今年が終わる……だと……?

わたしの予定じゃ12月はもう少し更新できるはずだったんですが、うーん。
前回の雑記あげた翌日に、仕事が緊急事態モードに突入してしまい、今月はほとんど休みなく働いてしまいました。
宿題レポートも、ついに提出できない課題が出てしまい、うまくいかない。行く前に落第したらどうしよう。
激務といえど休める時間もあるにはあるんですが、休憩タイムに何かする元気はなく、常に死んだ魚の目をしてぼんやり天井みてます。メンタル大丈夫かなわたし。
買った漫画が読めなくなってきたら(読もうという気力がなくなってきたら)黄色信号なのですが、コナンの警察学校編を未開封で積んでおりましてですね……うう、レポート全部追いついたら読む。買い忘れていないだけ、わたしはまだ大丈夫なはずだ。がんばれる、うむ。

コロナに振り回された一年でした。
生活が大きく変わったことも大変でしたが、周囲のひとと感染防止に関する考え方の相違に悩んだ一年でもありました。
わたしは医療従事者ではないですが、防護服を着用した経験はあります。
防護服を着用するための部屋に行くと、紙パンツが用意されていて、「これは……」と慄きながら尋ねたら、「防護服を着ている間はトイレに行けないので……慣れていない方は穿いておくといいですよ」とごく当然のように言われて衝撃を受けました。
トイレ休憩どころか水分補給もできなかったので、必然的に生理現象も起こりませんでしたが、肉体的にも精神的にもなかなかのきつさでした。
なので、防護服を着用しての作業には上限3~5時間、という目安が設けられているらしいのですが、今、コロナ病棟で働いている方は、その上限時間を軽く超えて働かざるを得ない過酷な状況なのだろうと推察され、こんな状態がもう一年近くも、と思うと涙を禁じえません。
今は医療機関に少しでも負担をかけまいと、我が家では最大限に感染防止に気を使い、必要最小限のひととの接触に留める努力をしているのですが、一方で、飲食関係に知り合いの多い友達などは、経済回さなきゃ、といつもどおりの生活をしています。
その気持ちもわからないではない。生活がかかっているだけに、間違っている、なんてとても言えません。
だから、クリスマス会しよー、忘年会しよー、というお誘いがあるとすごく苦しい。
それぞれの立場と考え方があるので、やめとこうよ、とも言いづらく、「ごめんね、今仕事が忙しくて欠席で」とお返事すると、「じゃあ、ゆいまさんが来れる日に合わせるよ!」と善意で返されると、ウッ……
結局、「コロナ落ち着くまで会食は遠慮しておくね」と言わざるをえなくなって、盛り上がっているところに水を差したみたいな形になるのはやっぱりつらいです。
その点、子どもの方が割り切っているようで、学校の行き帰りだってマックに寄ろうだのスタバに寄ろうだの誘われているようなんだけど、「リモートで参加するからあとでビデオ電話つないで!」などと全部すっぱり断っている様子。
そうかあ、ごちゃごちゃ断りの理由など言わずに、参加するよ!リモートでね!って言えばいいんだ、などとわたしも学習したりして。
子どもに教えてもらいつつ、この間は、保健所勤めで長らく電話すらできていない友人とオンライン飲み会なるものを実施してみました。
なるほど、これは楽しい!普通に会うより便利かも?
途中でちょいちょい家事中断しつつ、うろちょろする家族も時々登場しつつ、お互い、部屋着すっぴんで、終電だのお会計だの閉店だの気にせずに延々しゃべってていいなんて。
人の目がある場所では大っぴらに言いにくい愚痴も言えちゃって、かなりデトックスできました。そうか、こうやってステイホーム楽しめばよかったのね。
家だという安心感からか、日頃の激務の疲れか、友人が途中で缶ビール片手に寝落ちてしまって、延々とつっぷした彼女のつむじを見ている羽目になったのですけども。うう、お布団かけにいってあげたい。

と、このような年の瀬ですが、年賀状はまだ買ってない。
去年も出し損ねたし、もういいかなって……12月という忙しい時期に、年賀はがき買って、アドレス帳整理して、印刷して、手書きでコメント書いて、ポストに出しに行って、というプロセスを毎年必ず踏める気がしない。
「年賀状終了のお知らせ」だとアレなので、「デジタル移行のお知らせ」みたいな、メールか各種SNSのアカウント載せた葉書送って、以後、デジタルお年賀でお願い、にしてみようかなと思っています。(昔の知人、ここ読んでないよね?笑 葉書受け取って、アッ?って思ってもスルーしてくだされ!)

オメガバ、次話はデータあるので近いうちにUPしますとお知らせしましたが、突然のひらめきにより、次話の前にもう1話入れたいエピソードできたので、また当分先になります。
だって、ここらでえっちなミロ氷入れなさいなんのためのオメガバ設定なのですかとやおいの神様がおっしゃった!ので、煩悩に従いたい!書ける時間はないけど、忙しい時、疲れてるときほど、eroが捗るの法則に従って、妄想だけは~!そして何もかもがひと段落したら、一気にアウトプットするんだい。
年内はリーマンの更新が目標です。年内ってあと数日だけど。帰省もないことだし、多分来れると思います。(いつもの尻叩き)

鬼滅最終巻読みました

雑談です。たとえ雑談でも、年内は、更新できるときはできるだけ来たいと思います。
別ジャンル話なのですが。ネタバレ全開で語っているので未読の方、ご注意ください。
鬼滅の最終巻読みました。ううう、よかったです、いや、本誌で読んでオチまで知っていたわけですけどよかったです。
本誌に比べて書き足されたシーンがまたよくて号泣しました。
さらっと「子孫」というワード出てきて腐女子たるわたしは、おおう、とのけぞりましたけど。
一応、諦め悪く、「子孫」の定義をぐぐったりして、直系じゃなくて、遠い親戚くらいでも子孫と呼ばないかなって思ったんですけどだめでした。
そうかー。
前、ということは考えにくいので、じゃあ、後にそういうことになったのかー。
(前、という可能性も皆無ではないかも。一夜限りのお相手がなかったとは限らない)
25歳の限界を超えたかどうかはわかりませんが、少なくとも、作中の彼らは、25歳までしか生きられないのだな、という認識はずっとあったのではないでしょうか。1日、1日がとても大事な余生。
短い家庭生活になるとわかっていて、それでなお家庭を持ったか、と言われたら、現代に生きるわたしとしては、遺されることになる家族のことを考えたらできないんじゃないかなあって一瞬思ってしまったんですけど、でも、時は大正時代。
太平洋戦争の時だって、皆、帰って来られないかもしれないからこそ、急いで結婚して子どもを作らなければ、ということは多々あったわけで。
そうか、平和な時を生きてきたわたしの価値観では計れないものがあったのだろうな、長く生きられないからこそ次世代を、というのは当時はごく真っ当な感覚だったのだろうな、と思うようになりました。
そして、そういう真っ当な感覚を取り戻せたんだなって思うとまた泣けるのです。
メタ的に考えると、連載当初は、ここまで、ちびっこもたくさん読む漫画になるとは思っていなかったのじゃないかなあ。
「過狩り狩り」を読むと、明らかに少し年齢高めの読者層向けなイメージ。
思いの外、多くの人に読まれる作品に大化けしたことで、もしかしたら、いくらか、配慮して変えたところもあったのではないかと推察します。
子孫、もそのひとつかなあって。
はっきりと、そういう形での救いを明示せずにはいられなかった作者さんの、小さな読者への愛情が見える気がして。
そして、もしかしたら、誰か大切な方を亡くした経験がおありなのかなーって。
大人には現実味の薄い決着となったかもしれないけど、少年期に読む物語としては、この、生と死の昇華のしかたはとてもよい、と思いました。
今、この瞬間、とてもつらい別れに向き合わなければならない子どもがいるかもしれないじゃないですか。今はそういう形の別れを経験していなくても、誰でも、いつかは必ず大切な人との死に直面するわけじゃないですか。
死とは終わりではない、という考え方を知っているってことは、きっと、救いになるんだろうなって思うのです。
いやあ、よかったです、本当に。

まあ、それはそれ、これはこれ、で。
とはいえ、腐的にも別腹で全然美味しいんですけどね☆
妄想は自由です!
わたしの一押しは義勇さんで、義勇さんまわりであれば左右どっちでも妄想わっしょいなわけですが、行間読むまでもなくいやもうこれ公式ですね!?みたいなのたくさんあって瀕死です。
「〇〇のまま死んでくれ」以上の愛の言葉(……)あります!?!?!?
いがみあっていた二人がお館さまの前で顔を見合わせて微笑み合うとか、いや、末永くお幸せに!?
ハア、えかった、腐的にも。
お話が終わってしまった寂しさがありますが、アニメ二期とかきっとあると信じて楽しみに待ちたいと思います。

あとはね、前回も言いましたが、呪術廻戦がとてもよいです!
五条先生と伏黒くんの師弟がよいって話はしました?しましたな……
アニメの五条先生もいいんですけど、わたし、原作のびっくりするくらい童顔の五条先生が好きなんですよ……
こんな28歳ある……??カノンと同い年よ……??
毎週金曜の深夜がとても楽しみなのです。

進撃は兵長が推しです。あとはお察しください。うう……つら……

と、ほとんどエアリプのような雑記になりましたが、以下は本当に私信です。>Kさま

 

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