷河の膝が細かく震えていることに気づき、感じていた熱に未練はあったが、ゆっくりとミロは離れた。
「……な……にすんだよ……」
 荒い息の下で、途切れ途切れに抗議する氷河に、ミロは掌にのせたウサギの仔を目の高さまで持ち上げて言った。
「パパとママが仲がいいにこしたことないんだぞ。な?お前もそう思うよな?」
「パパとかママとかじゃないから!!ウサギなんて俺産んでない!!」
 氷河のズレた突っ込みに、一瞬、ミロの時が止まり、しかし、すぐに体を二つに折って爆笑しはじめる。
 ウサギじゃなきゃ、産めるのか、君は。
 っていうか、君が『ママ』の方でいいのか。
 声が出ないほど笑い転げ、笑いすぎてひーひーと酸素を求めて喘ぐミロの手からウサギの仔を受け取り、何を笑われているのかわからない氷河は頬を膨らませている。
 ウサギの仔は氷河の掌の上で、あわあわと暴れている。必死でミロの掌に戻ろうとしているかのように身を乗り出していて、氷河は危うく落としそうになる。
 ミロはまだ苦しそうに笑っているが、笑いながらも手を差し伸べて、再びウサギの仔を抱いた。ミロが抱くと、途端に仔は大人しくなって、掌の上で丸まった。
「……なんで……」
「パパの方がすきなんだろ」
「だからパパじゃないよ!……悔しい。動物、好きじゃないひとに負けた……」
「俺は好きじゃないが、動物の方は俺のこと好きみたいだな。いつもたいてい懐かれる」
 ……本当に悔しい。
 いるんだよな、こういうひと。不公平だ。
 氷河の唇が不満そうに尖った頃、そろそろ閉園ですので、と飼育員から声がかかった。
 あたりはすっかり暗くなり始めている。
 ミロはウサギの仔を飼育ゲージへと戻した。仔は、まるで母から引き離されたかのように、必死で追いすがり、柵の端をカシカシと前足で引っ掻いた。
 ミロと氷河が去って行く間中、後ろからきゅ、きゅ、と呼ぶような声が聞こえていた。
「……な。だから、あんまり好きじゃないんだ」
 ミロの声が少し切なそうに聞こえて、氷河はからかうことも忘れて、うん、と頷いた。

 すっかり日が暮れて、真っ暗になった園を出て、駅までの道を歩く。
「ミロって……本当に死角がないよな」
「なんだ、急に」
「人生において、困ったことなんてないだろう」
「そんなことない。今だってこんなに寒いのに君が手を繋いでくれなくて困っている」
「そ、そういうのと意味が違うよ。なんかさ……なんでも『持ってる』っていうか……神様に愛されてるっていうか……あなたのこと嫌いな人なんているのかな。弱点がなさすぎて逆に嫌味だ」
 ミロはそっと氷河の俯いた横顔を見る。冗談かと思ったら真面目に言ってるようだ。
 言っている意味、わかってるのか?
 つまりは君も俺のことが嫌いじゃないという意味だな、それは。
 ただの愚痴として、ほとんど独り言のように漏らされた言葉に垣間見える氷河の本音にミロは薄く笑った。
 長い腕で氷河の肩を抱く。
「俺の弱点は君だよ。氷河。君がなかなか俺を好きと言わないから、こんなところまで追いかけてくる羽目になってる」
 耳元でそう囁くと、氷河は赤くなって俯いた。ミロの唇が触れている耳が熱い。
「もういい加減に認めろ、氷河。俺を好きだと」
 氷河はふるふると首を左右に振る。
 予想された反応に、強情だな、とミロは笑って氷河を解放した。
 さあ、腹も減ったし、とっとと帰るか、とミロは大きく歩みを進めようとしたが、小さな抵抗を袖口に感じて視線を落とした。
 氷河が親指と人差し指だけでミロの袖を引いて引き留めている。
 ミロが、どうした、と聞く前に、引き留めた勢いのまま氷河はミロの手をとった。

 言葉より饒舌に、その指先はミロの指に絡みつき、ミロはそれを柔らかく握り返した。

(fin)

(キリリク3000記念 2012.2.10up)