寒いところで待ちぼうけ

短編:カミュ

黒豆さまからいただいた動画を元にしました


◆花を奏でる◆

「おかえりなさ、い……?」
 宝瓶宮で師の帰りを出迎えた氷河は、カミュの抱えている物を見て目をまるくさせた。
「先生……女神に呼ばれていたのではなかったのですか……?」
「ああ、女神に拝謁してきた」
「……?では、それは一体……?」
 カミュは両脇にギターケースと何やら楽譜らしきものを抱えていた。ギターケースはご丁寧に二つ。
 カミュはふう、とため息をついて、ずっしりと重かったそれを床におろし、そして、心底頭痛い、というようにこめかみを揉む。
「女神がな……」
「沙織さんが?」
「わたしたちにデュオを組んで歌え、と、こうお達しだ」
「………………はい?」

**

 女神の話とはこうだった。
 21世紀、そろそろ聖闘士も世間に存在を秘している場合ではないのでは。
 せっかく見目麗しい美丈夫をこんなに侍らせてるのだ。平和な今、戦闘方面で世間に役立っていない以上、せめてビジュアル方面で少しでも世のお嬢様方に幸せを届けたい。
 ついては晴れの舞台を用意するからこの中から好きなものを選ぶように。

 我が神は藪から棒にまた何を突拍子のないことを、と困惑するカミュの目の前に並べられていたのは、色とりどりの衣装や楽器類だった。
 何が何だかわからないがとりあえず女神命令だ。生真面目に端から吟味してみる。

 蒼と白の縞の着流し……いわゆる「キモノ」という日本の民族衣装だ。つけられたタグに『演歌』と書いてある。
 鎖や鋲がじゃらじゃらついた真っ黒な服。横には髑髏マークの入った真っ黒な箱がある。中身は何だと開けてみると、そこには化粧道具。タグは『ヘビメタ』。
 ピンク色のウサギの耳にふわふわの尻尾。『アニメソング』
 真っ赤とピンクのフリルたっぷりのワンピースが二着。……女性用の衣装に思えるが気のせいだろうか。『80年代アイドル』

 ……
 ……これを着ろ、と?

 顏を上げると女神はにこにこと、押しの強い笑顔でカミュを見守っている。
 どうやら自分には選択の余地はない……いや、選択はできる、できるだけまだマシだ。


「……というわけでな、中でもまだ一番マシなものを持って帰ってきた。最後まで『演歌』と迷ったが……。これなら珍妙な衣装は着なくていい。聖衣で構わないとおっしゃるのでな」
 世間に出るなら聖衣こそ恥ずかしいんじゃないか(特に氷河)というのは、世間と隔絶されたシベリアで過ごしてきた二人の頭には浮かびもしなかった。
「そういうことだったんですか……。噂では、世の中にはそういう無茶ブリをする女神が存在すると言うのは聞いていましたが、沙織お嬢さんもついに……」
「ああ、女神と言えば、任務と称して我々に女装を強いたり、稼いで来いとメイドやホストとして出稼ぎに出したり、果ては『ふじょし』として我々に様々な演技を強いたりと、とにかく理不尽で横暴な存在の代名詞だと聞いていたが、我が女神もどうやら同じだったようだ。しかし、歌え、とは、まだ世の中の女神に比べれば可愛らしい方だ。これで文句を言ったら罰が当たる。大人しく仰せに従うしかない」
「そうですね。でも……残った衣装などはどうなったのでしょうか」
「わたしが御前を辞する時に下の宮の奴らとすれ違ったのでな……多分、皆同じことを言われているのだろう。宮の位置が近く、女神のお召しからすぐに駆けつけられたのは幸いだった。わたしはまだ選択の余地があったが、今頃到着した下の方の奴らは……」
 あのフリルたっぷりの二着のワンピースの行方はどうなっただろうか。二着、というところに何やら作為的なものを感じる。おあつらえ向きに二人同じ体格の人間がそろっている宮があるのを女神はお忘れではもちろんあるまい。
 自分よりさらに体格のいい28歳の男二人があの可愛らしい衣装を纏ったところを想像して、カミュは僅かに背筋を凍らせた。
 シベリアと行き来していた頃は階段の上り下りに辟易して、もっと下の宮であればと思わずにはいられなかったが、今となってみればこの位置であったことは僥倖だった。

「そういうわけで、公共の場で披露するのは半年後だそうだ。これから必死で練習せねばなるまい」
「は、半年後……俺、ギターなんて弾けません……」
「わたしもだ。まあ、なんとかなるだろう」

**

 というわけで、初心者2人によるギター&歌のレッスンin宝瓶宮が始まった。
 上下の宮からドラムやエレキギターの音が聞こえてくるあたり、他の黄金聖闘士も、しぶしぶかノリノリかは不明だが女神命令を受け入れたようだ。
 となると、負けてはいられない。
 嫌々始めたはずだったのに、俄然カミュは張り切った。


 が、すぐに壁に突き当たった。
 カミュではなく、氷河が、だが。

「い、いた、痛い痛い。せんせぇ……指つりました……」
「またか……」
 カミュはギターを置いて、顔を顰めて痛い痛いと振り回している氷河の左手を取った。
 氷河は弦をうまく押さえることができずに、こうしてしょっちゅう指がつっている。
 カミュは自分の両手で氷河の左手を包み込むようにはさみ、もみほぐすように軽くマッサージを施してやった。連日のハードな練習に、氷河の指先は赤く熱を持っていて、カミュが冷たい指先で触れると、氷河は気持ちよさそうに息をついた。
「……俺、どう考えても無理だと思います」
 ため息をついて氷河の口から泣き言が漏らされる。
「大丈夫だ、まだ時間はある」
「だけど……どれだけやったってできるようになる気がしません」
「諦めるにはまだ早い」
 女神命令とは言え、所詮、『沙織さん』の言うことだ。彼女の我が儘な少女時代をよく知る氷河にしてみれば、そこまで必死の努力をして無茶ぶりに応えなくても、という思いが強い。が、カミュは違う。生前は(まあいろいろあって、今も生きてはいるが)真っ当にお仕えすることも叶わなかった女神の望みを叶えるチャンスだ。『撤退』の二文字はない。シベリア時代をほうふつとさせる厳しさで氷河を叱咤する。
 氷河はやや頬を膨らませて、上目づかいにカミュを見た。
「だって、先生はいいですよ。指だって長いし、器用だし、楽譜だってスラスラ読めるじゃないですか」
 氷河の言うとおり、練習を始めてすぐにカミュはある程度弾けるようになった。元々五線譜は読める。コードもわかる。あとは、コツをつかめば何とかなった。
 しかし、不器用な氷河は相当に苦戦している。
 カミュは手の中に包んだ氷河の指を見た。
 少年の細い指。短いわけではない。手そのものがカミュよりもひとまわり小さいのだ。幼さを残す手は非常に愛らしいのだが、確かにこれで楽器を操るのは苦労するかもしれない。
「だいたい、変です。指は5本しかないのに弦は6本もあるんですよ。右手と左手だって別々の動きしなきゃいけないし」
 その理屈で言うと、ピアノの88鍵盤を弾くには指は10本ではとても足りないわけなのだが……とカミュはくすっと笑った。
「おいで、氷河」
 すっかり拗ねてしまってソファの端に丸まるように膝を抱えた氷河をカミュは抱き寄せた。腰を抱いて、軽々と膝の上へ乗せ、背後から抱き締めるように腕をまわす。
「ギターを持って……ほら、わたしと一緒にやってみよう」
 氷河の手に自分の手を重ね、運指を誘導するように指を絡める。
「いきなり早いスピードで弾こうとするからだ。ゆっくりやってみよう。凍気だって、ずっとできないと言っていたのにできるようになったではないか。ほら、指をこうしてもう少し開いて…」
 カミュの長い指が柔らかく絡みつく感触と、耳元で響く甘く低い声に、あっという間に氷河の集中力は切れ、鼓動が早まり始めた。
 先生の指、なんて綺麗なんだろう。
 爪の先まで優雅に整っていて、器用に動く指先はまるで意志を持った別の生き物のよう。冷やりとしているのに優しくて、この指で触れられるといつもすぐにわけがわからなくなってしまう。
 ああ、この指がいつも俺の…
「…が、氷河?」
 カミュの呼ぶ声に氷河はハッとした。そしてすぐに赤くなって俯いた。
 俺、今何を考えてたんだろう。
 氷河の首筋が朱に染まっていることに気づき、カミュは苦笑した。
 今更、指が触れたくらいでどうしてこんな可愛い反応を返すんだ、お前は。
 カミュがうなじへそっと口づけを落とすと、氷河は、あ、とますます赤くなって身をよじった。
「練習をしているのではなかったのか」
「そ、そ、そうです。すみません、ぼうっとして」
 咎める声を出したものの、腕の中で恥ずかしがって俯く氷河が愛おしくカミュはその耳朶をそっと口に含んだ。途端に氷河はびくっと体をすくませ、ああ、と切ない吐息を漏らした。
 その吐息に誘われて、啄むようにやわやわと耳朶を甘噛みしていたカミュだったが、不意に動きを止めて、既に息があがって目尻に涙を滲ませている氷河の顏をのぞき込んで言った。
「これでは練習にはならないな。こうしようか、氷河。お前が弾けるようになるまでは、わたしはお前には触れないことにする」
「……え……それは……つまり?」
「言葉通りだ。出来るようになるまで全部お預けだ。夜も……そうだな、同じベッドで眠って触れない、というのはわたしも少々自信がないから当分別々に眠るとしよう」
「ええっ!」
 思いがけず物欲しそうな声が自分の口から洩れ、氷河は真っ赤になって慌てて口を押さえた。
 上目づかいにカミュを窺う。
「……本気……ですか……?」
「ああ、本気だ」
「……おやすみのキスもなし……?」
「そういうことになるな」
「俺……いつ出来るようになるかわかりませんよ。一生できないかも……」
「では一生お前には触れられないのだな、わたしは」
 女神のお遊びにそこまでしなくても、と恨めしい気持ちになった氷河だったが、仕方がない。この人はこういう人だった。仕事だろうが何だろうが、常に全力投球だ。特に指導モードに入っている時はもう誰にも止められない。諦めるしかない。
「わかりました……がんばります、俺」
「ああ。……わたしだってお前に触れられないのはつらい。一日でも早く弾けるようになって欲しいものだ」

**

 それからは氷河は必死で練習に励んだ。いや、今までも必死だったのだが、必死度が違うというか。
 何しろ、毎日一緒にいるのに、すぐそばにいるのに、全く触れられないのだ。
 おはようやおやすみのキスもなし。
 いいこだ、と撫でてくれる手のひらも、うたた寝の時の膝枕も、梳るように髪に挿しいれられる指先も、とにかく氷河が好きなもの、全部なし。
 いくつかコードが押さえられるようになった時も、やればできるじゃないか、といつもの癖で頭を撫でようとしたカミュの手が直前で止まり、ゆるゆると下ろされた時は本当に哀しかった。
 こうしてみると、カミュの方がスキンシップが好きで自分のことを四六時中構っているように思っていたのだが、どうやら自分も相当にカミュに触れるのが好きだったらしい。
 先生に触れたい。
 ともすればすぐにその思いで頭がいっぱいになって、ギターどころではなくなってしまう自分を必死に自戒して、氷河は寝る間も惜しんで弦を弾くのだった。

**

 氷河の必死の思いが実を結んだのはそれから2ヶ月もかかった。
 氷河もよく耐えたが、カミュも相当に己を律するのに苦労した。自分が言い出した手前、簡単に折れるわけにもいかず、覚えの悪い不器用な氷河にほんの少し苛々したことは秘密だ。

「先生!聴いていました!?今、俺、間違わずに弾けましたよね!!」
「ああ、すごいぞ、氷河。よくやった」
 たどたどしいながら、とりあえずは最後まで演奏しきって満面の笑みで氷河が振り返る。
 修行中によくしたように、カミュは氷河を抱き上げて、額を触れ合わせて顔をのぞき込んだ。氷河の瞳が嬉しそうに揺れている。

「よし。では、ここまでできたのだから、一度、最初から最後まで二人で通してやってみよう。歌詞はまだ覚えていなくてもいいから」
「……はい」
 てっきりもうキスは解禁だ、と期待していた氷河は、僅かに声に不満の色を滲ませたが、カミュはおいしいものは後にとっておく派だ。
 不安なく仕上がったことを確認してからゆっくりと氷河をいただこうと決め、早速、楽譜や歌詞カードを広げる。氷河はしぶしぶカミュの隣に立ち、同じように楽譜を開いた。



「……そう落ち込むな」
「落ち込まずにはいられません、先生……」
 確かに氷河はギターは弾けるようになった。
 しかし、哀しいかな、ここでも不器用さが邪魔をして、歌いながら弾くということができなかった。歌に集中すると手が止まる。指先に集中すると歌えない。
「……俺ってどうしてこう駄目なんでしょう、先生……」
「お前は駄目なんかじゃない。ほら、おいで。特別に一度だけキスしてやろう」
 両手を広げるカミュに思わず氷河はよろよろと近寄りかけ、しかし、あと少し、というところでぐっと足を踏ん張った。
「いえ。まだ我慢します。ちゃんと最後までできるようになるまで頑張ります、俺」
 甘えて腕の中に飛び込んでくるかと思っていたカミュは肩透かしをくらったが、しかし、目を細めて氷河を見た。
「よし、それでこそ、わたしの弟子だ」
 言ったものの、わたしの弟子ならもう少し要領の良さも身に着けて欲しいのだが、と思っても仕方がないことをチラリと思う。氷河の不器用さも含めて愛しいのだが、早いとこ触れさせてくれないと理性が飛んでしまいそうだ。


**

 しかし、カミュの思いをよそに、氷河が歌いながら弾くことができるようになるにはさらにそこから2か月かかった。
 カミュは、最後の方は苛立ちを顔に表さない様にするのが精いっぱいだった。
 なぜできんのだ、氷河……。
 わたしは育て方を間違ったのか。(というかそもそもそんな修行なんかしていない)
 女神が示した期限が迫っていることよりも何よりも、もう四か月も氷河に触れていない。カミュ自身は2~3日で形になったから、氷河も多く見積もってもせいぜい2~3週間でなんとかなると思っていた。
 それが四か月……四か月だぞ!?
 一緒に住んでいて四か月触れなかった自分の鉄の意志が恨めしい。しかし、その鉄の意志をもってしても、近頃ではすれ違いざまに腕を掴んで乱暴に押し倒したくなる衝動と戦うのに苦労していた。
 今日できなければ、その衝動と戦うのはもうやめようかとやや不穏なことを考えていたカミュだったが……

「で……できた……?今、俺、ちゃんと歌詞も間違わなかったし、弾き間違いもなかったですよね、先生!!」
 なかった、なかったとも~~~(滝涙)
 特定のコードを弾く時、膝がぴょこっと曲がるという変な癖がついているが、むしろそこは可愛いと言えなくもない。工夫すれば曲にノってます、風に仕上げることもできるだろう。
 というかもうできていなくても、できていたと言うぞ、わたしは。

 カミュが微笑んで頷いたので、氷河も大きく肩で息をついて笑い、それからみるみる瞳を潤ませた。
 カミュは近寄り、その身体をそっと抱き締める。
「……も、もう、途中で諦めようかと思ったけど……」
「ああ」
「やってよかったです、先生。……あの……闘うこと以外に先生と一緒に何かするの……すごく楽しかった」
「そうだな。生死がかかっていない努力はこうも楽しいものだな」
「はい……お嬢さんに感謝しなきゃ」
「ああ。さすが女神だ。最初はあまりの展開に驚きを隠せなかったが、やはり深いお考えがあってのことだったのだな」
 深いお考えとやらが本当にあったかどうかはともかく、二人は女神に感謝しながら、しばらく抱き締め合って、じんわりと達成感に浸った。

 長いことそうしているうちに、カミュの腕の中で氷河がもぞもぞと顔をあげた。
 睫毛は濡れているがもう涙は止まっている。
「先生……あの……俺、できました」
「ああ、できたな」
「はい……できました。……でき…ました」
「そうだな。お前はよくやった」
「あの……それで……できた、んです……」
「うん、がんばった」
「カミュ……」
 氷河が恨みがましい目で見上げる。
 言いたいことはもちろんわかっている。わかっているが、四か月も待たされた身だ。意地悪の一つもしたくなるというものだ。氷河の背にまわした手をゆるゆると持ち上げて、少し跳ねた氷河の髪を落ち着かせるように指を挿しいれて梳る。
 たったそれだけで、氷河の頬は上気し、唇からはため息が漏れた。
 髪に絡められていたカミュの指を氷河は掴んで頬にあてる。
「カミュの指……俺、大好きです」
「指だけか?」
 カミュはふっと笑って氷河の額に口づけを落とした。
 氷河は赤い顔で物言いたげに見上げたが、カミュの瞳がいたずらっぽく光っていることに気づいて、抗議に頬を膨らませた。
「カミュ、意地悪です。いいです。俺だって意地がありますから絶対言いません」
「ほう。何を言わないつもりだろうな、氷河は」
 くすりと笑ってカミュはそう言い、氷河が掴んでいた指の背でするりと頬を撫でた。
 氷河の身体がびくっと震えて、カミュの腕に指先だけで小さくすがりつく。カミュの指はそのまま顎を通り、細いうなじを通り、鎖骨をなぞり、背に下りて行く。
 氷河は震えてひっきりなしに甘い吐息を返した。
 カミュが、ほんのり赤く染まった氷河の耳に触れるだけのキスをすると、氷河はぎゅうとカミュに身体を預けて来た。カミュを見上げる潤んだ瞳はもう既に『負けました』と告げている。
「キスしてください」
 言われなくても、素直に自分を求める姿にカミュも限界なのだが、ついまた意地悪をしてしまう。
「意地はどうなった」
「わかっているくせに……ひどい」
 甘い声で抗議を返した氷河は、それ以上カミュを待たずにうんと伸びをしてカミュの唇に自分のそれを押し当てた。
 重ね合された唇の下でカミュも笑って、今度こそしっかりと甘い唇を味わった。久しぶりにもたらされるじんわりと痺れるような疼きにとろんと体の力の抜けた氷河が、カミュの胸に顔をうずめて小さく言った。
「足りません。もっとたくさん」
「キスだけでいいのか?」
「……それ以上虐めたら家出します」
「それは困るな」
 くすくすと笑って、カミュは氷河の身体を抱き上げた。

(fin)
(2012.4.4UP)